「神(カミ)」


神(カミ)とは明らかに見ると云う心の動きから出てきた言葉です

神と云う言葉は永遠のように扱われていますが神を拝む対象としたり人間世界と神の世界と云う表現で使われ出したのは約3千年前からであり神を得体の知れない存在としてまつりあげたのは2~3千年前のことでありそれ以前は火を見る(カ・ミ)と云うように明らかに見るものに用いられていました
雷を感じ風力によろけ喜びに歓喜しても自分に明らかに感じられ受け入れられている時には自分の思い感じ考えることがカミであり自分の火を見ると云うことです
大自然には到底太刀打ちできないことを感じ受け入れる時にその感じていることは全く以て明瞭となります
疑問を持ち原因や理由を探り出すことで自分にあるものが対象化され外の事物に物象となって結ばれ自分にある同じカミが自分から離れ外物となり外物として成り立ち固定されることで自分の外にカミができます
人の持った疑問の数だけ外部にカミがつくられこれが現代の神であり意識の反転です
神が顕れたり神体験をしたり交信をしたりと云ったこととはそれらの体験がその人に明らかに見られていることが重要でありその体験を外部のカミと結びつけることで得られたものを往々既得の記憶概念や知識に結んでしまうことが本来の神でなくなる要因です
神を自分の外にあるものとして立てるのではなく自分の内に立てる(ある)と云うことが大切です
あちら側にいる神を立てることと自分の内側に立てることとは同じ神です
吾の眼を自分の世界とし吾の眼を中心とし吾の眼で始めると神と自分とが同一の時点にいることに氣付きます

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神と同じ時点に立つ自分だけでは動きがなく神と同じ動きをするには宗教などでは神と同じ働きをすることが目標として掲げられますが掲げている目標は人の努力目標として時の経過の中に委ねられていて初発の働きは見出されても納得して終わることの了解がとれず現象としてあるものあるいはいるものと云うところから出発するためにそのものの宇宙の関心事をまず打ち立ててしまいます
その働きは関心事の獲得と云う形をとりその経過(上昇)が問題となり思惟構造にあっても経過と云うものは一部の区域の拡大されたものでしかなく全体を顕わしてなくこれが神の願う行為だと思い込みそれに評価が加わり直線的に事が進展する過程が設定されます
主体側の意識を相手や対象に向けて相手や対象を納得了解すると云う自分から相手や対象を巡り自分に循環することによって意識が成立し思考と行為とは螺旋の上昇循環となります
始まりであるのに先天が含まれ進展上昇するのに常に出発点を従えていて常に今の時間と現在の場所が含まれます
表現の代表的なものに言語があり螺旋の上昇循環を表現する言葉が言霊です
現代に取り上げられている言霊は言葉の魂として言葉の威光や霊力や良いとか悪いとか云われている言葉と云うような言葉の現象となっているものを指していて言霊の読み方は言葉の魂でありコト・ダマと濁ります
古来より古事記で云う言霊とはコト・タマです
言の形容として霊を付け加えたり意味を付加訂正することでコトダマと濁っていき解釈説明の時代と処による変遷変化に対応していますがコトタマと濁らないで読む本来の古事記のコトタマではコトの顕れとタマ(霊)の内容が一致したものであり霊(タマ)の内容とその顕れは言(コト)として表現されます

古事記の言霊(コトタマ)である冒頭の「三神と言霊」
言霊「ウ」天の御中主の神
言霊「ア」高御産巣日の神
言霊「ワ」神産巣日の神

「50音|瞬間・循環の順番」
17音
ウ・アワ・ヲオ・エヱ・チイキミシリヒニ・イヰ
10音
タトヨツテヤユエケメ
8音
クムスルソセホヘ
14音
フモハヌ・ラサロレノネカマナコ
1音

ウがンとなったときに今と云う瞬間が誕生します

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「天津太祝詞音図」
言霊「エ(選択)」中心

<天照す大御神音図>
アタカマハラナヤサワ
イチキミヒリニイシ㐄
エテケメヘレネエセヱ
オトコモホロノヨソヲ
ウツクムフルヌユスウ

古事記とはアマテラス大御神音図の形成に導き社会と世界を創造していこうとするものです
吾の目で目は眼球のことではなく網の目の目となり言霊循環上の各時点次元での吾の目を平面で示したものです
御中主は言霊「ウ」であり多くの音図にはそれぞれ現象を生む言霊「ウ」の位置が違います
音図には言霊「イネ」がありイの音(ね)であり現象を生み出すイの音があります
スメラミコトが田を耕すというのはイの音を耕すことあり大嘗祭でのゆき・すきとは音図を二分したときのそれぞれ中央に存在します
四十の子音を引き上げ四十づつ固定していくと五重(五十)の塔ができ言霊「ウ」とは柱の中に存在します
五重の塔と云う人の心が形つくられ各階には心がそれぞれ顕れ各階ごとに心の顕れは心柱の各階から出た窓となり窓から顔を出すには心柱を中心にして区切られた八つの床を通らなければならず心柱から出て八つのどれかの方向を選んでその先の窓へ到達して現象を眺める形となります
五十(重)の塔とは古代スメラミコトが仏陀に与えた五大(地水火風空・五行木火土金水)の教えが基本となっていて五層の塔とは心のアイウエオそのものであり全体を一つにまとめると頭頂にある九つの宝輪を通して十になり五母音(主=わたし)から五半母音(客=あなた)へと渡って世界へ羽ばたくと云う心の在り方を示しています
各階と心柱は固定されてなく心の次元世界を自由に行き来する事を現物の五重の塔にして示しています
昔の鳥居の形は奈良の三輪神社に遺されてます
二本の柱の間に注連縄を渡して五つの御幣を付けた鳥居であり注連縄には八父韻チイキミシリヒニと二本の柱のアとワで十となり十理です
十理の原理を以て五十葉(いは)である五十の言霊を組(く)んで澄(す)ます(楠)と音図が出来上がり言葉を了解することとなります

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