「人(霊止)還りの道」591編


二種の愛の善と真との完全に具足したる高天原の天人にして大神の化身でもありまた分身でもありそしてある時は代表者としてその神格を肉体を通して発揮し給ふ人(霊止)は能く善に処し真に居りいかなる妖魅に出会するとも少しも汚されず犯されずしておのが天職を自由自在に発揮し得らるるものである

これに反して総て愛善と信真とを口にすれどもその内底は大神に向かつて閉塞され根底の国(地獄界)に向かつて開放されてゐる人間(ジンカン)のその称ふるところの善は残らず偽善である

偽善とは表面より見てすなはち大神を知らざる人の目に至善至徳のものと見ゆることがある
また至真至誠の言語と見ゆるもそれは総て根底の国(地獄界)に向かつてゐる精霊の迷ひより来たるものなるがゆゑに一切虚偽であり狂妄である

例へば雪隠の虫は糞尿の中を至上の天国となし楽園となしわが肉体の安住所としかつこの上なき清きもの美はしきものとなすがごとく根底の国(地獄界)に向かつて内底の開けたる人間(ジンカン)は至醜至穢なる泥濘塵芥および屍の累々たるところ臭氣紛々たる所をもつてこの上なき結構な所と看做すものである

その他には肉体として肉の目をもつて善悪美醜を判別する能力は欠いでゐない人間(ジンカン)はある時はほとんど善に近き行ひをなしまた真に相似せる言語を用ふることがある
けれども肝心の内底が根底の国(地獄界)に向かつてゐるのと外部より来たる自愛心と肉体的の兇党界の襲来とによつて常にその良心を誑惑さるるをもつて一定の善と真とに居ることは出来ずまた純然たる悪に居ることも出来得ないのである
しかしいづれもみな偽善なることはいふまでもない

・・・「人(霊止)還りの道」592編へつづく

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