「人(霊止)還りの道」167編


五百津真賢木を
根こじにこじて
上枝に八咫の勾璁の
五百津の御須麻琉の玉を取り着け
中枝に八咫の鏡を取りかけ
下枝に白丹寸手
青丹寸手を取り垂でて

これは今日の云ふところの神楽を示してます
伊勢神宮では昔から十二組の大神楽がありますがこれは岩屋戸開きのことをお示しになられてます

翁獅子(オキナジシ)
大きなおそろしい面をした獅子で刀を口にくはへ毛を下らしてます
眼は金・鼻の孔も金・歯も金で口を動かしとても恐ろしいものです
しかし頭の方は立派ですが後の方には尾も何もなくだんだら条のやうなものが入ってる布にすぎません
中には前後に人が入り互いに調子を合わせてあやつってます
これが獅子舞の真相です

今日の世界の外交術とは獅子舞のごとくです
表面は非常に大きな獅子口を開けて今にも噛みつきさうにしておそろしいやうでありますが中にはいって見ると人が獅子の口を開けて舞うてゐます

<大神楽の見方>

芸人が鞠を上げたり下したりするのは御霊の上り下りを示してます

両端に布切れのついた妙な棒を上げたり下げたりするのは世の中の柱が上のものは下敷きとなり下のものは上になりてゆくすなわち世の中の立替をすることを示してます

盆の上や傘の背に一文銭をころがせて一生懸命キリキリまはしてをるのは世の中が逼迫して一文の金も一生懸命に走りまはっていることを示してます
今日の世の中では千円の財産でもって一万円も二万円もの仕事をしてゐるので一朝経済界の変調が起るとポツリ運天がとまってしまふ工合に金融が切迫することを示してます

剣の舞は頭を地につけてそり身となって一生懸命にやってゐるのは危険な相互が傷つきたふれると云う戦争をしてをることを示してます

茶碗に水をつぎこみ長い細い竹の先にのせて下から芸人がキリキリまはしてをるのはあやふく茶碗が落ちたらポカンとわれ水がこぼれますが落ちないのはキリキリまはしてをる竹の要(カナメ)をにぎってをるためであり要とは中心の意でありいはゆる神であるからして引っくりかへらぬことを示してます

獅子舞姿でおやまの道中をしてをる真似をしますが今日の世の中のやうに男の頭の上に女が上ってをるうやうな工合になっていることを示してます
獅子の後持がおやまの道中で傘をさして妙な獅子舞をいたすのは今日の世の中やうに男が下になり女が上になってこれを使ってるのと同じことを示してます
そして獅子舞が達磨大師のまねをして足を下にして大の字になったり逆様にひっくり返ったり下になったりキリキリ舞をして上も大の字・中も大の字・後も大の字となりさかさまぢゃと申して一生懸命にこれを示してます

唖や聾のまねをして舞もせずに邪魔をする親父(オヤヂ)が芸人のまねをしては邪魔をしたりいらぬ口をたたいたり頭をポンとたたいたり突かれたりして笑はせるだけでなく大変な邪魔をします
これは今日の世の中において元老とか何とか云ふて若い屈強ざかりの者が一生懸命に芸当をやってゐるところへ口嘴を出したり邪魔をしたり時には頭をポンとやりさうして一番しまひには金をせしめることを示してます

そしてこの親父は芸をすませて「アバババ」と云うて帰ってしまいます
この言霊「アバババ」とはすべてのモノの終わりの意であり大船が海上で沈没をした時や開いた口がふさがらぬやうな困って失望したときやどうもこうも出来ぬやうな苦境におちいってしまった時を示してます

神楽舞のときに
囃子が太鼓を打つのは大砲や小銃弾や爆裂弾のひびきわたることを示してます
笛を吹くのはラッパを吹き立てることを示してます
銅鉢を左右の手に持ってチヤンチヤン鳴らし立てるのは世界が両方に別れてたがひに打合ふことを示してます

今日の世の中は大神楽をまはしてをる時です
これは神代の岩戸開きの神楽と今日の世の神楽とはよほど変ってをりますがその大精神においては同一です

・・・「人(霊止)還りの道」168編へつづく

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