「親と子」


玄関先で母親が子供を叱り付けている

母親「何度云ったら分るのもう!しないって云ったでしょう!」
子供「・・・」
母親「こんなに泥を詰め込んじゃってぇ!だめったらダメ!」
子供「・・・」
母親「今度だけは承知しません!もうパパに云いつけてやる!!」

運動靴の中に泥んこを入れて怒られている子供の前で母親に呼ばれた父親が来ました
普段の父親でしたら「何やったんだ!!」と怒鳴り母親と共同戦線となりますがこの時は仕事のことでよいことがあり子供にやさしく語りかけました

父親「どうしてかなぁ?」
子供「ぼく かけっこすると ときどきクツがぬげちゃってまけちゃうんだ けど どろんこいれるととつよいんだよ!」

父親は静かに子供に聴いて良かったと思いもし怒鳴っていたら子供のそんな氣持ちや工夫なども分からないまま子供はしょげていたに違いないと思いました

人は子供の頃の思い込みや刷り込みから時に取り返しの付かない人生を展開してしまう場合があります
親の無意識や無頓着からの言動がその子供の生きいきとした人生を閉ざしてしまう場合もあります
どんなに勉強が出来てもどんなに成績優秀で一流大学に入っても心が豊かで無ければ何にもならないものです
親も子供も総じて心を聴くことが大切なことであり聴くとは耳偏に十分に四方に心を配ると書きます
学ぶ力はあっても心が貧しく愛に無頓着で調和の心もないと人生ではどうにもならないものです
親が平氣で子供を殺し子供が平氣で親を殺しホームレスを面白半分に殺し殺したらどうなるかなどの興味半分の殺しの狂氣時代とは感じる心を無視してきた教育と金権主義と事なかれ主義の社会の風潮からうまれます
あらゆる場面で人は学ぶ力をつけるように教育させられてきた反面感じる力を失っているものです

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国力が豊かになると文化は廃れ国民はダメになるものです
肥満と飽食の時代において日本も飽食の世相からあらゆるサプリメントなどが飛ぶように売れる時代となりやせ薬から胃薬・栄養剤まで世の中は医薬であふれかえり農業の現場では農薬と肥料から日本国土は薬ずけの有様となっています
その背景には飽食で腹一杯に満たしつつも国民総平均の約30%は食べ残しとなり食料供給とみかけの美食から農業では虫も食わない野菜をつくり栄養過多と薬漬けの文明病が今の世界先進国の姿です

飽食の時代において我慢をすると云うことが大人も子供もできなくなってます
食べ物を慎ましやかに感謝と祝福をもって頂けず満腹への欲求で餓鬼のように喰らいつきその後に医師の世話にもなり今や国民総医療費は約30兆円を超えています

肉食は農耕民族の日本人やアジア諸国民のDNAには本来合わないものであり食文化が崩れが肉食と飽食から獣の質を持ったキレル子供や親を殺す子供を輩出しています
古来より日本人は魚や植物などを大切に頂いてその命で生き永らえることから「頂きます」と感謝と祝福をもって食卓を囲みました

学ぶ文化とは物質経済中心の文明や生産効率優先の社会やモノあふれる飽食の生活を下支えしましたが同時に感じる心を忘れさせてしまいました

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忍耐の欠如とはモノの豊かさからきます
愛情とはモノを与えることではなく好き勝手な与え放題では子供は感じる心がなるものです
子供を叱ると子の反撃が怖いとか親が見て見ぬフリをしたり学校に我が子を押し付けたりしてやがて自堕落な子供が世に出ることになります

古来より日本には剣道・柔道・茶道・香道・合氣道などの道を尊ぶ修練のほかに舞踊・能・狂言・清元・常磐津などの芸道がありすべてはカタチからは入るものです
そのカタチから入って師匠を見習うことから礼節と云うカタチと挨拶が言霊の基本となります
そしてそのカタチを何度も何度も繰り返すことから新しい自分を発見していくものです

全ての道や芸道とは老熟の域でもなお遠く永遠の道であるがゆえ廸と表現されます
初学の時はおのずと礼節を知りそして我慢と云う忍耐力を養っていくものであり師匠や先輩を真似ることが真似ぶとなり学ぶと云う言語に変化し学ぶとは真似ることを云います

何事もまずはカタチを真似るために挨拶から入るものであり幼少時に礼節と忍耐力を養う武道・芸道に取り組むことはとても大切なことであり今もなお大和(倭)の古の香りが息づいてます

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子供と日常接していると仕草が親に似てドキッとすることもたまにあるものです
子供が口にするご飯の食べ残しを妻が拾い喰いをするのを見れば死んだ母親のありがたさが自ずとしのばれるものです
親を意識しありがたさを痛感することは子供から教えらることがとても多く親になってはじめて人や社会がよく見えてくるものです

ありがとうございます

そのありがとうとはお年玉を貰ったりクリスマスプレゼントや頂いたモノに対する返礼ではなく古来より大和(倭)の民は頂くモノにではなく差し出す相手の心に向かってありがとうと云い見えない意識の根源や心や霊性に反応し宇宙に向かって自己と云う存在の与えられた生命の奇跡をわれ有り難しと云いました

学ぶことも見えない意識が源でありしたいと云う心の動機があるから学ぶものです
そして感じる力がなければ誠の動機は生まれず学ぶ力も生まれず学ぶとは学業だけでなく芸道しかり料理しかり心の動機から出たしたいと云う対象一切です

学者になりたい政治家になりたいと云うのはそれなりの知識によってあとの道筋で要求されますが最も大切なのはなりたい・こうありたいと云う純粋な希望です
この希望や憧れを湧かせることが教育には必要不可欠です

大きな目標は自分でつくり出していくものですが親の役目とは子供が何かの目標を持つあるいはそうありたいと思いつかせる素材と環境を与えることです
教育は学校でが当たり前となっている家庭では親は子供に与えるべき最も大切なことを放棄していることになります

子供が学ぶ原点とは動機であり希望でありそれをコネあげる場は家庭にあります
心の希望がなければ学ぶことは拷問となるものです

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<感じる力>
こだわらない
執われない
偏らない
純正自己にたずねる
毎日実践する

20世紀は学ぶ力を文明の土台に据えて豊かなモノと自己主張の社会をつくり上げてきました
しかし感じる力がなければ文明文化の矛先は完全な進化の方向には向かわずモノがあっても愛がなければ空疎でありカネがあっても充実感がなければ虚ろであり学ぶ力があっても感じる力がなければ感動と感謝と祝福は生じません

アセンションと云われる精神の次元上昇とは四波に分かれ第二の波は2004年・第三波は2008年・第四の波は2012年そしてこれらの霊成型の完成が2016年です
霊主体従でなければアセンション期には獣人の肉体と脳は付いていけなくなります
その現象が現在の社会全体に表出していることは皆さまは既にご承知だと思います
感じてみましょう

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