人(霊止)還りの道 – 65編

<親子は一世>
何ほどの極道息子の親泣かせで親が愛想をつかしても親の門口は跨げることは出来ません
そして七生までの勘当だと云ったところでやはり親子は親子です
他人が自分に勘当するなら勘当するでよいです
しかし外に親を持ちますと云ったところで生んでくれた親は矢張り一つです
生きてる間は親子だが死んでしまえば親でも無く子でも無く赤の他人と云うような論法にもなりません
泣いても笑っても立っても転んでも親子とは一度よりありません
これが親子は一世の意です

断っても断れぬ
親子の縁

<夫婦は二世>
夫婦とは陰と陽です

鳴り鳴りて
なり余れる処
一処あり
鳴り鳴りて
なり合はざる処に
さしふたぎて
御子生むは如何に
と宣り給へば

しかよけむ
と応答し給ひき

夫婦とは世の初めです
誰の家庭にも夫婦がなければ円満なホームは作れません
そして夫婦の息(水火)が合って「オギヤ」と子が生れます
これを神霊天地創造の神業の御子生みと云います
そして子が出来ることで親となり親と云う名が生まれます
子の無い夫婦は親にはなれません

夫婦とは男女の息(水火)を合して天の星の数ほど此の地上に人を生み足はして真神大神の御用を助けることが肝要です
夫婦は寡夫や寡婦となっては神業が勤まらないために第二世の夫なり妻を娶るのことは神界より許されてます
しかし二世の妻が不幸にして中途で子が出来ず先に死んでしまったら夫はもう天命だと諦めることです
三回も妻を持つことは神界の天則に違反するからです
これが夫婦は二世の意です

已むを得ざれば
二人目の妻までは
是非なし

<主従は三世>
主人に仕へることは
師に仕へることなり

一旦主人と決めたら臣節を良く守り一大主人として仕えることです
しかし仕えた主人が万一悪神であったと氣が付いた時はその時こそ弊履を捨てるが如くその主人に暇を与え自らが次の主人を探すことです
しかしそのようにして三代目の主人に自らが仕えた時に最も悪い奴だとしても決して代えることは出来ません
こうなったら時は惟神に因縁だと度胸を据えて一大主人として仰ぐことです

三回まで主人を代え師匠を代えるのことはやむを得ずの場合のみ神界が限度を定めてます
それ以上は天則違反となります
これが主従は三世の意です

主従は
三度まで代へても
やむを得ず

鈴木慧星 SUZUKI Satose
Shamanism Consulting.

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