八光と王国

神道とは心道であり己の魂こそ神からいただいたものであり永遠の神への道を歩み続けるものであり外に神を見ようとしても見えず内にしか神は顕れず外に神を求めることは分離です
ワレ神なりの確認と実行こそ心道であり神道であり天命即人事こそ神道の本意です
ワレ(吾)とは数霊「5/五」に口と書き五大の身体と五指を持つ言霊の操作者が吾であり操作とは神意を言の葉(波)に載せて放ち三六九現象をつくることを云いこのことを自覚して心を加えて悟とも変容します

<吾から放つ八光>
     凝(九)
 世(四)   分(二)
     ↖↑↗
身(三)←【吾】→成(七)
     ↙↓↘
 弥(八)   睦(六)
     霊(一)

吾を主軸に置いた乾(ケン)・兌(ダ)・離(リ)・巽(ソン)・震(シン)・坎(カン)・艮(ゴン)・坤(コン)の方位八方への天意(アイ)の放出となります
外に求める神はなくワレ神なりの自覚がもとよりヒフミヨイの現象界の成立過程を意(大生命意思の形質を持つ子神)の観点で把持してムナヤコトと形而上の魂の進化にむけて意を放ち八光とは大生命意思の基本波動です

1・2・3・4・吾・6・7・8・9

<宇宙玄律八光>
      九(純正)
   四(愛)   二(調和)
       ↖↑↗
三(勇氣)←【悟性】→七(信念)
       ↙↓↘
  八(希望)   六(創造)
      一(進化)

+:陰
×:陽
+・×:合一

+++

物質界:(3×3)→総数「9」
形成界:(3×3)×(3×3)=9×9→総数「81」
創造界:(3×3)×(3×3)×(3×3)=27×27→総数「729」
流出界:(3×3)×(3×3)×(3×3)×(3×3)=81×81→総数「6561」

九九の数完(まっと)うし魔は尽(ことごとく)滅ぶこと
三三の行満ちて道は根に帰すこと

「物質界の王国」
神武天皇が天降りた倭国:15→6
幕屋に神が臨在するダビデ王国:15→6
神殿に悪魔を召喚させるソロモン王国:6

「形成界の王国」
大国主神が八十神を治めた葦原中国:369
九州の水土を治めた禹王の夏王国:369

物質界の王国とは神武天皇が天降りた倭国とイスラエルの幕屋に神様が臨在するダビデ王国と死の樹に至ると神殿に悪魔を召喚させるソロモン王国です
「右の手あるいは額に刻印を押させ この刻印はその獣の名 またはその名の数字のことである その数字とは人間をさすものである そしてその数字は六六六である」
九九の数完(まっと)うし魔は尽(ことごとく)滅ぶ九×九の形成界の王国とは大国主神が八十神(やそかみ)を治めた葦原中国と九州の水土を治めた禹王の夏王国です

+++

「天之八十毘羅訶(あめのやそびらか)」
神様に供える平たいお皿であり神様の思いが生命の樹の王冠の魂に顕れ流れます
その思いが生命の樹全体へ行き渡り美の魂で陰陽を均衡すると崇神天皇の生命の樹は蘇りました
八十は王を除いた神様の総数と云われ生命の樹全体とし倭(やまと)再生を祈念して天之八十毘羅訶はつくられました
天之八十毘羅訶に供える神饌は言霊であり神官や参拝者は基礎としてのまごころと美としての調和と王冠としての統制を持って祝詞を挙げなければ神様と通じることは出来ません
天神地祇の社を定め祀ったと云うのは宮中で祀られていた三種の神器を止めて天神としての伊勢の宮に鏡と剣を地祇としての三輪の宮に玉を祀ったことをいいます
後に剣は倭建命(やまとたけるのみこと)により熱田の宮で祀られることになります

+++

<火-赤>
墨坂神(すみさかのかみ)

<北-黒>
大坂神(おほさかのかみ)
崇神天皇を通じて罪穢れを祓う美の魂に見立てられ楯と矛の生命の樹の依り代とされて陰陽を顕わします
宇陀の地は辰砂が採れるので赤色に大坂の地は四神相応の対として黒色にしました
本来は赤と黒は対立しますが黄色にあたる崇神天皇(中央)を通じて調和されるのです

<金-白>
坂之御尾神(さかのみをのかみ)
尾があるので対の女神となり美の魂で縦糸と横糸で生命の樹を綾成す機織女に見立てられ四神相応では白色の白虎になります

<東-青>
河瀬神(かはせのかみ)
神様の顕れを音霊としてまた生命の樹の上の顔から下の顔へ神様の思いが流れ下る場所としての美の魂になり四神相応では青色の青龍になり坂之御尾神と河瀬神も黄色にあたる崇神天皇を通じて調和されます

崇神天皇は形成界の生命の樹を完成させ日子として天照大御神をお祀りしました

<四神相応>
        北(玄武:黒)
金(白虎:白)中央(王子:黄)東(青龍:青)
        火(朱雀:赤)

+++

天竺より御仏来たりて数霊の幸いなる国と成り
周の国より王族来たりて文字霊の幸いなる国と成り
その元の倭国は言霊の幸いなる国と成り

味酒(うまさけ)
三輪の山
青丹(あおに)よし
奈良の山の
山の際(ま)に
い隠るまで
道の隈
い積るまでに
つばらにも
見つつ行かむを
しばしばも
見放けむ山を
情(こころなく)
雲の
隠さふべしや

鈴木慧星 SUZUKI Satose
Shamanism Consulting.

略歴経歴

t  f  g  m

関連記事一覧

鈴木慧星 BLOG の知的財産権・プライバシー権・肖像権・パブリシティー権等その他の権利または利益を侵害する行為等を一切禁止します

鈴木慧星 BLOG ではソーシャルメディアサービスに関するポリシーと利用規約ならびにルールとマナーに違反する行為等を一切禁止します