「五大五行と言霊」


全てを素直に受け入れる心に切り替わることで途端に魔らしきものは霧散するものです
拒絶する逃げると云う姿勢から一緒になって遊んでみようたとえこの身がなくなっても生まれる前の姿じゃないかと云う心に開き直ることで見えるものが見え聴こえるものが聴こえそして偽なる存在はおのずと退くものです

+++

大相撲で力士が土俵で塩を撒く所作は多くの外国人にそのパフォーマンスが喜ばれますがユダヤ人にとってはごく普通に映ると云われます
大地の浄化や身体の浄化には塩を降り撒くと云う古来からの風習があり日本もユダヤも同じでありユダヤの祭礼所には拝殿に向かって左側に手水があり禊ぎ所の様な大きな規模のところもあります
そして階段を上った拝殿や神殿を朱に染める風習も日本の神社と同様です
日本では神社の鳥居をくぐった参道は産道であり母なる胎内原点回帰への道であり世俗のチリと埃にまみれた身を清めて拝殿へと向かいます
茅の輪くぐりの風習とは輪をくぐって左脇から戻りまた入りなおし次は右脇から戻り輪をくぐって拝殿に向かいます
これは自分が輪に入り通り抜けるルートが∞状でありその結び(産霊)の中心がゼロ点の自己でありゼロの精神の原点に戻る所作です
拝殿正面の上からぶら下がっている玉鈴とは古来は裂口代(サクシロ)と云い口が裂けているような玉鈴は無言の言霊を意味していて拝礼者の魂の感応をゆすぶる音霊です
人はいろんなことを神頼みしますが世俗の願い事でなくその人の内なる魂の叫びを裂口代が代行してます
巫女が手に持つ玉鈴もこうした意味があり天川弁才天様の鈴のお守りも心の音霊・無言の言霊を顕わしたものです
鈴木姓の旧姓は鈴氣であり神武天皇東征の先駆けを勤めた三氏族の内の一氏族であり古来鈴木姓は神官を勤め鈴にまつわる地名もあります
伊勢神宮の拝殿前を流れる五十鈴川(イスズガワ)とは禊(ハラヒ)の洗心所ですが言霊五十音を意象した命名でもあります
神社でも神棚でも拝殿の正面にある鏡は自身を神光で照らすと云うことが一般的ですが自分で自分自身を拝んでいる自分自身の姿を映す鏡であり神聖自己・純正自己を移す鏡でもあります
神道には教義はなく総務や経理や営業をもつ巨大な組織体もなくここが他の宗教と違うところであり血みどろの戦いと教義解釈の内紛を繰り返すこともありません
仏教・イスラム教・基教にみられる領土と覇権の血の争いは教義と組織をもつがゆえに内紛の歴史を続けてきました
エルサレムは2000年以上にもわたって憎しみの坩堝と化しその憎しみの波動は基教・回教の信徒約30億人以上の人々に伝わりこの現実にアラーも釈迦もキリストも後代を嘆いているに違いありません
神道は敢えて教義・経典を残さなかったことに大きな神仕組みが見え隠れしてます
他国に領土を侵略・分割されず宗旨を変えられず言葉(言霊)も数千年以上変えられていません
万世一系の天皇を戴いている日本とは世界歴史上に他に類がありません
どんな山にも小さな祠や社をもちお正月ともなれば参拝する古来の風習は営々として残されてます
宗旨経典を持たず組織も無い神道だからこそ世界戦火の影響を浴びずこれが神道の歴史的戦略の一つでもあります

神道とはまさしく神への道
道は一人一人が探しなさいと云う道
私はどこから来てどこへ行く何のために生きる
この答え探しが神道であり自分教の確立を目指す道なき道です

神棚と一対一で対峙するのは我
神棚の鏡に映る自分と対話し一点の曇りも無い対話をし私はと繰り返す
時には世の中の大調和の下絵を描き鏡に照らす
時には魂の中心に病にあえぐ人のはつらつとした健康の実像を描く
やがて自らがなくてはならない大宇宙の貴重な存在であり大生命意志から偉大な創造能力を戴き愛と進化と調和ある世界を責任を持って創る亜神と氣が付くものです
何のために生きているのか
偽我虚飾をはずし鏡の中に純正魂に神拝すべし
神棚と云う御霊屋(ミタマヤ)は自分の魂です
魂は祖霊につながり宇宙大生命意志につながってます

+++

言霊とは一種の希望実現のための意識と音声波動が重畳したエネルギーであり祝詞は濃密に凝縮された人心浄化の言霊です
日本人は誰でもが言霊五十音を発し心の響きとその音声の一致が虚空のゼロ質点を動かし時間と云う進化の触媒に乗せて次なる現象を切り開けるものです
嘘偽りの無い純正心の下絵が確信に変わったときに念波動を伴った言霊は質量を生み時間は現象の映像を映し出します

見えない意識の精神系五大
ア(純正自己)
オ(時間・経験知)
ウ(勇氣・判断)
エ(智慧)
イ(大生命意志)
右手の誘な氣(イザナキ)です

見える物質系五大
ワ(肉体自己)
ヲ(生命水)
ウ(鉱物・ミネラル)
ヱ(火・エネルギー)
ヰ(生宮地球)
左手の誘な身(イザナミ)です

氣を誘う右手と物質(身)を誘う左手を合わせて音が鳴ります
片方だけでは音は鳴らず二礼二拍の対象はイザナ氣とイザナ身であり同時に両手をあわせ鳴らすこととは精神と物質の調和を意味します
神拝拍手の意義とは魔払いと云いますがその内実は自己の精神主義と物質主義のバランスです
音成るときに自らの心は清浄調和の観想を行ずればなおよいです
注連縄の撚りあいはこの見えない意識(イザナキ)と見える物質(イザナミ)の撚り合ったスパイラル進化を意味します

+++

「五行五大」
風とは言霊「ア」であり樹木は風を受けてそよぎその存在を主張し風と木とは一つの概念です
空とは言霊「ウ」であり大宇宙と自己との対峙をそのままにただ感覚自己のみの積極なる宇宙参加を意象し勇氣・判断を意味します
スサノオの剣をもって物事を裁断分化し素粒子まで分解究理する科学的姿勢でもあり物質を構成する周期律表103元素に相当します
言霊「ウ」はワ行物質界の言霊「ウ」に対応し生命素である鉱物ミネラルに相当しミネラルが無ければ生氣・勇氣・判断は生まれないものです
言霊「オ」は言霊「ウ」の宇宙カオスの変化を判じた叫びであり漢字にすると緒となり時間的つながりの概念です
言霊「オ」は歴史・経験知でありワ行に対応する言霊「ヲ」はあらゆる生命体に必須な物質である水を意味し水は情報を伝える媒体であり意識の伝達は言霊「オ」の作用です
言霊「エ」は宇宙と対峙している自己の脳内覚醒であり閃きです
我とは何かの答えにおいて言霊「ア」「オ」「ウ」を総動員して回転させるエネルギーです
言霊「エ」が智慧・光を意象しワ行に対応する言霊「ヱ」は火を意味し言霊「エ」「ヱ」の連絡は密教の秘儀にして護摩壇の火を活用し体内に活力と智慧を投ずる秘法は空海によって開発されたものです
言霊「イ」は私は貴方はこれはを成立させている形而上の本源であり大生命意志です
言霊「イ」に対してワ行物質界に相当する言霊「ヰ」は生宮であり地球を示します

<五大>
空・風・火・水・土
<五行>
木・火・土・金・水

五行五大の物質界
ワ・ヲ・ウ・ヱ・ヰ
五行五大の内実の精神
ア・オ・ウ・エ・イ

+++

「神棚」
榊は木にして言霊「ア-ワ」
八方に備える水は言霊「オ-ヲ」
塩は言霊「ウ-ウ」
米は言霊「イ-ヰ」
言霊「イ」は神棚全体の統一場でもあります
灯明は言霊「エ-ヱ」の言霊の依り代です

物質界の両極端とは強酸(Hcl:塩酸)と強アルカリ(NaOH:苛性ソーダ)であり中道中和の共生反応とは塩(Nacl)と水(H2O)が生じて中道中和の物質と心を言霊「ウ-ウ」「オ-ヲ」を神前に供えると云うことです

ア行:心・精神・意識
ワ行:物質・肉体
神前にあってはモノにして心であり心にしてモノを統一場の状態に置くと云うことです

垂紙(シデ)は風を顕わす言霊「ア」
紙の四つの折り返しは下からたどれば表が裏となり裏もやがては表となり言霊「ア・オ・ウ・エ」の四つの道をたどり垂紙(シデ)の大本は注連縄(イサナ氣・イザナ身)にくくりつけられ精神原理と物質原理の寄り合いの大本が神棚の世界です

右手(イザナ氣)と左手(イザナ身)で拍手を打つわが身は五大言霊「ア・オ・ウ・エ・イ」の姿であり大の字の姿見を持ち共生原理と指導原理の日本(二本)の天支(アシ/足)でわが身を支えています

六根(ムネ)の宇宙(ウチ)には眼・耳・鼻・舌・身・意のさまよえる現象界と不動の心魂界の調和を常に保ち八螺(ハラ)は純正・信念・希望・創造・愛・勇氣・進化・調和の八光に満たされている必要があります

榊・水・塩・火・米の供物は言霊「ア・オ・ウ・エ・イ」そして「ワ・ヲ・ウ・ヱ・ヰ」の反映です

外に頼る神なぞ居らず自己の存在を神と知るべしであり神への道に邁進し朝夕出会う一切の霊性を高めんとして高貴な存在と知るべしです
神として意識し神として行為する
その魂のブラッシュアップにこそ神拝の意義があります
神拝とは自身を神と見抜く状態の科学でもありもうひとりの自分の発見でもあり拝んでいる対象は自分自身の本心です
神拝とは自己の魂との対話でもあり心の内なる神聖御霊屋(ミタマヤ)への拝礼・確認・誓約なのです
伊都売(イズノメ)とは出づの芽であり本物の自分を発見するための暗示でもあり言霊に隠された古神道の世界は単純にしてなおかつ実に深いものです


関連記事一覧


無料メルマガ

お名前

メールアドレス


(ドメイン satose.jp 受信設定)

スポンサーリンク

Amazon

楽天市場

Y!ショッピング

Y!トラベル

ブログポリシー

鈴木慧星の名称およびブログの全部または一部をリンク・複製・引用・転用・転載・改変・アップロード・掲示・送信・頒布・販売・出版等を一切禁止します

ソーシャル・ネットワーキング・サービスの利用規約ならびにソーシャルメディアに関するポリシーおよびルールとマナーに違反する行為等を一切禁止します