「人(霊止)還りの道」416編


ちよつと鏡を見て御覧
お前の顔は年の若いにも似ず
八十爺さまのやうな萎びやうだよ
チツと心の持ち方を変へなくちや駄目ですよ

あまり馬鹿らしくて
世の中が淋しくなり
何とはなしに不平の雲が襲つてきて
地の上に身をおく所もないやうな思ひがいたします
それにお前さま
あなたは今日に限つて
大変水々しい愉快さうな顔をしてゐるぢやありませぬか
〇〇博士の若返り法でも研究なさつたのですか
ただしはニコニコ雑誌でも耽読されたのですか
大変な変はりやうですワ

ニコニコ雑誌や若返り法ぐらゐで
さう俄かに元氣が出るものですか
そんな人間(ジンカン)の頭脳から捻り出した厄雑物で
どうしてこんな愉快な氣分になれるものですか

それなら何をすればよいのです
何だかそこら中がウヂウヂして来て
冬の冷たい日に雪隠の中へ突つ込まれたやうな
クソ面白くもない空氣に襲はれて仕方がありませぬ

お前さまは神様に対して
真の理解がないからだ
神様さへ理解すれば
すぐに私のやうに
地獄は忽ち化して天国の境域に進むことが出来るのだよ

神を理解せよといつたつて
人間の知慧には限りがあります
これだけ〇〇〇〇の尊き教を信じ
神々様を念じながら
狐につままれて馬鹿を見せられるのだから
わたしは神の存在を疑ひます

神の存在を認めず
神の救ひを忘れた時は
心身ともに衰耗廃絶するものだ
そして神の愛と神の信とに直接触れ
真に理解した時はたちまち歓喜の夕立
わが全身を浸し
霊肉ともに不老不死的に栄えるものだ

それでも苦労をいたせよ
苦労をいたさねば誠の花は咲かぬぞよ
と神様はおつしやるぢやありませぬか
世のため
人のため
道のために苦しみ且つ世を悲しむのは最善の人事ぢやありませぬか
わが身をすてて万民を救ふといふことは善事中の善事でせう
それだからわたしはどうなつてもいい
人さへ助かれば
それで人間の本分が尽せるもの
神様に対して忠実な御奉公だと確く信じてゐるのだ

お前さま
自分が不幸悲哀の淵に沈み
涙の生活を送りながら
どうして人が救へると思つてゐますか
まづ自己を救ひ
自己を了解した上で
始めて世を救ひ
道を伝ふる完全な神力が備はるぢやありませぬか
よう考へて御覧なさい

一方は神の仁慈に照らされてあたかも無碍光如来のやうな霊肉に変じいな向上し老人にも似合はず十七八の娘のやうな色つやを浮かべぽつてりと太りいきいきとしてゐる

一方は悲歎の淵に沈み万劫末代浮ぶ瀬のない八寒地獄の飢と寒さに泣く亡者のやうな容姿をさらし不安と不平の妖雲に包まれ頬や痩せこけ皺は網の目のごとく顔色青白く唇は紫色に変じ言葉さへもどことなく力失せピリピリと慄ひをののき冬の木の葉が凩にたたき落とされ雪に揮へてえもいはれぬ淋しみを感じたやうな悄然たる面を向けてゐる

実に信仰の光といふものは恐ろしいものである
同じ山の頂に降る雨も両半滴の降る場所によつてあるひは東に落ちあるひは西に落ち南に北に別れて落ち流るるごとく鵜の毛の端ほど違つても大変な距離のできるものである
この両人はあたかも峠の上に降つた雨であり一方は恵みの雨は天より降るものだといふことを自覚し旭に向かつて流れねばなく一方は自分の知慧や力や考察力や苦労の結果で自分の身体から自由自在に雨を降らし得るものと考へどうしても夕日の方に向かつて流れ落ちねばならない境遇になつてゐた

善悪正邪の分水嶺上に降る雨はどうしても天から降らねばならぬ
決して人間の身体から雨は降るものでない
ここに惟神と人ながらの区別がつく所以であり悟ると悟らざるとの区別がついて来るのである

・・・「人(霊止)還りの道」417編へつづく

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