「丹生と八百比丘尼と神鏡(日矛=天目一箇神)」


「丹生鉱山(にうこうざん)」
水銀鉱山であり丹生水銀鉱山・丹生丹坑・丹生水銀山とも云います

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「丹土(たんど・はに)」
一般に「赤土」のことで「丹」と「朱」は同義語で「赤色」を示します
神社の朱塗りの柱などに用いられる水銀朱は硫黄と水銀を化合した赤土(辰砂)で朱はこの辰砂(しんしゃ)を粉砕して水との比重を利用して採集したものであります
赤色にはこの他にも赤鉄鉱を粉砕したベンガラがあり水銀朱はきわめて貴重なものであった為に普通はベンガラが使用さてました

「ベンガラ」
弁柄(べんがら/オランダ語:Bengala 紅殻とも表記)
酸化鉄赤(英語:Red Iron Oxide)」と云い赤色顔料・研磨剤のひとつであり酸化第二鉄(赤色酸化鉄・酸化鉄(III)Fe203)を主要発色成分としてます
赤は「大」+「火」の会意文字であり大いに燃える火の色を顕し火のように罪や穢れを祓い清めて悪霊を防ぎ追いはらう呪力を持つとされてます
辰砂を過熱して沸き出してくる銀色の液体が水銀であり
「久しく服すれば 神明に通じ 不老で 身が軽く神仙となる」
と中国の古い文献に記載される仙薬であって赤土自体に呪力があると考えられてました

奈良県吉野地方が早くから神仙世界に擬せられてきたのは水銀を産出するためであると云われてます
息長丹生真人(おきながにうのまひと)が奉斎する滋賀県伊香郡余呉町下丹生と上丹生の「丹生神社」ではその例祭で本殿の床下から赤土すなわち辰砂を採集して氏子の額に塗ります

お水送りの行われる福井県小浜市の「若狭彦・若狭姫神社」では赤土の団子を舐める風習があります
これはかつて水銀が不老長寿の丹薬(反魂丹・万金丹・仁丹など丹の名がつく漢方薬は水銀が混入されていた)として服用されていた名残りではないかと云われてます

海人系の人々が行う祭祀には丹土を使用するものが多くそれが日本の祭祀そのものが朱を重んじるルーツとなっていると云われてます

「丹土(赤土)」
金銀を製錬する時に欠かせない水銀の材料の朱(辰砂・丹砂)を指しますが蹈鞴(たたら)鉄精錬の材料である砂鉄を多く含んだ赤土を云います

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日本神話には「丹土(たんど・はに)」と云う言葉が多く存在します

(1)素戔嗚尊の埴土(はに)の舟
日本書紀
「その御子 五十猛命を伴って新羅の曾尸茂梨に天降り この地に住むことを嫌って 埴土(はに)の舟に乗り 出雲国の簸の川上にある鳥上の峯に到り 八俣大蛇を退治して神剣を得た」
埴土の舟→土の舟→丹土を塗った舟

(2)神武天皇と天香具山の赤土
日本書紀
「天の香具山の赤土を取って平瓮八十枚と厳瓮(いつへ)を作り 天神地祇を祀れば賊は平らぐだろう」
臣下を二人香具山にやって赤土を採取して丹生の川上にのぼってつくった平瓮で水なしで水飴をつくったり斎瓮(いわいべ)を丹生の川に沈めて神意を占いました
この場所が現在の「丹生川上神社」であると云われてます
香具山へ赤土を採取に行ったのは倭氏の祖「椎根津彦」です

(3)大物主の神婚の床に撒かれた赤土
古事記
「赤土を以ちて床の前に散らし へその紡麻を針に貫き その衣の襴(すそ)に刺せ」
蛇は鉄を嫌うと云う伝承があり娘を守る為に針を付けたのだという説もあり赤土を撒くのは正体の分からない男に対しての魔除の意味がありました

(4)神功皇后の赤土で染めた武具や船
播磨国風土記
「神功皇后の新羅平定の際 丹生都比売神が 赤土で鉾や軍衣や船を染めるよう託宣し 軍威が増して戦勝したので 天野の社に手厚く鎮め祀った」とあります
武器を赤く塗るのは山城国風土記の賀茂明神丹塗矢縁起(大山咋神)や古事記の比売多多良伊須気余理比売の出生譚の丹塗矢(大物主)だと云われてます

(5)応神天皇に会う為に赤土で眉を画いた姫
「初土は膚赤らけみ 底土は丹黒き」から丸邇坂も赤土でした
海幸彦が舞ったと思われる隼人舞も顔を赤く塗り猿田毘古神の面が赤い天狗面であるというのも丹を神聖な色とする海人族の思想からだと云われてます

(6)戦勝祈願につくった赤土の斎瓮
和邇氏「彦国葺命」は垂仁天皇朝の建波邇安王の反乱の際に丸邇坂に斎瓮を据えて戦勝祈願をしました

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「丹生(にう)」地名

丹土を産出する地名として丹生が挙げられます
丹生の地名は水銀の産地を示す場合も多いですが河川の源流「水神」の祀られる浄域のことを呼ぶことも多いと云われてます
丹生川と云うのも多いですが日野川=火の川又は緋の川の上流だったりもします
そして砂鉄の産地で鍛冶技術を持つ土地であると云われてます

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「丹生都比売神」

丹生の神と云えば丹生都比売(にうつひめ・にぶつひめ)神でありこの神は記紀には一切登場してません
全国に丹生神社はとても多いですが御祭神を丹生都比売命としているのは少ないです
それは神武天皇が天香具山の赤土でつくらせた平瓮と斎瓮で神意を占った場所である丹生川上神社の御祭神
上社「高淤加美(たかおかみのかみ)」
中社「罔象女神(みずはめのかみ)」
下社「闇淤加美(くらおかみのかみ)」
からの影響によるものだと云われてます

三神は伊弉諾尊が迦具土神を十拳剣で切った時に柄に溜まった血から生まれ出た水を司る神です

「十拳剣(とつかのつるぎ)」
吉野「石上神社」に祀られる素戔嗚尊が八俣大蛇を斬った剣と同じであり「真金吹く丹生と吉備」に象徴されてます

「丹」象形文字
丹は象形文字であり丹は「井」+「丶」で井戸枠の中から顕われ出たもの(=丹砂)を顕す会意文字です
井戸から出てくるとは記紀では天皇が吉野に巡幸された時に出会った井光・井氷鹿(いひか)と云われてる吉野首の祖であり現在の吉野郡川上村に「井光」の地名が残ってます
それにより丹生川上神社の上社の鎮座地なのです

井氷鹿は尻尾があって身体が光っていたとか光る井戸の中から顕れたと云われてます
同じく尻尾のある石押分之子(いわおしわくのこ)と云う吉野国栖の先祖が岩を押し分けて顕れて「この岩を押し分ける」と云うこととは炭坑夫を顕してます

「井戸神」
伊弉冉尊・伊弉諾尊の第24子「弥都波売神(みずはのめのかみ)=罔象女神」であり丹生川上神社の中社の御祭神です
井戸の神なので水神になっていますが丹生川上の井戸は中が光っていて出て来た人の身体が光っていたと云うことは水銀採掘の井戸であったとも云われてます

丹生都比売神社(天野社)・丹生川上神社ともに社家は紀氏の祖「宇豆彦命(武内宿禰の叔父)」の子孫であり「神奴(かみやっこ・大丹生・丹生・天野)」氏が勤めてます

丹生都比売と罔象女神(井戸神)は同神と云われてます
罔象女神は一名が伊都尾羽張(いつのおはばり)と云う剣の柄に溜まった迦具土神の血から生まれていますがこの剣の名前に「伊都」が入っているのは伊都は「厳・稜威」であり尊厳な威光の「いつ」であり厳島(伊都岐島)神社(祭神:市杵島姫神)の「厳」であり五十迹手の伊都国の「伊都」です

「丹生都比売神社」の社伝
伊都は「糸」であり「織姫」であって丹生都比売(稚日女尊)の名にちなんだとあり和歌山県には「伊都郡」があります

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「丹生都比売神社(天野社)」
丹生都比売を祀る総本社ともいえる丹生都比売神社は高野山麓の和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野に鎮座してます

第一殿「丹生都比売大神(にぶつひめのおおかみ・丹生明神)」
第二殿「高野御子大神(狩場明神)」
丹生都比売の子神

第三殿「大食都比売大神(気比明神)」
第四殿「市杵島比売大神(厳島明神)」

別名
「天野大社」
「天野神社」
「四社明神」
播磨国風土記では託宣により戦勝した神功・応神親子によって天野に祀られた神社であるとされてます

「同社の由緒書」
丹生都比売大神は日本の国をいつくりになった伊井諾・伊井冊の神様の御子で伊勢皇大神宮(伊勢の内宮)のこと
別名五十鈴宮(いすずのみや)磯宮(いそのみや)にお祀りしてあります
天平年間の頃に出来たという「丹生大明神告門」によると「丹生都比売大神は天照皇大神の妹神で稚日女命(わかひるめのみこと・あかひるめのみこと 阿加流比売・下光比売命とも混同される)」とも申し上げ神代この紀伊国奄太村石口(三谷)に御降臨され御子高野御子大神と共に丹生川上分水嶺大和十市郡に忌杖を刺し伊都郡町梨天野原那賀郡赤穂山布気を巡歴終焉の聖地として天野原に上り「朝日なす輝く宮 夕日なす光る宮に 常世の宮として鎮り給う」と記されています
大神は機を織ること織物の祖神でもありまして丹生都比売大神のお子様に当る高野御子大神と共に紀伊・大和地方を御巡歴になり人々のために農耕殖産(衣食の道・織物の道)を教え導かれました
和歌山県のワカヤマ・ワカノウラ・ワカヒルメ伊都郡のイト・糸は皆大神の御神恩を忘れない為の名称であり今尚近辺では織物の産地として名高いのです
神功皇后三韓征伐の当時当社の神勅によって大勝を得られましたので皇后の御子応神天皇は御神験によって深く御崇敬遊ばされその報賽として紀北地方(紀の川より南有田川に至る)広大な土地を神領地として御治定になりました
その後仁徳・天智・天武・元明天皇も神戸・神田を御寄進され公家・武家も亦御崇敬され特に御皇室の御崇敬は厚く延喜の制で名神大社に列せられ大正十三年官幣大社に御治定相成り戦後は別表神社に指定されております
又古く弘仁六年弘法大師は遙々京都の高雄から参拝し参籠して境内の一隅に曼陀羅庵を建立し全胎両部神道説を立て真言宗密教修法の道場として勅許を得当時神社の狩場であった今の高野山を開拓してこの庵を移し山王院(今の総本山金剛峯寺)と改め仏教弘布の根本道場とされました
この時「神白・神黒」という二匹の白・黒の犬を連れた高野御子大神(狩場明神)のおみちびきを得られ心願成就されましたので高野山により丹生明神・高野明神として二社が祀られ高野一山の鎮守神としました
爾来弘法大師はこれ偏に当社大神の御稜威によるものとして連年祭儀を怠らず報賽祈願を続けられ真言宗御守護の大神・仏教弘布の大恩神と遺告され現在尚おみちびきの神・学問の神として崇め奉ります
第三殿・第四殿の大神は鎌倉時代の初めの承元二年神託により(行勝上人により二位尼の援助のもと)敦賀の気比神宮と宮島の厳島神社より勧請され食物の神海上安全守護の神として御崇敬厚く当社は夫々四柱の神を各殿にお祀り申し上げてありますので「四社明神」と呼ばれおみちびきの神(御神徳にちなみ開運・織物・学問・食物・安産・海や山の狩・清祓・結婚等生活向上の神として)御神徳が高いのであります

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丹生都比売は稚日女尊=日の女神であり真言宗も歴史上の釈迦仏を超えた永遠の宇宙仏である大日如来こそ真実の仏であるとされてます

太陽崇拝の密教
空海の開いた四国霊場のほとんどが水銀の産地でもあり空海はいわゆる空白の七年間にその山岳修行の途中で知り合った渡来系の水銀採掘者・鍛冶師の集団と行動を共にして中国語を学ぶと同時にその留学費用を提供してもらったと云われてます
金銅仏を鍍金する為に大量の水銀を必要とし真言密教は即身成仏を最大の目的としますが水銀には殺菌と防腐の効果があり空海がその肉体を永遠のものとする為に仙丹(不老長寿の薬)としての丹生を服用していたとも云われてます
古墳の石棺の内側に朱が塗られるのもこの防腐の作用とためだと云われてます

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丹生都比売神社の境内に鏡ガ池があります
若狭国「八百比丘尼(白比丘尼)」がこの神社に詣でたおりに水面に映る自分の姿をみて八百歳にしてその美しさ若々しさを嘆き悲しみ懐中にした鏡を取りだして自分の水影に投げつけたと云われる伝説の池です

「八百比丘尼」
若狭彦神社のある若狭の小浜の出身と云われ人魚の肉または九穴の鮑(あわび)を食べて不老不死となり白い椿を持って諸国をめぐり後に若狭の空印寺の岩屋で入定したとされる伝説の女性です

社伝には
「輪橋 長さ十間餘 幅二間餘 本社の正面五十間許池に架す 池中に小丘あり 相傳ふ 往古八百比丘尼神鏡を納めし所といふ」
とあり投げつけたと云うよりは奉納したと云われてます

鏡ガ池には「中の島」がありそこに小さな祠が祀られています
鏡ガ池の底からは大量の古鏡が発掘されていて鏡を水に投げ込む風習があった云われてます

「鏡」
カガメ=蛇の目であり蛇の象徴である鏡を池底に沈めることは蛇のもっとも好む水に蛇を返すことを意味すると云われてます

蛇と鏡で「松浦の佐用姫」にも関係があり八百比丘尼と類似する黄金伝説を持つ朝日長者にも蛇婿伝説の要素があり今昔物語にも黄金を守る大蛇のお話しがあります

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「鏡と丹生と八百比丘尼」

和歌山には天の磐戸の祭祀で使われた神鏡(日矛=天目一箇神)を祀る「日前国懸(ひのくまくにかがす)神宮」があります
御神体の「神鏡」とは紀伊「日前神(ひのくまのかみ)」が鍛冶の祖「石凝姥命」につくらせたものだと云われてます
この神の名の「石凝」とは磨き上げた石の表面に丹砂を塗り込んで鏡のようにすると云う意味だと云われてます

日矛・日前神は日の神であり御神体は「鏡」です

丹生都比売(稚日女尊)と八百比丘尼を結びつけるのは「若狭」「和歌山」「稚日女尊」の「ワカ」と「太陽」です
八百年もの若さを保った八百比丘尼は若狭の語源となり稚日女尊は和歌山・和歌の浦の語源となりました
八百比丘尼(白比丘尼)は亡くなる前に「朝日さす 夕日輝く」で始まる歌を残してある場所に黄金を埋めたと云われてます

「丹生大明神告門」祝詞
「朝日なす輝く宮 夕日なす光る宮に 常世の宮として鎮り給う」
と云う部分があります
朝日のただ差し夕日の日照る国とは「高天原」の形容です

日本各地には「朝日さす 夕日輝く」で始まる黄金埋蔵を暗示させる歌が各地に残ってます
梵字を刻んだ石塔などがありこの殆んどが黄道線(北緯34度32分)上にあります

「朝日さす 夕日かがやく 雀のみよとりのところ 黄金千杯 朱千杯あり」
「朝日さす 夕日輝く三坪山 つつじのもとに黄金千両」
「朝日さす夕日のさすところ 一丈の幅に一丈の深さ 三つ葉のうつぎのその下に 黄金の鶏の一つがい」
「鳥」と「三」がキーワードの一つでもあります

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真言宗の開祖空海は総本山高野山の鎮守神丹生明神とされました
真言宗は大日如来を最高仏としていて太陽の仏であり真言密教では「白」は「心」を意味し「智慧」を象徴する色です

白山開祖泰澄は十一面観音の徳を「太陽光のように あまねく全ての方向に及ぶ御利益である」と説いてます
泰澄が創建した白山那谷寺は大日如来を最高仏とする高野山真言宗別格本山であり本尊に十一面千手観音を祀ってます
白山比咩神の本地仏は十一面観音であり通常の本地垂迹説では十一面観音の垂迹神は太陽女神天照御大神です

八百比丘尼の生まれた若狭にある若狭彦神社(下社は遠敷=丹生)では「お水送り神事」が行われます
若狭は霊水の聖地であり東大寺のお水取り神事とは「十一面観音悔過の行法」です

五竜寺の一つ義淵開基は岡寺龍蓋寺をはじめ龍福寺・龍門寺・龍本寺など「龍」の字が付されていて龍神の霊水・水源に関わる寺が多く既に義淵(ぎえん)の時から龍神の棲む霊水の聖域と観音菩薩信仰は習合されていたと云われてます

丹生神社を奉斎する息長氏の本拠地である琵琶湖周辺には多くの「十一面観音」を祀ってあり息長氏縁の「息長山普賢寺」「長谷寺」の本尊も「十一面観音」です

丹生と「白」を結ぶものとは「白粉(おしろい)」です
伊勢白粉の原料は丹生から採れる水銀であり伊勢にも丹生の地名が多く三重県多気郡勢和村の丹生大師や飯南郡飯高町などは伊勢白粉の産地です
銀を「しろがね」と詠み白水郎と書いて「あま」と詠み「白」の下に「水」と書けば「泉」です

アマルガム法と呼ばれる古代から用いられて来た金・銀の製錬法とは金銀鉱石を水銀に接触させて「アマルガム」をつくりこれを蒸留して金または銀を回収する方法です

「陰陽五行」
「白」は金氣を象徴し金氣は金生水と相生して水氣を生ずる元とされてます

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白山神を祀る神社は北は青森県の9社から南は鹿児島県の7社に到るまで全国に2717社を数えると云われてます
古くから台密(天台宗)との関係が深く天台宗寺院や日吉神社系の摂社に勧請されて全国に広まりその本社である「白山比咩神社」のある白山は加賀(石川県)・美濃・飛騨(岐阜県)・越前(福井県)にまたがっていてそれぞれに手取川・長良川・九頭竜川の水運を利用した登拝口である「馬場(ばんば)」があります
美濃・飛騨には多くの「白比丘尼伝説」「竜宮伝説」「黄金伝説」が残っていて八百比丘尼(白比丘尼)の出身地は若狭とする説が多いですが岐阜県内の馬瀬村だと云う説もあります

「昔 益田郡馬瀬村の中切に治郎兵衛と云う酒屋がありそこへ毎日一斗の酒を買いに来る子供がいた 不思議に思って後をつけると子供は湯ヶ淵と呼ばれる川の淵へ飛び込もうとする 治郎兵衛が声をかけると自分は龍宮の乙姫の使いであるといい治郎兵衛を龍宮へ案内した 治郎兵衛は龍宮で歓待され毎日楽しく過ごしたがとうとう帰郷することになりお土産に『ききみみの箱』という鳥や獣の声を聞き分けられる箱を貰った 家に帰るとその箱を一人娘が開けてしまい中に入っていた人魚の肉を食べてしまった 治郎兵衛はたちまち命を落としてしまったが娘は八百歳まで生き亡くなる前にある場所に黄金を埋め「朝日さす夕日輝く」の歌を残した」
と云われてます

中切薬師堂は八百比丘尼の創建と伝えられていて比丘尼屋敷や比丘尼が植えたという杉の大木もあったと云われていて龍宮につながっているという湯ヶ淵は龍ヶ淵の転訛です

馬瀬村には江戸時代に白山系の修験者が多く入村していて八百比丘尼(白比丘尼)伝承は白山の修験者が伝播したと云われてます

白山の修験者は白山三生体と云う三本の木の上に水晶が乗った御神体を入れた厨子を背負って各地への布教に務めたと云われてます
八百比丘尼が別名「白比丘尼」と呼ばれるのは白山比咩神との混同があったと云われてます

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霊水の聖地には龍神がいると云われていて水の女神である井戸神とは罔象女神(みつはのめのかみ)であり龍蛇体の神です
若い太陽の女神を別名丹生都比売と云い丹(井戸から出て来た)の女神です
丹(水銀)を採掘する井戸の女神は井戸神(罔象女神)と習合されていつしか霊水の女神(龍神)と同神となりました


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