「台湾|花蓮とギリシャ系倭人(アミ族)」


約400年前にポルトガルの船員が台湾の東部海岸を通過したときその美しさに見せられ「フォルモサ」と名づけました
古代には「奇莱」と呼ばれていて花蓮渓が荒れ狂う太平洋に東部海岸で流れ込むため「洄瀾」と呼ばれるようになり発音の似た「花蓮」に改められました

花蓮県の記録によれば
この地は元々「キライ」と呼ばれていましたが日本語の「嫌い」と同音であるため日本政府が20世紀初頭に「カレン」と改名しました
中華民国の国民党政権は20世紀中葉に標準中国語の「ホアリエン」に変更しました
中国語で「花蓮」は太平洋の何度も繰り返す波を意味する「洄瀾(ホェイラン)」と音が似てます

清朝の時代
漢民族が花蓮で大規模な開発を行いました
台湾が日本に割譲された後1895年6月に日本が花蓮港を占領しました
その後1945年10月25日に台湾は中華民国に返還されました

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「先史時代の原住民」
アミ族
タイヤル族
ブヌン族
平埔族

「アミ族」
原住民で最大の人口をもつアミ族は主に平地に居住し花蓮・台東地区の谷や太平洋岸の東部地区に住んでます
独自の生活習慣や文化をもっているアミ族の社会は母系社会で通常は一族で最年長の女性が家長となります

「タイヤル族」
タイヤル族は台湾の山間部に住んでおり主に花蓮県の3つの主な山村である秀林郷・万栄郷・卓渓郷に居住してます
言語はタイヤル語とセデック語に分かれ他の原住民の言語とはあまり似ていません
とうもろこし・米・サツマイモ・タロイモを主食としてます

「ブヌン族」
ブヌンとは「人」を意味します
ブヌン族は海抜1,000メートル以上の山間部に住んでます
狩猟によって生活しブヌン族の口承文学の伝統において狩猟は重要な役割を果たしてます
ブヌン族の陶器には印象的な幾何学模様が施されてます
ブヌン族には強固な音楽の伝統がありますが歌を長距離通信手段として使用したことにより発達した側面もあります

「平埔族」
平埔族は他の原住民に比べ最も遅く花蓮に到達した原住民です
元々は台湾西部地区に住んでいました
漢民族が花蓮に来たときその文化の強い影響を受けました
平埔族と漢民族との区別はほとんどつかなくなってます

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花蓮県瑞穂郷の舞鶴には石器時代の遺跡がありその二本の石柱はアミ族の発祥神話に関連付けられておりアミ族発祥の地とされてます
3000年前に台湾・沖縄を中心に「宝貝貨幣」を世界に供給して栄えたのは「琉球」です
その中核だったのが「バビロン」から来たカリエン=和人=高麗人です
彼等「エラム」出身者は「永良部島」と云ったように故郷の名を新居住地に残してます
それに続いてやってきたのがギリシャ人たちで彼等はインド系の住民から「ヨーナ」と呼ばれて「与那国島」の名を残しました
「アテナ」出身者は「嘉手納(かてな)」
「チラナ」出身者は「知覧」
地名文化財を南九州から南西諸島の至るところに残しました
その中でも最大のものが台湾(タイワン)と云う名もギリシャ人が「タイナロン」として記録しているものの遺物だったと云われてます

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台湾に現存するギリシャ系倭人(アミ族)とは
後からきた侵入者に追われて山地に住んでいる人々の中にはギリシャ系倭人たちがいます
その容貌・服装・家屋・言語・土器など実に多くのもののルーツがインド経由の地中海人だったことを示していると云われてます

臺は「ウティナ」で「沖縄」のことを顕します
湾は「ワニ」で「倭人」の唐代以後の読み方です

台湾はその頃「小琉球」と呼ばれてました
台湾とは「琉球人の国」と云う意味になります
「ヒメゴソ」と「オオヒルメ」が「太陽の光で身ごもった」と云う阿具沼伝承「かぐや姫」の原話も両方とも台湾に現存する昔話の中にあります

沖縄には今もアイヌ系の人たちと体格・顔かたちが非常によく似た人が多いです
その昔沖縄が「流求(りゅきゅう)」と書かれていたころ沖縄は「大リュウキュウ」と呼ばれその支配下にあって「小リュウキュウ」と呼ばれていた大きな島が台湾です

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昔「アイヌ系」の婦人が自分たち一族の誇るべき習慣として口の回りに入れていた大きな入れ墨と完全に同じ入れ墨をしている「アミ」と呼ばれる人々が今も居ます
アイヌ系の人たちとアミ系の人たちはそのほかにも口でくわえて演奏する口琴(ムックリ)など多くの同じ文化をもってます
三母音と云うのはマレー語の特徴だということであり沖縄民謡がインドネシアのメロディに非常によく似ていることは昔からよく知られていますが曲だけでなく歌詞の発音もまたよく似ています
そして古代マレー語を話す人たちが沖縄に住んでいてその言葉が今でも残ってます

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カリエンの人たちの都は今も花蓮(カリエン)港と呼ばれ鬼道=アショカ仏教の子孫も現存してます
台湾はソナカ仏教宣布団の重要拠点となりギリシヤ系インド人の子孫であるアミ族の人々やその系列に入る部族の人々が今も住んでます

「後漢書」「太平御覧」より
3世紀の呉人・沈瑩(チンエイ)の臨海水土誌が書かれた当時から17世紀の明未まで「流求=琉球」と呼ばれてました
その後は「小流求」になり沖縄が同時に「大流求」と呼ばれたので沖縄の支配下にあったことがわかります

明史稿の鶏龍伝(キールン)=「基隆(キールン」は平地アミ族の記録からは
勇を尊び奔馬のようにマラソンして一日百里を走る
男女とも髪を丁髷(ちょんまげ)に結い男は裸体で戦闘を好み勝者も死者も共に讃える
などと古代ギリシャ人+日本人に似た風俗を伝えてます

台湾のアミ族やタイ山地のアカ族は華麗な冠(かぶ)り物で知られますが男性はみすぼらしいです
リス族やカレン族も同じで「ジョカジョカジョ」「スプー」「サン」といった三味線に合わせて女性が踊ります


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