「魂との対話」


精神と物質とは「誘な氣(イザナキ)」と「誘な身(イザナミ)」を象った注連縄の撚り合いでありこの縄を先ず沖縄に置き足らわすと「大きな和(オキナワ)」は大和とも書くように南海の島には天津霊継ぎの精神原理の大縄を繋ぎ止めている巨大な石(意志)のピンポイントが存在してます

台風も火山活動(雲仙→岩手山→有珠山)も精神アセンション変化も南から北上してくるのがヤマトの一連の型道(カタチ)です

融合融和世界への発信と云う第二局を迎えることでヤマト神人の指導原理と安定原理で大地を支える二本の天支(アシ)はますますその強靭さが求められることになります
指導原理とは創造・進化であって安定原理とは愛と本音と足ることを知った調和ある生活行為であります

行為(肉体と物質)の前に必ず想い・動機(意識と精神)があってこの意識と精神の質が何よりも大切な原資でこの意識と精神と云う原資を表出させている原素が言霊です
言霊→意識→行為と云う構図の中で日常を送っていて神人生活の重要なカナメとは言霊の世界と連動している魂のブラッシュアップと云うことです

平生の生活は目に見える肉体をもってお金を稼いだり家を建てたり美味しい料理を食べたりしますが目に映るものだけが実体で全てだとすると喜び・感動・充実と云う測る尺度が無い意識の内容は非実体となり「無」でなく意識があるからあれもこれも欲しいと云うことになります
我欲に翻弄されると得られぬものに無意識の心が支配され苦をかき集め本来の心を見失い目鼻耳に頼り切る物質次元だけの人生では真実は見えなくなります
物質的に無くなると見えない「心魂」のゾーンはうつろで在る様で無い肉体(幽体)にしがみつくことになります

意識とは心であり意念であり感情です

肉体をもって「心魂」の見えない世界をいつも確認していく反省や感謝や希望と云う中心部分を開拓する作業が「心魂」を充実させ「見えない無明」を「明ならしめる」ことで肉体死に際して中心部分の「心魂」は実体を伴い「心魂」と対話する習慣が産まれます

意識や心と云う中心核を「魂」と云いこの中心核が明確でないと「心と肉体」だけの船はフラついて日常の生活でも喜怒哀楽の波に沈没してしまい肉体死に際しても中心核(魂)が欠けた心だけの自己では帰るべき方向性が定まらず霊界をふらつくことになります
中心核の魂を純正自己と表現したり良心と云ったりもう一人の自分と云ったり集合意識と云ったりしますが魂レベルを表層意識・潜在意識に対して更にその下部にある深層意識(無意識)とも云います

空間の中心核こそが重要であり物質体では重心点が力場の作用点です

形象的には渦の中心点にホワイトホールとブラックホールが共存し氣のハンドパワーの入力点とは氣と云う渦の中心にアジーナの光を入れることが秘中の秘であります

日月神事でのマルチョン(ス神)の意味とは「主神」のことであり「輪(和)の中の核」であり幾何学的には一定の図形上の中心点であり点とは無限の面積ゼロの世界です
渦空間を意識した時の意識の集中すべき中心点が重要であり日の丸の旗の中心点つまり次元転換のホールの奥底が天照大神の意識です
日常生活のあらゆる物体や仮想意識体・水・渦の中心点に意識を投入することでその対象の真実に働きかけることができます

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病氣とは人の意識が肯定・積極・充実の「生そのものに対する喜びの概念」を維持していると少々の雑菌や外傷があっても自然治癒されます
ヒーラーによる治癒とは大生命意志と一体になって患者に「生命の光」の注入をお願いする所作でありヒーラーが直しているのではなく大生命意志が直していてホメオスタシスと云う自然治癒力は意識の質に大きく関与しています

「胃」→恐怖・心配
「膵臓・胆嚢」→やる氣不足
「咽喉」→だんまり
「肩こり」→マンネリ
「リウマチ」→物欲
「心臓」→不和・臆病
「腎臓」→執着心・自悪
「目」→社交性難
「子宮」→排他性
「アトピ-」→神経質
「腸」→言葉のトゲ
「肝臓」→素直さ不足
「耳」→自己主張
「糖尿」→自分勝手
「痴呆」→孤独
「肺」→自然愛不足
「氣管支・喘息」→悪口
「頭痛」→自己中心
「肛門」→ストレス
「性」→バランス欠如

否定・消極・排他の表層意識とは目鼻耳から得た損得情報で自身の心の内にチリ・ホコリを積もらせて心の中心核である魂の光を閉ざした結果です
純性心と云う「もう一人の本来の自分」の光の浄化作用がないために不調和から来る病変は細胞や構成元素の歪みである「痛み」をもたらし肉体的痛みは脳の知覚作用である感覚意識です

原因意識(ネガティブナ心)と痛み意識(肉体感覚)とは見えない意識と云う同一次元の中で共存し拮抗している現象で肯定・積極・融和と云う魂本来の波動と相容れないネガティブナ心との拮抗作用が苦痛・苦悩と云う一種の浄化信号を産み出しています

「病は魂の氣づきのための信号である」

お金で病氣を治すのではなく生かされている自己の深層を見つめて健全なる大宇宙と共鳴し合うことです

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睡眠とは魂の世界に入り込んでいる状態であり魂の純正な世界に入り込むと脳波はθ波・δ波などの平坦波形になり顕在意識の大脳皮質(経験知で発達した若い層)は眠りこけ経験知によらない原生意識とも云える生命の実相領域(魂)に戻ることで生命エネルギーがもらえます
感情が起伏する顕在意識下では少々でもマイナス想念があれば肉体細胞の本来の浄化作用(調和と進化)が進まず調和と進化の波動に同調して自我の無い細胞達は代謝を繰り返します

顕在意識のはるか深海に沈み込み純正自己に触れ純正自己は魂の自己であり生命を頂いた神座に棲む「もう一人の自分」の領域であり大生命意志からの「命の光」が供給される次元であり人はこの次元で様々な世界を見せられます

時間と空間を越えて未来を見せられたりある次元界での生活風景と言霊が与えられます
睡眠中は自分の魂の世界に潜り込んで顕在の雑念意識から離れて純正な自己に戻ります
脳波がフラットな次元で魂から生命エネルギーを取り入れた肉体細胞は本来の活動が活発に代謝することができます

魂の世界は顕在意識と時空間が異なるために覚醒時には通常意識できず潜在意識次元と顕在意識次元を通過する時の断片を拾って覚醒時に夢の一部となって垣間見ることは出来ますが瞑想の訓練をしないとなかなか魂の世界の実体までは見えてきません
瞑想は座禅状態を認識している規制心の中でインナートリップして行くいわゆる半覚醒状態での探求であり夢想の中で泳ぐ心象をただじっと客観的に見つめ自己の心の様相を眺める作業ですがその心象の主役が自分であっても主役が演じる世界を眺める劇場の中の観客でいることが重要なポイントとなります

肉体自己が演じる心象の自己を客観的に見つめている観客とはもう一人の自分を半覚醒状態で認識している状態です
苦悩と混乱はコップの中に落としたドロの不透明な澱みに似ていて瞑想や反省と云う自己の自由な意識時間の中に置くことで意識時間とともに透けてきて澄んだ向こう側が見えてきます
些細な喧嘩も一晩ぐっすり寝ると昨日のことがウソのように穏やかになるのはこの魂による浄化作用なのです

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人生には清廉な方をして不遇な環境に置いてしまったりかなりあくどい方でも贅を尽くした居住に置いたりしばしば不公平とも思える境遇の方に出会います

古神道では「命」と書いてミコトと読みます
命あるそれ自体が神であることを明確に規定して数霊「三九十(ミコト)」であり言霊「身凝統」と身を纏った統一体であり進化する生命体をミコトと云います

人生の凝縮された一点である現在とは過去のあらゆる場面の自己選択と決定そして超常的「力」である生命エネルギーによって今が在らしめられています
過去から今までの人生の局面で自己が判断し選択し決定した内容は自己が創造したものでありその現実に「神の子」としての責任を負うことが求められます
責を負うとみるか快として楽しむかは神である人(霊止)の自由です

「人(自分)は生かされている」

周囲の人達もあらゆる植物も動物もその背後に大生命意志の力によって存在していると氣付き今と云う認識とは意識が時の連続性を創る中で限りなくゼロに近い直近の「刹那」を今としています

客観時間は不連続でありこれを連続につなぎとめているのが意識です
意識とは絶対存在であり連続性をつなぎとめる時の正体とは意識の中の進化意識です
個も他個も進化意識を共有していて共通なる時とは全なる進化の流れであり日々是好ではなくて瞬刻是好と一瞬一瞬に時を理解してそれにプラスの息吹を吹き込むことが覚者の智です

神として自己が創造した自己の現状とは未来に向かって更に開かれるべき素材であり過去の引きずり苦労や否定・消極を持ち込む何の理由もありえず自己を限定し未来からも取り越し苦労と云う不幸を呼び込む必要が無いのが今と云う幸せの貴重な素材となります

積極・肯定・建設・融和の意志を今の時に刻み込み全てのものを受け入れ全てから学ぶ身に否定が無く執われもしない時を明るく生きるから新たな感動と幸福が産まれます
神として未来を創造する自己次元の上にさらに限りない大宇宙の法がありその大生命意志は純正・信念・希望・創造・愛・勇氣・進化・調和のリズムで時を拵えています
未来に責任を持つ神人は存在する以上その大法に乗らざるを得ずまた宇宙の大進化の波動を持たさざるを得ないのです

清貧とは相対であって生命体は神としての修養の場を今に選択しているのであり環境が悪ければ悪いほど修行の成果は飛躍的なものとなり「何でこんな状態に」と悲壮な自己を呪ってみても呪いの波動は宇宙大法に共鳴しません
第三者の状態を指して「大変な環境だな」と判じますがそれはその人に与えられた「最良にして最大の場面がその今」の真相です

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「忿」と書いてイカリと読みます
心が分裂した状態でありイカリは破壊性を持っているためにコトバに出すと大変な破壊エネルギーになります
食卓での食べ物への感謝や家族の温かな会話は健康にも精神の絆の醸成にも有力なプラスの場となりますがイカリ(心が奴隷になること)とは食物への悪性波動転写とせっかくの家族の氣綱を寸断してしまいます

「叱り(シカリ)」とは愛の基調のコトバで尾を引かぬが本来のシカリ(師加理)であり後にまで心に憤りが残るのならばそれはイカリです
怒り・呪いは宇宙に拡散しハネッ返って地球と我が家と自己に帰って来ます
怒り放棄の初期は大変難しく客観的に魔の存在を認めるよう大声を出すことであり声に出さないで心の中に閉じ込めているとくすぶって顕在意識と同居して細胞にまで浸透します

怒り・愚痴・悩み・イライラ・不安・病など様々な悩みの出発点は自我と自己保存に帰結します
本音を隠した建前は自己の美化であり本音と建前の自己矛盾に人は悩みます
本音の内容は自分が一番よく知っていて悩みの根源を本音の自己の思いと照らしてその思いが我欲かどうかをチェックすると様々な悩みの大本は大凡この我欲と自己保存に到達します

子供への熱心な教育が自分の理想像の押し付け(子の霊性の否定)であったり人間関係の悩みが実は自分の評判や地位欲であったりします
苦労・心配・悩みの種はそれを抱えている自己意識の内に在りとりもなおさず自分自身に原因があり往々にして自分の世界は自分を中心にしたものの見方・考え方で展開されています

悩みは我欲や相手の世界観の無理解から生じ悩みが悩みでなければそれを打開しようとする意識は働かず純正心とギャップがあるからこそ「心の相克」として苦しみを来たす訳であり病苦が健全な生活へ方向転換や立ち止まるための赤信号であるとするならば悩みと云う心の苦とは純正心へ方向転換する自己信号です
自分が正しい・自分が一番と云う偽我を盾にツッパネると「これだけしてやっているのに」「何故私だけこんな目に」「もっと貰っていいはずだ」と自己弁護と共に怒り(破壊)・愚痴・否定・消極のサイクルから逃れられなくなります

目に見えない心・意識にどうアプローチしてどう霊性(霊格)アップしていくのかが次々と仕組まれていて魂は磨けば磨くほど神はその水晶球の小さな曇りが氣になってこれでもかと試されます
これを「神試し」と云います

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人は霊体(命体)と肉体(生体)をまとって生命体としてこの世に出現し霊体は悩みと喜びを操作してその作用は生体の病と健康に反映します
霊体意識は誰からも関与されない自由性をもってます

人は大宇宙生命の一部であり心の自由性を頂いて意識には自己を生かしている生命本体である大生命意志の存在を形而上に捉えることができ大宇宙と自己との一体性を認識することが出来る地球上唯一の生命体です

個は大宇宙(全)の一部であり他の個も同じ細胞の仲間であり大宇宙と云う懐の中でその大宇宙生命体の進化へともに歩む個です

人は物質的に大宇宙(神)の一つの個(子)であり人(霊止)と云う意識体レベルでは大生命意志(大宇宙)の子(凝)であり同胞である万物は共生(トモ)であることを悟っていく必要があります

神の子には言霊と創造する能力エネルギーが一人ひとりに等しく与えられています

創造エネルギーを駆使して悪想念を発して地獄世界を展開することも良質な慈愛の意識で天国世界を開拓することもまた可能です
大生命意志には生命エネルギーの供給と大愛の放出のみでエゴを持たず私的なエコヒイキもありません
地球人としての神人の使命は喜び・感動・感謝・充実・躍動の大宇宙の細胞としての基本リズムを響かしつづけ万物融合融和である共生理念に裏打ちされた行為と大いなる進化にあります

大生命意志は個の多様な進化をその個の魂を通じて眺めそれを要素として大宇宙の進化と調和を司り人は神としての創造の自由性と同時に固有な感情個性をもち創造の多様性や意外な進展性を神が認めているからであり画一的な意識では大宇宙進化の方向は限定されます

無限の創造能力をもつ人が魂の誓いを忘れた物欲自我でこの世を支配しようとすれば地球は病となり宇宙も暗黒にシフトします
人は自らが神の子であることに氣付き神人宣言をしあらゆる生活の場面で修養し更に魂を磨いて神への道を進む必要があり人類は真なる神として地球と大宇宙の進化と調和に向けてその創造能力を最大限に発揮していくことが求められています

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言霊ア行は精神の内容を意味し精神の次元「ア(吾:精神)・オ(経験知)・ウ(判断)・エ(叡智)・イ(大生命意志)」を顕わしています
対極にある言霊ワ行は物質の要素を意味し「ワ(我:肉体)・ヲ(水)・ウ(鉱物)・ヱ(火)・ヰ(生宮地球)」を顕わしています

大生命意志は精神意識の吾(ワレ)に生命エネルギーを供給している本源であり同時に万物一切の陰にあってそれらを生かしめています
宇宙意識「イ」の物質的変容体は精神自己「ア」と肉体自己「ワ」の関係のように生宮地球「ヰ」」からなっています

月意識は太陽引力の7.5倍もの引力を地球にもたらし人のプラーナ(氣)にも関与しインド・チベットでは月齢はアユルベーダ医学に欠かせない要素です
霊太陽の黒点活動は磁気嵐の影響ばかりでなく人の精神意識の活性にも大きく関係しています

人の怒りは破壊エネルギーであり言葉に含んだ毒によって小さな動植物には生命死すら与え怒りと云う集中されたエネルギーは当事者ばかりでなく地球上を光のように伝播し他の怒り意識と共鳴します

共時性とは多数の意識の同時的表現であり負の意識もまた同様なので朱に交われば赤くなるように負の意識で悪い場を徘徊すると悪い意識(魔)の侵入を許します
負のエネルギーは人より高次な地球意識にとって不愉快であり健全に生きる大地と生物そして地球の血管である河川の水を消極・憎悪・否定の負の意識で汚染し人の負の想念に対して地球意識は身震いし大地を揺るがせ吹き出物を放出します

ムー大陸そしてアトランティス大陸の沈没も時の悪想念が集積した地球表面の浄化作用であります
大宇宙は愛・進化・調和のリズムをもちその大法から外れた負の意識は宇宙での自己存在の否定となり自らをして自身を不幸に貶めることになり負の想念が湧き出た時に水の禊(ミソギ)か手を洗う(御手洗)ことで意識の浄化(水への転写)が果たされます

基本的浄化の姿とは大自然への感謝と負の意識の自己昇華です

悪想念は地球の火と水である神(火水/カミ)の浄化作用を呼び込むことになりこれら悪想念と相殺するように多くの神人が社会に出現していることも事実です
山に祈り海に感謝する純朴な所作が必要であります

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人の魂の基底には誰しも愛・進化・調和の本質を持っていますが「我よし・我こそ・我のみに」の心の三毒も意識に内在し目先の物質的利害にとらわれると我執と云う意識上のガンが増殖され古代ヤマトは宇宙の声を聞くシャーマン(スメラミコト/天皇)が宇宙と地上の民の仲立ちをしました

橿原神宮での神武天皇即位の宣言
「ここに恭しく宝位にいどみ もって大御宝(オオミタカラ)を鎮む 上は即ち天津神 国を授けたもう徳に答え 下は即ち皇孫 正を養うの心を弘め しかる後、六合を兼ねて都を開き 八紘を蔽うて宇となさんこと またよからずや」

国民のことを大御宝(オオミタカラ)と云うのは代々の天皇の云い方であり世界中を探しても国民を宝と位置付ける国は他にありません
天から授かった国をして歴代の天皇(皇孫)の正しき心を益々もって広め六合である睦国として発展させ八紘である世界中にその心を広めていくこんな素晴らしいことはないと結んでいます
万物に生命を授けた神への感謝の政(マツリゴト)である国政を一体で指導していました

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人は神(大生命意志)の子でありその自発的神化への自覚(目覚め)と成長を強制的に洗脳変身させることは許されないものです
神の子(個)の自発性と存在の意義を否定してしまっては大衆の中に生まれた個なる聖者そのものの意義すら失うことになります

現代の宗教宗派や精神性団体や集団の信者へ教義教団をあがめることを強制するならばそれは神の子への強制的干渉となります
信者の「救われたい」と云うスガリの心理構造とも相俟って組織を強化しさらに他の宗教宗派や団体や集団の排他を隠れた旨とする教義教団が存在しているならばそれこそ救いがたい集団です

宗教とは修法をもって人としての倫理観を大衆に根ざしてきた歴史上の貢献は大なるものの一方で多くの宗教戦争を撒き散らしてきました
あらゆる宗教の根源は一本の大生命意志であり何人にも一直線で結びついているものです

自分の内奥に住む神(魂・良心)を発見し磨きまた自ら一人でその神としての意識純化と神業(行為)をなしていくことが何よりも重要です
他を認めない教義教団こそ排他性と報復性を秘めていて数ある歴史上の戦争の発端であり21世紀以降人類は自己の神性を自ら一人で磨きぬくことでこうした教義教団などは崩壊していくことになります

喜び・生き生き・感動・充実は精神の内容でありその喜びの実体は眼球の網膜には映りません
喜び・感動・充実こそ神の表現体であり苦悩の時があって初めて神を視覚的に外にその姿を求めることは物質結晶としての存在を探し見いだす事であり全く意味がありません
至福感の根源を神とすれば喜び・感動・充実・美・壮快の中に神を見出すべきであり「悉皆仏性」と云う生きているもの全てに仏を見ると云うのは正しくそれであります

「花にも住まう菩薩様」
「あらゆる生命体の背後にある神」

物質的客体の花そのものが菩薩や仏ではないことは当然でありそれを見つめている自己意識とはここにも生かされている花がありわが身と同じように可憐に咲く花の生命を仏性と看ている訳です

至福観や生命美と云う意識の中の喜びや感動も大生命意志の琴線に触れた内なる現象でありこれが視覚的にはわずかに瞑想体験で光輝として知覚されたり胸の中心部分からのメッセージとして知覚されます
そこには傲慢さも無く金も要求せず異臭もせずただ母体の中にいる安らぎに似た思いを味わう感覚として受け取られるものであり身体の中にある「見えない純正意識体」が神に近いものとして認識できます

釈迦・キリストの純正意識体とは一人ひとりの個の魂と共通な存在であり自己の魂と他の魂とは分割されていないのが真相です
大生命意志のたった一つの細胞を個とすれば大生命意思は細胞個すべての中に等しく存在し釈迦の意識の中にもキリストの意識の中にも存在しここに純正意識と云う個の深奥の内容は一つの集合(体)意識です

歴史上の聖者・覚者の実存はそれとして仮に身を纏った物質体の神が貴方の目の前にいたとしたらそれは目先の奇跡に動転する必要も無くむしろ静かに語りかけるべきです
礼を正して自己の魂レベルで語り判断すべきでありそこに純正・無私以外の違和感を感じたならば単なる魑魅魍魎の幻影と看破すべしです
視覚化された実像の認識とは自己意識のスクリーン投影であり物質的次元の外から網膜を経由して視神経を励起して入る映像よりも意識の内側で純正なる思索を通じて入ってくるそのままの内側からの神の映像のほうが投射の変換器も無く意識次元は同質でありそのスクリ-ンへの映像はより鮮明です

神を外にその姿を求めようとしても見えません
大生命意志の反映が万物の生命でありレンゲ草一本にもヒノキの大木一本にも大生命意思が反映しその生かされている生命そのものの中に神を見るのが本意であり見ている自己意識と見られている生命体意識との見えない対話を楽しんでいるのが神の神理(真理)です


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