「心読」


言葉を人知(思考・観念・知識・意識・感情)を手放してそのまま丸ごと受けとることは普段の私たちの一般的な状態では案外難しいことです
しかし自我や我欲からでは無く自己の心魂より言葉を一字一句をまるごと受けとることが出来ると今まで見えなかったものが見えてくることへとつながるものです

古事記や日本書紀などの神典を紐解くと神霊法の起源や神秘を示す例は枚挙にいとまがないものです
しかしこれらの神典を普通に読んでいただけではその起源や神秘には到底に氣づくことは出来ないものです

簡単な例では伊邪那岐の命と伊邪那美の命の二神が漂える国を修理固成し給う時に淤能碁呂島に天降りました時に以下のように給いました

天之御柱を見立て
八尋殿を見立て

ここで云うところの見立てについて一般的にはよく見届けて立てるなどと云う様な意味に解釈される場合があります
しかし神霊学に精通する者であればここで云うところの見るとはそこに事物を顕現させると云うことが内包出来ます
そして二神のこの見立てとは凝念観想することによって天之御柱を出現させ尚且つ八尋殿を今そこに現成させ給われたと云うことを示してます

更にもう一つの例では五感に認識できない無形を神留りますと言葉で顕わします
この無形の存在を氣・霊・神と云います
そしてこの無形の存在が凝結して体となりそれを以て有形のものに感応させ影響を及ぼすことを力と云います
更にこれが散じて無形の存在へと還ります

ここで大切なのは目の前の言葉を人知(思考・観念・知識・意識・感情)を手放しそこに示された言葉をそのまま丸ごと受けとることが最初の第一歩となります
これにより自分自身の心魂からの素直さに還ることや自己の身魂を磨く一番初歩的な選択や動作にもなります
これを心読と云います

しかし多くの方が目の前の言葉を一度そのまま丸ごと受けとらずに人知(思考・観念・知識・意識・感情)からの反応を以て直ぐに何らかの反応をしたり直ぐに言葉を返し発したりしているものです
これでは心読の境地へは到底至らずましてや心魂からの素直さや身魂を磨くことも出来ないものです

これまでに古事記や日本書紀などの神典を単なる歴史的物語りとして読まれていた方はもう一度手に取って神典を心読しそこから霊悟することが肝要です
そして神典に相通じているのといないのとでは同じ神霊法を伝授されてもその玄旨を体得するに際してそして発動する際にも大きな違いが顕れます
言葉を枝葉末節に扱い用いるのではなく目の前の言葉を日々心読しそして神典へ相通じる身魂練磨を行ない続けることはとても大切なことです

言葉の力を人知の為に利用しているだけではその言葉は言霊とは到底なり得ないものです
言葉の力を自己の身魂磨きの為に活用することからその言葉が無形から有形の言霊として発動されるものです

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