饒速日尊(ニギハヤヒ)|丹波王国統一

古の時代の旧丹波国(丹波・丹後)地域には丹波王国が存在してました

秦の時代の中国には徐福(じょふく)と云う人物がいました
徐福の一派である豊受大神がこの地に上陸し先端技術を駆使して強大な王国を建設したと云われてます
丹波王国は先進技術を持ち強大な王国であり統一は至難を極めるはずでありましたが高皇産霊神と同じ徐福系でありしかも高皇産霊神と頻繁に連絡を取り合っていたので比較的統一は容易なことであったと云われてます
この地域は重要拠点となり饒速日尊に少しでも早く統一させる必要がありました
讃岐国琴平を拠点として瀬戸内海沿岸地方を統治していた饒速日尊を出雲に呼び戻し素盞嗚尊(スサノヲ)は丹波王国を統一せよとの命令をしました
饒速日尊は自らの生誕地である須佐神社の地を拠点として丹波王国へ出発する準備をしてました
この時に饒速日尊と妻の三穂津姫(ミホツヒメ)との間に長子である味鋤高彦根命(アヂスキタカヒコネ・アヂシキタカヒコネ)が誕生してます
饒速日尊はこの子を出雲に預けて丹波国に向けて出発しました

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<統一時期の推定>
但馬古事記によると天火明命(饒速日尊)が大和に天孫降臨する前に但馬国に降臨したと伝えられてます

天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひ)は天照大神の勅を奉じ天祖の高皇産霊神より十種瑞宝(奥津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死去玉・足玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼)を授かり妃天道姫命と与(とも)に坂戸天物部命・二田天物部命・嶋戸天物部命・両槻天物部命・垂樋天物部命・天磐船長命・天船山命・天楫取部命・稲年饒穂命・長饒穂命・佐久津彦命・佐々宇良毘売命・佐々宇良毘古命・佐伎津彦命等を率い天磐船に乗り真名井原に降りて豊受姫命より五穀蚕桑の種子を穫て射狭那子獄(比治山)に就き真名井を堀り稲の水種や麦菽黍粟の陸種を為べくこれを国の長田・狭田に植え昼夜生井・栄井の水を灌ぐすなわち其の秋瑞穂の稲の可美稲野面に充ち狭し豊受姫命はこれを見て大いに歓喜びて曰し給わく「あなに愛やし命これを田庭に植えたり」と然る後豊受姫命は天熊人命をして天火明命に従って田作りの御業を補佐けしめ而して後に高天原に上り給いその後に天火明命は五穀蚕桑の道を顕国(うつしくに)に起こし大いに蒼生を幸い給いこの時の国作の大己貴命・少彦名命・蒼魂命は諸国を巡り視て高志(こし)国に駐り天火明命を召して曰く「汝命 この国を領(うしは)き知るべし」と天火明命は大いに歓びて曰く「永世なり青雲志楽国と」此の地を名づけて「志楽国」と云いました

(中略)

天火明命は神功既に終り徳また大いなり美伊・小田井・佐々前・屋岡・比地の県を巡り視て田庭津国を経て河内に入り哮峯に止まり大和跡見(とみ)の白庭山に至ります
跡見酋長の長髄彦の妹の御炊屋姫命を娶り宇麻志摩遅命を生み天火明命は高天原に在ります時に天道姫命を娶り天香久山命を生み天香久山命は天村雲命を生み

(以下略)

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素盞嗚尊が日本列島統一事業を始め統一した順番は出雲→瀬戸内沿岸→北九州→南九州→紀伊国で紀伊国統一がAD15年頃です
その間に大国主命が伯耆・因幡国を統一してます
AD20年頃より大国主命が北陸地方を統一してます
この統一領域で丹後地域だけが抜けてます

饒速日尊が高皇産霊神と協力関係になったのは北九州統一の時(AD10年頃)です
その後に饒速日尊は南九州統一に参加してます
この後AD20年頃にマレビト探しのために北九州を巡回していて饒速日尊が丹後地域に降臨したのはAD15年頃と推定されます
天道姫命(三穂津姫)と共に一団を引き連れて降臨しました

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<統一方法の推定>

但馬故事記の伝承にある豊受姫とは豊受大神がまとめた丹後国の国王です
丹後国は豊受大神の血を引いた人物が歴代の国王になっていたと云われてます
豊受姫と云う女王です

饒速日尊がやってきた時に丹後国王の豊受姫命があっさりと饒速日尊を受け入れてます
これは高皇産霊神の援助があったと云われてます
高皇産霊神が徐福の子孫であり徐福の子孫はこの当時全国に散らばっていて豊受姫も徐福の子孫とだった云われていて高皇産霊神と連携を持っていました
高皇産霊神は素盞嗚尊の日本列島統一構想に強く同意し高皇産霊神が主体となって統一事業を指示していました
日本全国各地の徐福の子孫に饒速日尊の統一提案を受け入れるように指示が回っていたと云われてます

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籠神社の地で祖神の豊受大神を祭祀しました
これにより丹後国民も日本列島統一構想に同意するに至ったと云われてます
大国主命がこの地を通過して越(こし)国の統一を実現しました
越(こし)国は後に倭国から日本国に所属替えが起こっており饒速日尊は越国を引き継いでます
饒速日尊はその後において但馬国を統一したと云われてます

丹後・但馬国一帯が統一完了になったころ(AD20年頃)北九州の高皇産霊神から帰還命令が下り北九州に戻ってマレビトを集めて天孫降臨団を編成して大和に下ることになったと云われてます

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「籠(この)神社の伝承」
丹後一宮である籠神社には数多くの伝承が伝わってます

(1)彦火明命が丹後の地に降臨され眞名井神社に元初の神の豊受大神をお祀りされた
天ノヨサヅラ(ひょうたん)に天の眞名井の御神水を入れてお供えされたのでこの宮を吉佐(ヨサ)宮と云います

(2)豊受大神・亦名・天御中主神・国常立尊その御顕現の神を倉稲魂命(稲荷大神)と申しました

(3)神代に彦火火出見命(別名:彦火明命)が籠船にて龍宮(海神の宮)へ行かれたとの伝承から籠宮と云われてます

(4)彦火明命・亦名・天火明・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日尊は極秘伝に依れば同命は山城の賀茂別雷神と異名同神でありその御祖の大神(下鴨)も併せ祀られたとも伝えられてます

(5)彦火明命は天孫として天祖から息津鏡・辺津鏡を賜り大和国及び河内・丹波(丹後)地方にお降りになってこれらの地方を開発せられた丹波国造の祖神であると云われてます

(6)古伝に依れば十種神宝を将来された天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊であると云い彦火火出見命の御弟の火明命と云い更に大汝命の御子であると云われてます

(7)豊受大神は御饌津神とも申され・・・(中略)・・御饌津神は天照大御神が崇祭された大神であると云われてます

(8)2面の伝世鏡・息津鏡(後漢鏡AD30年頃)と辺津鏡(前漢鏡BC70年頃)が存在してます

(9)当宮の東方海上20km余に彦火明命がお后の市杵島姫命と最初に天降ったと伝えられる冠島があります

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「彦火明命(ひこほあかり)」
饒速日尊の正式名称が天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊です
但馬故事記の彦火明命の天孫降臨と先代旧事本紀の饒速日尊の天孫降臨を比較すると饒速日尊=彦火明命です
饒速日尊は神社伝承によれば素盞嗚尊の子の大歳命と同一人物であり籠神社では天忍穂耳命の子で瓊々杵尊の兄と伝えられてます

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神社伝承をひも解くと実際に大規模降臨団を編成して集団移住(天孫降臨)をした人物は饒速日尊であり瓊々杵尊ではありません
饒速日尊は出雲系の人物であり日向系の人物ではありません
物部氏と蘇我氏が争い蘇我氏が勝利したことで物部氏の祖である饒速日尊は全国の神社から抹殺されてます
饒速日尊の天孫降臨実績を日向系の瓊々杵尊のものとしたと伝えられてます

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籠神社には正しい歴史が当時の中央政府の圧力により系図が書き換えられたと云われてます
饒速日尊=彦火明命とすると不自然なところがいくつか見られます

「籠神社の伝承」(8)より
彦火明命の后が市杵島姫(いちきしまひめ)とあるが市杵島姫の夫は猿田彦命です

「籠神社の伝承」(4)より
彦火明命は賀茂別雷神と同神と伝えられているが下記に示す通りこの神もまた猿田彦命です

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松尾大社に伝わる伝承では山城国・丹波国を開発した神は大山咋神(おおやまくいのみこと)になっている

丹波国鍬山神社・桑田神社・請田神社・村山神社の伝承を総合すると丹波国の湖を切り開き水を保津川に流し山城国を潤した神は大山咋命・市杵島姫・大山祇命・大己貴命となる
しかし大山祇命=大己貴命=饒速日尊となり大山咋命・市杵島姫・大山祇命が協力して湖を切り開いたことになる

桑田神社の御祭神の大山咋命・市杵島姫と鍬山(くわやま)神社の御祭神の大己貴命が協力したと記録されており大己貴命と大山咋命は別人である

大山咋命は大歳命(饒速日尊)の子であると古事記に記録されており市杵島姫と行動を共にしている

市杵島姫は宗像三女神のひとりであるが猿田彦命の妻となっている
このことは奈良市今御門町一番地の猿田彦神社では市杵島姫命が猿田彦命とともに妻神として祭られている
市杵島姫が猿田彦命の妻であり籠神社の彦火明命は市杵島姫を妻として伴っている

彦火明命=猿田彦命

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「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」
籠神社の伝承(4)より
彦火明命は賀茂別雷神と同神と伝えられてます
山城国一宮の賀茂別雷神社の主祭神です
父:乙訓社の雷神(火雷神=饒速日尊=丹塗矢)
母:玉依姫

賀茂之本地では味鋤高日子根神と同一視されており賀茂別雷命の父は松尾大社の大山咋神であるという説も存在してます

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<賀茂氏系図>

神皇産霊尊
-天神玉命
-天櫛玉命
-鴨建角身命┬鴨建玉依彦命-五十手美命-麻都躬之命-看香名男命
(八咫烏) |
      └-玉依姫命
      ├-賀茂別雷命
     火雷神(饒速日尊)

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「加毛神社(祭神:神別雷命)」
岐阜県安八郡輪之内町下大榑東井堰13017
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白髭明神と称せられ御祭神は別雷命(猿田彦命)です
賀茂別雷命は猿田彦命であることを意味してます
賀茂氏系図でも父の雷神=饒速日尊を意味していて賀茂別雷命はその子の猿田彦命を意味してます

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「鴨建角身命(八咫烏)」
伝承より建角身命は日向の高千穂の峰に天降られた神で神武天皇東遷の際熊野から大和への難路を先導しました八咫烏がすなわち御祭神の建角身命で大和平定に当たり数々の偉勲をたてられました
大和平定後に神は葛城の峰にとどまりついで山城国岡田賀茂(現在の加茂町-江戸時代までは賀茂村)に移られその後に洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まると伝えられてます

天神玉命(天活玉命=高天彦)は饒速日尊に従って大和に降臨し自身は葛城山周辺を任地としてその周辺を開拓したと云われてます
葛城山頂に高皇産霊神を祀り高天彦神社となり山頂付近は聖地高天原と呼ばれるようになりました

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島根半島の出雲大社では大国主命は本殿内で西向きに祀られております
参拝者は北向きに参拝するので参拝者は大国主命ではなく本殿背後にある素盞嗚尊の社を参拝している形になります
出雲大社でも本来の祭神は素盞嗚尊ではないかと云われています

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「丹波国一宮 出雲大神宮の伝承」

出雲大神宮の御祭神は大国主命・三穂津姫・少彦名命です
出雲神社などと称へ奉り建国の所由によって元出雲といわれるとあり縁結びの神と云うことも当宮を指し兵乱のない島根半島の大社は国譲り大国主大神も御一柱を祀る慰霊の社とも云われいます
そして三穂津姫命は高産霊尊の御女で大国主命の国譲りの砌天祖の命により后神となり給い天地結びの神即ち縁結びの由緒亦ここに発するもので俗称元出雲の所以です

日本建国は国譲りの神事に拠るところであります
しかし丹波の国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮です
出雲大神宮の背後の山は禁足地になっていて国常立尊の霊蹟であると伝えられてます
そして国常立尊の御陵であるとも云われてます
御陵であると国常立尊は豊受大神を示してます
豊受大神がこの地をおとずれここに住んでいたと云うことになります

饒速日尊が丹波国を統一したのはAD20年頃となり饒速日尊が日本国を建国する前です
これは丹波国が統一された時に丹波国は倭国連合に加盟していたことになります
そして猿田彦命が再びこの地にやってきた後に猿田彦命は出雲国の統治者となっていてこの地域は倭国(東倭)に所属していたことになります

この地域が大和朝廷の支配下に下ったのは丹後半島の野田川町の比丘尼城遺跡より突線紐式銅鐸が見つかってます
突線紐式銅鐸は倭の大乱の後に東日本を中心に広まっている銅鐸です
これは丹後半島が東倭の領域に含まれていたとしたら突線紐式銅鐸は出ないと云うことです
そして神武天皇東遷時には丹波国一帯は日本国に所属していたことになります

倭国から日本国への所属替えが起こった地域には紀伊国・越国があります
何れも大国主命が亡くなった後に倭国が東倭と西倭に分裂して所属替えが起こってます
出雲大神宮の地は国譲りまでは出雲国に統治されていたことになり所属替えが起こってからは日本国に統治されることになります
出雲大神宮の上之宮では素盞嗚尊が祀られてます

丹後で活躍した豊受大神の御陵があるこの神社の地では素盞嗚尊・饒速日尊・猿田彦命・大国主命が滞在してしていたことになります

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鈴木慧星 SUZUKI Satose
Shamanism Consulting.

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