「大避神社(おおさけじんじゃ)と三柱鳥居」


岡山県和気町周辺には3世紀から7世紀にかけての大小100基以上の古墳が見つかってます
押部・掛ノ山・千畳座・大明神・稲坪・丸山古墳など鉄精錬をした製鉄跡も数多く見つかってます
和気氏の配下には金属生産に従う帰化者が多かったとされていて備前・美作地方は銅鉄の生産地として有名でした
これは秦氏が深く関係していたと云われてます

播磨国赤穂郡辺りには大避神社が沢山ありこれは秦氏の神社であり播磨国西部から備前国東部にかけては古来秦氏の一大活躍拠点とされてきたました
秦氏は山背国葛野郡太秦氏とも非常に密な関係があったと云われてます
和気氏は殖産的金属製造技術を秦氏と関係しながら育成して発展してきた氏族だったのであり土豪の和気氏の原点です

「大避神社(おおさけじんじゃ)」
兵庫県赤穂市坂越(さこし)にある神社

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創建は大化三年(647年)以降であり秦氏は秦始皇帝の子孫の功満王・弓月王の渡来にはじまると云う伝承をもってます
宝珠山の中腹に上から妙見寺と大避神社があり坂越湾に秦河勝を葬ったと云われる生島があります
秦河勝は皇極二年(643年)の蘇我入鹿の乱を避けて難波から船で坂越の生島に逃れ来たと云われ播磨の揖保・赤穂・賀茂郡のは秦氏が居住しておりその縁を以ての赤穂入りしたと伝えられています
没後は生島に葬むられ子孫が神として祀ったと云われてます

大避神社の西すぐに南朝之皇族小倉御前の墓と墓標が立つお墓があります
後世の赤穂浪士を生んだアジールです

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京都府京都市右京区太秦蜂岡町には大酒(辟)神社があります

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古代太秦は秦氏の勢力に治められていました
大辟神社の主祭神は二千年前の中国の秦始皇帝であり功績のあったその子孫の功満王・弓月王を併せ奉ったと伝えられてます
大酒神社ではなく大避神社と書かれ後に避(サケ)を酒に変えられたと伝えられてます

「秦酒公(はたのさけのきみ)」
5世紀頃の人物であり秦始皇帝の末裔とされ雄略天皇(456~479在位)に重用され初の大蔵長官に抜擢されたとも云われてます

大避神社を中国語では避をビと読み大避を中国語で読むとダビになりダビデの中国式の表記です
大闢(だいびゃく)とはイスラエルの王ダビデを云います
大辟とは死刑と云う意味もあります

秦始皇帝の子孫が日本で大勢力をもっていたことは日本人のルーツそのものに影響することになります
秦氏系は関東では秦野・八王子・調布・飯能・桐生・秩父・足利などに大集団がいたと云われてます
養蚕に縁が深くそれぞれの土地の古社は秦族の養蚕の収益で造営されていて秦氏は九州・四国・中国・信州などにも広く分布した最大の氏族でもありました

宇佐八幡宮・松尾大社・金刀比羅宮・伏見稲荷大社なども秦氏族の勧請と云われてます

大酒神社の近くに広隆寺がありその程近くには蚕の社と云う神社があります
正式名称は木嶋座天照御魂神社(このしまにいますあまてるみたま)神社と云い養蚕(こかい)神社を合祀しているので蚕の社と云われます

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蚕の社の境内にはきれいな清水が湧き出す泉がありちょうど池のようになっている場所に柱が3本立っている三柱鳥居があります

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