「人(霊止)還りの道」47編


神の道は人(霊止)の知識や考慮をもって伝ふべきものにあらず
真神大神は人(霊止)の口を籍りて甚深微妙の教理を説示したまうなり

真神大神とは
至善・至美・至仁・至愛の御方であり悪を憎み無慈悲を御嫌い遊ばします

いかに立派な賢い者でも真神大神の御智慧に比べてみれば実に恥かしいものです
そして災い多く悪魔の蔓延る今の世の中では無限絶対力におはします真神大神の力に依頼る他にはありません

多くの人間(ジンカン)が
自己の怨みを晴らそうと思うことは人情としては尤も同情なことです
しかし人(霊止)とは忍耐をしてその敵を赦してやらねばならないものです
そこが人(霊止)の尊いところであり真神大神の大御心に叶うものです

身魂の中には常に鬼や悪魔が出入りします
それで人(霊止)は生まれつきの直日の霊と云う立派な守護神と相談しよく省みなくてはならないものです

笑って暮らすも
泣いて暮らすも
怒って暮らすも
勇んで暮らすも
皆同じ一生です

仇を討つべき理由があり
本当に先方が悪ければ
真神大神はきっと仇を討って下さることでしょう

人(霊止)は何よりも忍耐と云うことが第一です

人を呪わず
人を審判かず

自分の運命を左右するも生きるも死するもみな真神大神の御手の中に握られてます
人(霊止)はただ真神大神の御心に任して行くことでこの世は安全となります

人間(ジンカン)としてこの世にあるかぎり真神大神の御目に止まるような善事をなすこは出来ません
人間(ジンカン)とは日夜罪悪を重ねてその罪の重みによって種々の因縁が結ばれてます

悪人だと思っても悪人ではなく真神大神に使われてる人(霊止)も居ます
善人だと思っても善人ではなく悪魔に使われてる人間(ジンカン)も居ます

善悪正邪とは到底に人智では判断できないものです

人(霊止)は常に惟神に任せ真神大神の御力に頼り安養浄土に救ってもらうことが人生の本意です

神霊天地の真神大神さま
貴神の深き広きその御恵と
尊き御稜威を世の中の迷える人々に宣伝し
神の国の福音を実現することを吾歓びとします

二つの眼を失った人間さへあるのに今ここに一つの眼を失い幸いにして一つの眼を与えて下さいました
失った一つの眼は物質界なる現実界を見ることは出来なくなりました
その代り心の眼は豁然として蓮の花の開くがごとく明らかになり三千世界に通達する霊力を与え下さいました
誠にもって神霊天地の真神大神に感謝を捧げます

この時に猛悪なりし乱暴者により一つの眼を失った北光天使は天岩戸開きにおいて偉勲を建てたる天之目一箇神の前身なり

この時の猛悪なりし乱暴者は衷心より真神大神に惟神に任せ給われる北光天使の慈心に感じ悔い改め神霊天地の真神大神の深き広きその御恵と尊き御稜威を世の中の迷える人々の宣伝に従事するなり

・・・「人(霊止)還りの道」48編へつづく

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