「古代|天神」


古代|天神

私たち祖先は古来より山や木や岩あるいは風や火や水と云った自然の中に神の存在を感じて畏れ敬いました
そして同じ部族たちが飢え苦しむことが無いように農耕や狩猟や漁業の収穫などにおいて自然を神として祈り祀りました
これが天神の原型でありその後において農耕民族にとって大切な雨を降らす雷を天神として崇拝しました

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京都北野の地には古くから雷神を祀った天神社があります
続日本後紀には豊作を祈願して雷公を祀ったと記されていて現在の北野天満宮の本殿前にあるは火之御子社です
後に菅原道真(菅公)を北野にお祀りするようになったのは菅公が火雷天神と云う神号を持っていたからだと云われてます
菅公の生まれる前から農耕神としての天神を祀るお社が全国にありましたが天神と云うと菅公となったのは平安時代に盛んであった御霊信仰と菅公の悲劇的な死との結びつきが関係してます

御霊信仰+雷神信仰=天神信仰

御霊信仰とは奈良時代の末頃から広まったものであり権力闘争に敗れた貴族の怨霊が祟って疫病や天地異変が起こると信じられ民間だけでなく朝廷でも御霊会と云う祭りが行われました
怨霊の祟りを畏怖する風潮の中で903年2月25日に菅公が大宰府で亡くなり埋葬しようとした同時刻に京都で雷鳴がとどろき大地が揺れ動くと云う天災が発生したと云われてます
この年は日蝕・月蝕・旱魃・洪水・疫病などが相次ぎその後もいろいろな大変な出来事が起こりました
菅公の死後6年後に藤原菅根に続いて藤原時平も死去しさらには皇太子保明親王が21才の若さで薨去されました
親王の生母は時平の妹であり「世を挙げて云ふ 菅師の霊魂宿念のなすところなり」と菅公の怨霊のなせる業として畏れおののいたと云われてます
朝廷は菅公を元の右大臣に復し正二位を贈りかつての左遷の詔書も破棄し菅公の怨霊を鎮めようとして北野天神社に勅使を遣わせましたが凶変は収まらず清涼殿の落雷事故が起こりこの年の六月は日照りが続き公卿たちが清涼殿に集まり雨乞いの相談をしているときに愛宕山に黒雲が湧き雷鳴がして雷が落ち5人が死傷しました
そして醍醐天皇は病氣となり朱雀天皇に譲位されましたが一週間後に崩御され相次ぐ凶変に菅公の怨霊に対する恐怖は高まり藤原氏の謀略のため無実の罪を着せられ配所で無念の死を遂げた菅公への同情とその怨霊を鎮めなければならぬと云う声が広く民衆の間に広がりました

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天神信仰は天神(雷神)に対する信仰のことであり菅公を天神様として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことでありますが本来は天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではありませんでしたが菅公死後に火雷天神と呼ばれ雷神信仰と結びついたことなどを由来として菅公の神霊に対する信仰もまた天神信仰と称するようになりました
道賢上人冥途記では菅公を日本太政威徳天その使者を火雷神と記されていて社紋は梅に関係した紋がついてます

京都北野:北野天満宮天神
社紋:梅星

大宰府:天満大自在天神
社紋:梅花

東京:湯島天神
社紋:梅鉢

祟りの神として畏れられてきた天神様もやがて慈悲の神として信仰されるようになり菅公は雪冤の神(無実の罪を晴らしてくれる神)さらには優れた学問への才能から学問の神様と崇敬されるようになり天神信仰の人々は菅公のようにまず忠孝を先とし正直を旨として慈悲深く人を助け民を安んじることと北野事蹟に説かれてます

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雨は豊作をもたらす天神=雷とはもともと農業神でした
古代民衆の間では牛を殺して雨乞いをし平安初期には祟り神を祭るために牛を殺すようになり厄災を避け幸福を呼び込むために祭りました
神仏習合のため神号の天満天神とは別に大自在天+神=大自在天神や大威徳天+神=大威徳天神などとも呼ばれ大自在天・大威徳明王はともに密教の神でありそれぞれ白牛・水牛に乗っています
観音は33の姿で衆生の前に顕れると観音経(法華経)は説きますが大自在天もその一つです
ヒンドゥー教のシヴァ神である破壊と創造を司る神を仏教に取り込んだ姿であり雷を始めとする天変地異を引き起こす破壊力から神号に冠されたものと伝えられています
シヴァ神がナンディンと云う白牛を従えていて天神の本地仏(神の本当の姿とされる仏)が観音とされ菅公の観音信仰より大自在天に基づくと云われてます


生まれ故郷の天神社より

天神社は日本全国各地に祀られてます

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