茶の湯は十三手前を根本にして諸々の手前はこの中にあるのです
そしてまた許可(ユルシ)の手前といふところまで稽古が進むと技芸が広くて色々に分れます
これ新民の場にして
品々変りあり
手前はその心を選択するの謂であります
古東山殿より千の利休および現代に至つて其の命維れ新しく拙者の教ふるところは真台七段は允可至極なり
徳を明らかにするを本となし民を明らかにするを末とするが故に茶の湯なるものは仲通を本となし手前を末となすのです
されば七段はその目の大なるものです
ここにおいてその精美を極め皆以てその止まる所を知る時は少しの疑もなし
ゆゑに私の教へるのを茶の湯の真台子(シンダイス)と申します
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