「言霊学の回帰」


「易経」
形而上は之を道と謂い
形而下は之を器と謂う
精神的な真理を道と謂いその内容を器物で象徴したものを器と謂う

「三種の神器」
剣(つるぎ)草薙剣
玉(たま)八尺瓊勾(曲)玉
鏡(かがみ)八咫の鏡
すべて器です

二千年前の崇神天皇の時に皇祖皇宗の壮大な人類歴史創造の御経論の下に人類の第二物質科学文明創造のための方便として言霊の布斗麻邇原理は社会の表面から隠没しました
物質科学文明の完成の暁には再び言霊の原理はこの世に復活することになります
それは旧官幣大社の祭礼時に天皇家より賜る御下賜品の構造の言霊学の内容がすべてです

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仏教禅宗「無字の行」
参禅は須(すべか)らく祖師の関を透るべし
妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す
如何(いかん)が是祖師の関
只だ者(こ)の一箇の無の字
及ち宗門の一関なり

人はこの世に生まれて来た時には何らの知識も持たない
自我意識もない生長するにつれて「ああすればこうなる」「こうすればああなる」と云う経験知識を身につける
更に大きくなるとその身につけた経験知識の総合体を自我だと思い込むと同時に何事の判断もその自我の経験知識を基準として生活するようになる
ところが経験知識は人によって千差万別である
だから物事の判断も人によって違って来る
論争が起り論争はお互いの自我意識を強め闘争が激しくなる
小は夫婦間の争いから大にしては国家間の戦争をも惹起する
人間の悩みの原因は大方其処にあろう
自我意識が本来の人自体であるのではない
人は宇宙から生まれた宇宙の子である
神の子・仏の子である
自我意識とは生まれてから身につけた経験知識の総合体を自分自身だと錯覚した虚妄の自分であるに過ぎない
禅宗の無字の行とは心中に蟠(わだかま)るこの自我意識を構成する自分が身につけた経験知識を無(ノー)と否定して行く事である
心が覚え信用して考えごとの鏡とした経験知識を一つ一つ否定し終には生まれたままの赤ん坊の心に帰って行く退歩の学問である
無字の行とはどんな立派な信念・信条でもそれが立派だと思えば思う程その否定は大切なのです
如何に立派な事でもそれが胸中にある限り無字で云うところの無一物ではあり得ません

マタイ伝より
「汝等 飜(ひるがえ)りて幼児の如くならざれば 天国に入るを得ず」
自分の心の中にある経験知識を「使わない」と宣言しただけでは足りません

「煩悩(ぼんのう)即菩提(ぼだい)」
虚妄の自我から主張され他との争いの原因となる各自の経験知識(煩悩)も無字の反省によって退歩の学によって悟った本来の自己と宇宙の子であり神仏の子としての眼で見るならばその経験知識は形も内容も一切そのままで菩提(さとり)の言葉に生まれ変わると云うことです
林の中の枝が垂れ下がった暗い氣味の悪い夜の道も朝日が昇れば新緑もまばゆい氣持のよい散歩道だと知る事が出来ます
古神道では死を説く事がありません
死はなく人が肉体を失った後の生とは言葉であり肉体を持っていた時にその人が発した言葉として永遠の生を生きる事となります
現在に生きる人々の心の中に生きるのです
心中に蟠(わだかま)る経験知識を無字によって否定しようとしても容易に主屋から引き下がることがないのは単なる知識ではなく心中に生きる先輩諸氏の生きた言葉であり忠孝の道徳の知識は二千年余以前の中国の孔子の儒教の心です
孔子がその人の中に住んで言葉として生きているのです
社会主義一辺倒の人の心中にはマルクスやエンゲルスが住んでます
地球上に肉体を持っていた人々はすべてが同様に言葉として現在の中今に永遠の生を生き続けているのであり人は決して死ぬ事はなくこの事実を煩悩否定の行の中で言霊学が教えてくれてます
無字の行によって自我意識を超える時に言霊「ア」の愛の光の中に自我意識を形成していた言霊「ウ・オ」が包まれていた事を知りそれは人間天与の判断力の柱が言霊「ウ・オ・ア」と立った事です
人は宇宙の子であり神の子であると知り得ます
言霊「ウ・オ・ア」の心の柱が立つ時に言霊「ア」の次元の光の内容である言霊「イ」の五十音の言霊と言霊「エ」のその言霊の布斗麻邇原理の活用法を同時に知ることになります
言霊「ウ・オ・ア・エ・イ」と並ぶ人間の心の進化の全段階の自覚が完成します
言霊「イ」と言霊「エ」は人類文明創造の原理であり人類一万年の歴史の真相を知る事が出来きます
この時人々は宇宙の子であり神の子であると同時に日本の皇祖皇宗の人類文明創造の役割を分担している命(みこと)であり同志である事を知る事が出来きます
宗教に於ける個人の「安心」と同時に言霊学によって人類愛に根差した第三文明時代創造の使命(みこと)をも自覚することが出来きます
言霊「ア」字による無字の行は宗教的な行が単に虚なる自我意識よりする煩悩の克服であるのに対してその自我意識の内容である諸種の経験知識がそのままの姿で自らのイの道(いのち)である命(みこと)の生命が躍動する内容であり糧であると知る事が出来きます
自らの生命とは人類の過去一切の行為の表徴であり記録である言葉の総合体なのであり自分自らが全人類の生命と一つなのだと云う自覚に導いてくれます
天津日嗣スメラミコト(天皇)の出現を顕わしてます
古事記の禊祓の原理に基づき人が言霊「ア・イ・エ・オ・ウ」の天之御柱の自覚の下に全世界各地で生産される諸文化の一切を自らの精神的身体(御身/おおみま)としてその自らの禊祓(文明創造)を行う時に生命(いのち)が言霊「イ」の道である言霊「イ」に基づく言霊「エ」の実行に入る時に人は自らの生命の内容と実相を自らの中に直観する事が出来きます
生命が自らを知りそしてその生命とは言葉であり言霊なのであることを知る事となります

ヨハネ伝より
「太初(はじめ)に言あり 言は神と偕にあり 言は神なりき」
言葉(言霊)こそ生命なのであります

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宇宙が活動を起し中心の一点が動き出す言霊「ウ」から次々と活動が進展して一つの現象となって顕れるその活動を宇宙剖判と云います
剖は分れる判は分るであり剖れて行く活動が人間に理解されて言葉として分ると云うことです
分けるから分る日本語の言葉は巧みに出来てます
心中に去来する思考とは外界宇宙の星の数と同様に無数の種類があります
人が何かを見たり聞いたりする時には外なる客観世界と内なる主観世界とがあります
しかし外に見る世界である物質的宇宙は唯一つしかなく外界宇宙を見たり聞いたりしている内界の精神宇宙も唯一つです
万人が外界世界を観察しても常に同じ結果が出ると云う事です
外界宇宙は限りなく広く同様に内界の心の宇宙も限りなく広く両方とも無限の広さをもっていると云うことです
目を閉じて音を聞いている耳を両手で塞いで何も見えず何も聞こえなくなると外界宇宙の現象は無くなります
次にその外界を見で聞いていた内界の心の働きを一切止めてしまうと主観の内面宇宙の中の現象も無くなります
内外界宇宙両方の中の現象が無くなると両宇宙の境目と共に内外宇宙も消え自我と云う意識も薄れて無くなり唯一つの何も起っていない宇宙が唯一つ広がります
精神の働きも物質の現象も何一つ起っていない宇宙を古事記の冒頭に出て来る天地(あめつち)です
空々漠々として何も在せずただ何によっても把握することが出来ないエネルギーに満ちそこに何かの刺激が加わると次々にいろいろな出来事である森羅万象が生み出される大元(おおもと)の宇宙なのです
この宇宙を古事記では「天地」と呼んでいます
その中に何一つの存在も動きもない広大無限の宇宙の事でありこの宇宙が人間の生命の本体であり住家でもあります

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蝶は自然界に於て一生の間に形態的三段階の進化(幼虫→蛹→成虫)します
人間はその一生の間に形態的ではなく精神的な五段階の進化が可能です
人は元来基本的に五つの性能を授かってこの世に生れて来てます

進化の順
言霊「ウ」五官感覚に基づく欲望
言霊「オ」経験知
言霊「ア」感情
言霊「エ」実践英智
言霊「イ」生命意志
この五次元性能です

意志なければ進化は起らず言霊「ウ」の初段階の欲望の次元のみで一生を終る人が多いです

「大道廃れて仁義有り」
大道を行く者は平安であり
喜びであり
光である
誤って自我恣意の道に入り
暗黒の因果を繰り返す事勿れ

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「数霊(かずたま)」
文明の始まりは言葉と数と文字です
言葉と数と文字が備わっていない社会は文明社会とは云えず言葉を構成する究極の因子が人間によって自覚されたものを言霊と云います
言葉の最小要素であると同時に心の最小要素でもあるものである言霊です
言霊の動きを数を以て顕わしたものを数霊と云います
言葉は文明の母であり数は文明の父です
昔の日本語は母をいろはと云い父をかぞ(数)と云いました
人の心の本体である空々漠々たる宇宙の一点に何かが起ろうとするとき意識の芽(め)が芽生えます
この時が今でありこの所が此処です
宇宙の一点に於ける人間意識の芽生えを言霊「ウ」と云います
古事記での神名は天之御中主の神です
次に宇宙の一点に芽生えたもの心が起ると同時に一瞬にして言霊「ウ」の宇宙は言霊「ア・ワ」である高御産巣日の神と神産巣日の神である主体と客体の二つの宇宙に分れます
この一つの宇宙から二つの宇宙に分れる事を宇宙剖判と云います
分かれる前の言霊「ウ」は未剖の一枚(禅宗)であり分かれた後の言霊「ア・ワ」は剖判した二枚です
次の意識の段階で言霊「ア」の宇宙から言霊「オ・エ」の宇宙が言霊「ワ」の宇宙から言霊「ヲ・ヱ」の宇宙が剖判します
宇宙剖判の最初の言霊「ウ」から言霊「ア・ワ」を老子は「一・二を生じ 二・三を生じ 三・万物を生ず」と数霊を説いています
宇宙剖判の時の最初の三神の天之御中主の神・高御産巣日の神・神産巣日の神の事を造化三神と呼び宇宙内の万物を創造する原動力としています
最初の意識の芽である言霊「ウ」から言霊「ア・ワ」とに剖判する事を見落として言霊「ア・ワ」である見る主体と見られる客体という分離した時点から思考を展開すると言霊「オ」である天之常立の神が成立します
考えるとは神帰るの領域に入ると云うことです
その領域での思考は神である真実への果てしない永遠の復路の始まりでありここ三千年の人類の歴史はこの思考の真理模索の記録であり人は外に真理を求めてその真理を求める人自身を全くネグレクトしてしまいました
現代人は外に向って追究した物質科学文明の華やかな成果の重みに自分自身が押し潰される瀬戸際に立たされていると云うことです
人が道に迷ったと知ったら迷った原点である出発点に戻れば良く思考の出発点である言霊「ウ」言霊「ア・ワ」に剖判する前の意識の芽の一瞬の存在を見落とした事に氣付ければよいのです
空漠たる広い宇宙の一点に意識の芽である言霊「ウ」が生まれそれに人間の思考が加わる瞬間に言霊「ウ」の宇宙は言霊「ア・ワ」に分れてその三つの宇宙の自覚が宇宙生命の一切の創造を生みその創造されたものに名を附すと云う「万物創造」の原動力です
この最初の宇宙剖判の内容を自覚しない限り人間の最高の精神学である言霊の原理の運用・活用は出来得ない事です

天地の初発の時
高天原に成りませる神の名は
天之御中主の神
次に高御産巣日の神
次に神産巣日の神

古事記の冒頭の文章には人類の第三文明時代建設の起工式であり言霊「ウ」への自覚を経る事なき思考はすべて物事を対象として客体として捉えて創造する主体を見失った学問領域に入らざるを得ない事が最初の宇宙剖判の第一の命題でありその事を世の人に知らさんとして大本教教祖出口なお女史の神懸りの第一声が放たれました

大千世界
一度に開く梅の花
梅で開いて松で収める
神の国が来るぞ
今の代は
獣の世であるぞ

人間の心の究極の要素である言霊の動きを数で示したものが数霊であり言霊の自覚のないところに数霊の真実はなく言霊の運用のある所に常に数霊有りと云う訳です
数と数霊との相違とは自分自身が広い広い宇宙の中の一塵の如き存在であることそしてその一塵が今ここに生きている事の如何に有り難い事であるかを知る心でありこれを知る人は宇宙剖判の内容を自覚出来るようになります

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