「人(霊止)還りの道」66編


故ここに伊邪那岐命詔り給はく
愛しき我が那邇妹命や
子の一つ木に易へつるかも
と謂り給ひて
御枕べに葡匐ひ御足べにはらばひて
泣き給ふ時に
御涙に成りませる神は
香山の畝尾の木の下にます
御名は泣沢女神
故其の神去りましし伊邪那美神は
出雲の国と伯伎の国との堺
比婆の山に葬しまつりき

伊邪那岐命は国常立命の御後身たる御子であり天系霊系に属する神であり総ての万物を安有するために地球を修理固成されました

古事記において迦具土神が生まれたとは今日の交通機関や戦争や生産機関でも火力ばかりの世であり火の神様の荒ぶる世となりこの火の神を生んで地球の表現神たる伊邪那美命が神去りました
この世の中はほとんど生命がないのと同じく神去りましたような状態です

子の一つ木に易へつるかも

伊邪那美命は我が愛する地球が滅亡せむとしてをるのは迦具土神が生まれたことによる火力を以てする文明のためであり何ほど文明が進んでも世の中がこれでは何もならずそして地球には換へられぬと宣らせ給はりました

御枕べに葡匐ひ御足べにはらばひて

病人が腹這いになって死んだのを悔やむがごとく病人と同じく横になって寝息を考えたり手で撫でて見たり手の脈をとって見たり足の脈をとって見たりどこか上の方に生きた分子がないか頭に当たる所の生氣はないか日本魂が未だ残ってはいないかと調べ見給はれました

泣き給ふ時に
御涙に成りませる神は
香山の畝尾の木の下にます
御名は泣沢女神

殆ど死人同様で上流社会にも下等社会にも脈はなくどこにも生命はなくなっていて今日の世の中はそれの如く暖かみはなく冷酷なものでしかも道義心・公徳心が滅亡してそれを泣き悲しみ給ふ時にその涙の中に生れませる神の名を泣沢女神と云い大慈大悲の大神様が地上一切の生物を憐れみ玉ふところの同情の涙です
今日でも支那のある地方には泣女と云う言葉が残ってます

故其の神去りましし伊邪那美神は
出雲の国と伯伎の国との堺

出雲とは何処もと云うことでありまた雲出る国でもあります
今日の如く乱れきって上も下も四方八方は怪しい雲が包んでいると云うことです
伯伎の国とは掃きである雲霧を掃き払う秋戸の風で吹き払うことです
国を浄める精神と曇らす精神との堺である善悪正邪の分水嶺に立たれたと云うことです
今の世界は光輝ある神世の美しき楽しき黄金世界になるか絶滅するか根の国・底の国の地獄の世を現出するかの堺に立ってます

比婆の山に葬しまつりき

ヒとは霊系に属し赤い方である太陽の光線の意義です
バとはハとハを重ねたものであり悪いことを指し示してます
霊主体従と体主霊従との中間に立って神が時機を待たせられたと云うことです

・・・「人(霊止)還りの道」67編へつづく

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