人(霊止)還りの道 – 605編

人間は仮死状態の時もまた全く死の状態に入つた後も決して自分は霊肉脱離して霊界に来てゐるといふことを知らないものである
何ゆゑならば意思想念その他のすべての情動に何ら変移もなくかつ現界におけるがごとき種々煩雑なる覊絆なくあたかも小児のごとき情動に身をおくがゆゑである

これを思へば人間は現世において大神に背き真理を無視し社会に大害を与へざるかぎり死後は肉体上における慾望や概念すなはち自愛の悪念は払拭されその内分に属する善のみ自由に活動することを得るがゆゑに死後の安逸なる生涯を楽しむことが出来るのである

天国は上り難く地獄は落ち易しとある聖人がいつた
しかしながら人間は肉体のあるかぎりどうしても外的生涯と内的生涯との中間的境域にをらねばならぬ
故に肉体のあるうちにどうしても高天原に在る天人のごとき円満なる善を行ふことは出来ない
どうしても善悪混淆・美醜相交はる底の中有的生涯に甘んぜねばならぬ
大神はただちに生前の悪と善とを調べ悪の分子を取り去つてなるべく高天原へ救はむとなし給ふものである

ゆゑに人間は天国に上り易く地獄に落ち難しである
しかしながらこれは人(霊止)としての見解であつて今日のごとく虚偽と罪悪に充ちたる根底の国(地獄界)に籍をおける人間(ジンカン)はすでにすでに地獄の住民であるから生前においてこの地獄を脱却しせめて中有界(精霊界)なりと救はれておかねば死後の生涯を安楽ならしむることは不可能である

されど大神は至善至愛にましますがゆゑにいかなる人間(ジンカン)といへどもあらゆる方法手段を尽してこれを高天原に導き高天原の住民として霊界のために働かしめかつ楽しき生涯を送らしめむと念じ給ふのである

大神は宇宙を一個の人格者と看做してこれを統制し給ふがゆゑにいかなる悪人といへども一個人の身体の一部である
なにほど汚穢しいところでもそこに痛みを生じあるひは腫物などが出来た時はその一個人たる人間は種々の方法をつくしてこれを癒さむことを願ふやうに大神は根底の国(地獄界)に落ち行くすなはちわが肉体の一部分に発生する腫物や痛みどころを治さむと焦慮したまふは当然である

これをもつても大神がいかに人間をはじめ宇宙一切を吾が身のごとくにして愛し給ふかが判明するであらう

鈴木慧星 SUZUKI Satose
Shamanism Consulting.

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