「古代|アイヌと琉球」


「古事記」には
スサノオは天照大御神が天の仕事をあてがわれたのに「海原を治めろ」と云われ命令に従わずに「根の国に行きたい」と云ったので追放されたと記されてます

「海原」
海の中の国すなわち沖縄で位宮(イキウ)を名乗り琉球王に一致します

「根の国」
地下の暗い国すなわちクライ=高麗・黒の国=北の高句麗に一致します

「スサノオ」
また別の部分で韓=カラ=インド語で黒へ行って戻ってきた神だと記されてます
そして位宮(イキウ)に一致します

「位宮(イキウ)」
高句麗の王
出身地:高句麗
父:伊夷模の妾(めかけ)の子

「古事記」では
スサノオが海原を治めろと命令されたときもう一人「月読尊」と云う兄神がいて夜食国を治めよと命令されて月の王になったと記されてます

「夜(ヤ)・食(クウ)」と読み「屋(ヤ)・久(ク)・王(ウ)」となります
これは屋久島の王になったと云うことです

「魏書倭人章」
狗奴国男王と記された位宮は神話ではスサノオ尊と云われてます
スサノオの別名に「ヤク=疫」神であり「ヤク」は「屋久王」でもあったこととも一致して名乗りそのものが位宮(イキウ)であり「琉球王」を意味してます

「琉球」の発音
リキウ・ジキウ・ジャキュウ=邪久(ヤク)

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「備後国風土記」
疫隅の国社の話が元になって別名「疫(ヤク)の神」と呼ばれてます
これを云いかえれば「疫病神」のことです

「疫隅の国社」エノクマのクニツヤシロ条

昔 北の国においでになった武塔(ムトウ)の神が 南の海の神の女子を予波比(ヨバヒ・求婚)に出ていかれたところ 日が暮れた その所に将来兄弟が住んでいた 兄の蘇民将来(ソミン ショウライ)はひどく貧しく 弟の将来は富み 家と倉が一百あった 武塔神は悪にの家に宿を借りようとしたが 惜しんで貸さなかった 兄の蘇民将来はお貸し申しあげ 粟柄(粟の茎)をもって御座所を造り 粟飯などをもって饗応した さて 終わってお出ましになり 数年たって八柱の子供を連れて帰ってきて仰せられて 『私は将来にお返しをしよう お前の子孫のこの家に在宅しているか』と問うた 蘇民将来は答えて申しあげた。『私の娘とこの妻がおります』と そこで仰せられるには『茅の輪を腰の上に着けさせよ』と そこで仰せのままに腰に茅の輪を着けさせた その夜 蘇民の女の子一人を残して 全部ことごとく殺して亡ぼしてしまわれた そこで仰せられて『私は速須佐雄(ハヤスサノヲ)の神である 後の世に疫病がはやったら 蘇民将来の子孫だといって 茅の輪を腰につけた人は免れるであろう』といわれた

疫隅の国社として知られ伝承末尾に武塔神=スサノヲとあるのをうけて式内・須佐能袁能神社と比定されてます

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「ツキヨミ」と「スサノオ」が同一人物だったと「竹内文書」には記されています
これは「スサノオ」は2人存在したと云うことです

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遣唐使のころ
日本でも台湾は琉球と呼ばれていたことを知る地図があります
「台湾」=「流求」と書かれています
さらに地図には
石垣島=信覚
久米島=球美
沖縄本島=阿児奈波(あこなは)
屋久島=夜久
流求国とは沖縄ではなく台湾であることは「夷邪久と琉球」で明らかにされてます

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今からおよそ1万2000年前に一夜にして太平洋に沈んだと言われているのがムー文明があります
その時東の大陸・南北アメリカに渡った人々の末裔がインカ族・マヤ族・ホピ族であります
西を目指して逃げ延びた人々は琉球諸島や日本本土それに台湾や東南アジアへ渡りその地の先住民となりました
日本人は現日本人と渡来人との混血によって生じたものであります
前者は数万年前に日本列島に渡来した後期旧石器時代人から生まれた縄文人であります
後者は弥生時代以降に大陸から新たに渡来した集団であります
両者の接触によって九州や本州では両者の混血が進んだが北海道と沖縄では縄文人の系統が比較的純粋な形で残りアイヌと沖縄の人々になりました
東南アジア系の縄文人こそがムー大陸から移住して来た人々であったと云われてます
元々日本列島にはすでに原住民が暮らしていてムー文明の高度の知識をもった移住者たちが主導権を握って地球規模の大異変で原始時代に戻った文明を再び開花させてきたものとおもわれます
その末裔を代表するのが「卑弥呼」が率いる邪馬台国でありました
弥生時代に入って大陸から東北アジア系の人々が渡来し彼らは次第に追い払われて南九州から琉球諸島へまた一方は北の地へと移り住んで行きました
南に下った種族の内の一つが「熊襲(くまそ)」と呼ばれる一族で彼らはしばらくの間南九州の地で留まり「古事記」には古代九州の西南部にいた勇猛な豪族として登場しています
北へと追いやられた種族は「蝦夷(えみし)」と呼ばれるようになり彼らは東北から北海道へと移住し「アイヌ」の祖先となりました
マヤ・沖縄・アイヌの人々はその顔形・彫りの深い目鼻立ちや体毛や髭の濃い点や頬骨の張り出し方が強い点とやや長頭型である点などがよく似ています

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マヤ人・琉球諸島の人々・台湾の高砂族・東南アジアの少数民族・アイヌ人たちの源流が一つであることを示しているのが女性たちに残された 「入れ墨」の慣習にみられます
民族の女性たちはどの民族も結婚の前に入れ墨をする習慣がありその場所も指先から手の甲にかけて同じ箇所に彫られ文様もよく似ています
服飾文様や入れ墨(針突き)の文様の中には宇宙の姿や星を表現したのではないかと思われるものが幾つか存在しています
マヤにはムー文明滅亡後に離散した人々の再興を支援するためにプレアデス星団からやって来た宇宙人との交流の歴史が残されています

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熊本でアイヌ語が関係する名称といえば「チプサン(tibusan)古墳」があります
そこには7機のUFO(空飛ぶ円盤)を迎えている冠をかぶった王の姿が描かれてあります

「チプサン」とは
「船を降ろす儀式」を意味するアイヌ語で「チプサンケ(chipusanke)」のことです
これは宇宙船を地上に降ろす(着陸)させることを意味してます

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「屋久(ヤク)」は
アイヌ語の「鹿」と云う意味です
沖縄本島も日本書紀や隋書などの古い文献には「屋久・流求・夜久=やく」と表記されてます
たくさんの鹿が生息していた「屋久島」の語彙を鹿のいる島つまりヤク島とすれば島の特徴をそのまま表現してます

下代久事(ケタイクジ)とは
アイヌ語で「川向こうの山の頂に密集した森のあるところ」で意味とその場所の状況が鬱蒼とした原始林が生い茂りその一部は杉林になっているその土地の情景を見事に顕してます

小野妹子が随に留学していた時代には沖縄は「夷邪久国(イヤクコク)」と呼ばれてました
「イヤク」はアイヌ語で熊や鹿・ムジナなどを含めた「獲物」と云う意味です

「種子島」には
南部の宇宙センター近くに「茎永(クキナガ)」「海泊(アマドマリ)」があります
前者は「断崖がある所」後者は「稲田のある港」の意です
島には「唐泊」など港や入り江を意味していて「トマリ」のつく地名が「大堰(おおぜき)」である北海道の泊原発のある「泊(とまり)市」があります

「奄美大島」には
「冠岳(カムイダケ)」や「久慈」などの名称が残されてます
「カムイ」は「神」を表すアイヌ語の代表的な言葉で「久慈」は「クジ」や「串」「狗子」「久師」と呼ばれる地名と一緒でありアイヌ語の「超える」という意味の「クシ」から来てます


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