「Body・Mind・Spirit」


Body:身体=肉宮
Mind:心=意識
Spirit:命=魂

身体の健康と心の健康と霊的な正しさを持った生き方がとても大切なことです
人はもとより肉の塊だけであるはずもなくそこに意識や喜怒哀楽と云った感性の世界(パトス)と同居してます
やりすぎや頑張りすぎなどの過度のストレスや逆に何もしない怠惰な精神とは同居している肉体細胞に悪い影響を与えます
心が先行して肉体細胞の異常をつくり病を誘い心が豊なら健全な肉体が維持できるものです
西洋医学では眼で見えるものだけを対象にした物質科学に依存して壊れた身体の機械部品を修理してます
東洋医学では陰陽五行と動と静と寒熱から大自然のバランスに対応し生命場の心の健康と肉体の健康の両方のバランスを診てます
霊的な健康とは心の上の高次の世界であり見える物質だけの世界の人にはあまり馴染みがないものです
物質科学が台頭する遥か昔より基教・儒教・回教・佛教・古神道などでは今ここに共にある存在についての研究がされてきました
心のもっとも深いところに生かしめている大きな存在を古の聖人君子は氣付いていて愛・法・和(融和)を生活の大元に据えてました
命とは生かされているすべての存在に創造から共通に与えられている生命エネルギーです
命は自分の中だけではなく同時に内から外にも繋り家族や地域社会とも繋がっていて大きな地球と云う巨大な命とも繋がってます
命とは魂であり高次な意識やコーザル意識やメンタル意識にも近い概念です
仏教にも六根を越えた未那耶識や阿羅耶識などの宇宙意識と云う高次な意識の概念があります
高次な意識と性質をSpiritや霊性と云い創造の意識の一部が命であり魂です
身体の内部に五感センサーと反射意識がありこれを五感六根と云います
六根とは意そのものであり情緒系を伴わない重い・熱い・痛い・まぶしいなどの単純反射意識です
仏教では意として心(意識)と分けてます
古神道では肉宮・玄胎(霊胎)・神胎とより精妙な波動意識体を云います
宇宙創造と通づる心の中核を純正自己と云ったり霊性と云ったり魂と云ったりします
自分の心には嘘はつけないとは自己の中核が純正自己であり純正・信念・希望・創造・愛・勇氣・進化(神化)・調和の八つの神霊波動を持つからです
自我の意識とは身体の五感センサーだけで物質世界を認めそれのみが真実として目では見えない愛や調和は認めない生き方であり我こそ・我よし・我のみの生き方として物質世界に拘泥しています

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モノ・カネ・肉体だけに縛られた社会では純粋な豊かさからの心を取り戻す必要があります
人生の基底にはモノ・カネではなく心の充実であり誰しも充実や喜びと云った幸せを求めるているものです
モノ・カネが十分にあっても瀕死の子供を身近にしていれば決して幸せではなく幸せの内容は心の状態にあります
幸せとは喜び・感動・感謝・充実・祝福に裏打ちされている見えない心の顕れです
心の本体である中核の純正自己から生きねば心は情動に流され執着し自己保存に動くものです
拘泥がなく独占がなく分離がなく比較がなくあるのは与える心と愛と調和と感謝と祝福です
幸せの喜び・感動・感謝・充実・祝福とはモノのように手では掴めない心の内容です
純正自己の意識とは愛・感謝・調和・祝福と進化(神化)への創造意識をあわせもつ人生の終着駅でもあります
心は充実し積極的に人生を生きることから心が豊かになり肉体細胞も健全性が維持されます
命とは愛し合い認め合い補い合いそして全ての命の連動的状態から広く大きなエネルギーの状態を云います
我こそ・我よし・我のみだからお金が集まらないモノに満足できないと苦悩・不安・怒りがフツと湧いてくるものであり自己保存もまた自己顕示であり自己維持の自我の意識が主体となっている個の思想です

これだけやったのに何故報いがない
ここまで努力したのに何故評価がない
過度な自尊心です

不平不満が高ずると相手が悪いことになりやがて怒りに変わり極度には奪う行為にも走るものです
建前では偽善や平静を装います
受け入れる余裕がないと人は短所に顕れるものです
純正自己から万物一体をまるごと受け入れる共生と愛からは怒りは決して生じないものです
あらゆる怒りは全て自我の意識から湧いて出てくることを知るべしです

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約2500年前に釈迦は生・老・病・死の四苦に加えてもう4つの苦しみがあることを説いていて四苦に4つの苦しみを合わせて八苦となります
愛別離苦(あいべつりく)とは愛する者と別れる苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく)とは憎く嫌いな人に会う苦しみ
求不得苦(ぐふとっく)とは欲しい物が手に入らない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは以上の四苦です
五蘊とは色・受・想・行・識から来るこだわりの苦しみであり人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身)で感じるものや心で感じるすべての物事にこだわりをつくる苦しみです
物質世界では四苦八苦として翻弄されてます
人は眼と云う可視光線域だけの視覚認識にとらわれ耳に入る耳障りのよい話か中傷論などで心が揺れ鼻の嗅覚による好き嫌いをもち舌による味覚の良し悪しで判断し身にかかる重さや熱感そしてこれら五感センサーによる物質世界の反応意識に振り回されているものです
純正自己の意識とは物質世界を超えた愛・調和・感謝と祝福の深い意識にあり仮に誹謗中傷を聞いたところで無意味な論として泰然自若としていられるものです
自我の意識であれば誹謗中傷には我慢できずに反論攻撃するかその場で黙っていても心にトゲが刺さったまま持ち帰ってその苦しみの尾を引きずるものです
ケンカとは当事者同士の双方の誤解が生むものでありこちらの話を誤解して白を黒と捉えた相手方そしてこちらも相手方の世界を誤解して決め付けた顕れです
片方の誤解だけなら話の次第で分かっても双方の誤解が物質世界の自我の意識同士のぶつかり合いとなるとケンカとなるのは必然です
ケンカ・怒り・不安・悲しみ・愚痴・文句・拒絶などは物質世界での自我の意識の執着と自己保存の顕れです
幸せとは喜び・感動・感謝・充実・祝福をあわせ持つことから嬉しい・楽しい・ウキウキ・ワクワクの心となるものです
日々瞬間瞬間一瞬一瞬の自我の意識を振り返り反省から自我の意識を手放し消し去ることからすべてをまるごと受け入れことで分離なく比較なくいわれのない干渉などには相手方の守護霊にそっとご苦労様ですと祈りを捧げてみるのもよいでしょう


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