「古事記|禊祓」


<その1>
ここを以ちて
伊耶那岐の大神の
詔(の)りたまひしく
吾(あ)は
いな醜(しこめ)め
醜めき穢(きたな)き国に
到りてありけり
かれ吾は
御身(おほみま)の
祓(はわへ)せむと
のりたまひて
竺紫(つくし)の
日向(ひむか)の
橘 (たちばな)の
小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)に
到りまして
禊ぎ祓へたまひき

「ここを以ちて」
伊耶那岐の命は自らの心の中で言霊五十音の整理・運用の方法を検討してその結果として主体内のみの人間精神の最高・理想の心の持方である建御雷の男の神と云う精神構造を示す音図の作成しました
自らの心の中だけで自覚した精神構造が広く客観世界に適用しても通用するものかどうかを確かめるべく伊耶那美の命がいる黄泉国(客観世界)の探究をする外国に出掛けて行きました
客観的人類文化が建設初期で未完成で自己主張の騒がしい社会相が繰り広げられていてその様を見た伊耶那岐の命は驚いて自らの主体的文化の確立している高天原へ逃げ帰りました
追いかけて来た伊耶那美の命と高天原と黄泉国との境に置かれた千引石(ちびきのいは)を間にして向き合い離婚宣言をしました

「伊耶那岐の大神」
黄泉国へ出て行き高天原に帰って来た伊耶那岐の命は物事を自分の外に見る客観世界研究の黄泉国の乱雑で自己主張の文化状況を見て知りました
黄泉国の文化も自らの責任である世界人類の文明の中に取り入れてこれを生かすために創造の原理は伊耶那岐の命の心中とした基本原理を主体性として建御雷の男の神として自覚しました
伊耶那岐の命は黄泉国へ行きその客観研究とその態度を明らかに見てその実相を知ってしまった人としての自分を材料として摂取しそれに新しい生命を与えて人類全体の文明創造に取り入れて行く責任を負うた自分を自らの行為の出発点としました
高天原に逃げ帰るまでの姿を伊耶那岐の命と云い高天原に帰り本来の主体性の真理の領域の主宰神であり自らが体験した客体性の領域の文化を摂取して新しい生命(光)を吹き込み人類文明創造に役立つ糧と変えて行く責任を負う立場に立った伊耶那岐の命を伊耶那岐の大神と云います
伊耶那岐の命が主宰する高天原精神世界も伊耶那美の命の主宰である黄泉国客観的物質世界も元はただ一つの生命宇宙でありそれに人間の思考が加わる瞬間において主体的宇宙である言霊「ア」と客体的宇宙である言霊「ワ」に分かれます
分かれるから分り分かれなければ永遠に分りません
主体である言霊「ア」と客体である言霊「ワ」に分かれた生命宇宙が再び人間の観想の下に一つに統合する立場に帰る唯一つの道が「禊祓の行為」です

「吾はいな醜め醜めき穢き国に到りてありけり」
「かれ吾は御身の祓せむ」
古事記の禊祓とは高天原日本の天皇(スメラミコト)が言霊原理に則(のっと)り外国所産の文化を摂取して新しい息吹を与えて人類文明創造の糧に取り込んで行く聖なる政治の手法です
個人救済の宗教的行事ではなく伊耶那岐の大神の禊祓が「かれ吾は御身の祓せむ」と始まることとなります
御身とは伊耶那岐の大神の身体と云うのではなく主体的精神原理の自覚者が客体的・物質的世界の様相を現実に見て体験してしまった自分が既に知ってしまったと云う状況を出発点として知ってしまったものを如何にしたら人類の新しい文明創造の糧として生かして行くことが出来るかと云う問題を抱えた自分(身体)と云う意味です
伊耶那岐の大神は自らの身体を変革して人類文明創造の確実な手法を完成・自覚しようと禊祓の実行に入って行く事となります

「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして禊ぎ祓へたまひき」
地球上の場所の名前なのではなく人間精神の一つの次元の構造を示す音図であり精神上の場所の意です
伊耶那岐の大神は本来の自分の心構えに立ち帰りそれを禊祓の行の基盤としました
禊祓を始めるに当り伊耶那岐の大神は自分自身は何の先入観のない大自然の心に立ち帰りその上で禊祓の行が進むに従って自分がどの様に変貌して行くかを見定めようとし行を始めるに当り種々の準備に入ります

かれ投げ棄(う)つる御杖(つえ)に成りませる神の名は
衝(つ)き立つ船戸の神
次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は
道の長乳歯の神
次に投げ棄つる御嚢(みぶくろ)に成りませる神の名は
時量師の神
次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は
煩累(わづらひ)の大人の神
次に投げ棄つる御襌(みはかま)に成りませる神の名は
道俣の神
次に投げ棄つる御冠(みかぶり)に成りませる神の名は
飽昨(あきぐひ)の大人(うし)の神

禊祓の行をするにはその行の指針となり鏡となるものが必要でそれを杖と云い判断の基準です
伊耶那岐の大神が先に自らの主観内に完成した最高の規範である建御雷の男の神の音図です
伊耶那岐の大神は自らの主観内真理として自覚したこの音図を実際に黄泉国の文化に適用しても誤りないかどうかを確かめ自らの主観内真理が主観内と同時に客観的に絶対の真理として通用するかを確かめるために黄泉国に出掛け禊祓の行を遂行しました
大指針としての建御雷の男の神の五十音図を衝立つ(斎き立つ)船戸の神と云います

次に伊耶那岐の大神は摂取する黄泉国の文化の実相を見極めるために五つの観点を設定しました

(1)道の長乳歯の神
物事の連続性・関連性を調べる基準
(2)時置師の神
物事の五十音図に於ける時処位を量る基準
(3)煩累の大人の神
物事のどちらともとれる曖昧さをなくしはっきりさせる基準
(4)道俣の神
物事の区分けをする明らかな分岐点を見つける基準
(5)飽昨の大人の神
物事の道理を明らかに組んで行く為の基準

五つの観点からの観察によって摂取する黄泉国の文化や産物の実相を明らかに見定めることが可能となります

+++

<その2>
次に投げ棄つる
左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は
奥疎(おきさかる)の神
次に奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神
次に奥津甲斐弁羅(かひべら)の神
次に投げ棄つる
右の御手の手纏に成りませる神の名は
辺疎(へさかる)の神
次に辺津那芸佐毘古の神
次に辺津甲斐弁羅の神

左の手の手纏とは菅麻音図の向って右五母音「アオウエイ」です
右の手の手纏とは菅麻音図の向って左五半母音「ワヲウヱヰ」です
物事の動きは母音に始まり八つの父韻で示される経過を経て半母音で終熄します
奥(おき)は起で陽性音で初めのことです
辺(へ)は山の辺の言葉が示す陰性音で終りのことです
奥疎(おきさかる)とは疎るが遠ざけるの意です
辺疎(へさかる)は終りの方へ遠ざけるの意です

禊祓は違和感を感じている自らの状態から始めることとなります
禊祓の指針として衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)を掲げ道の長乳歯の神以下五神の観点から他文化の実相を把握してこれから禊祓を始める出発点に立った時の伊耶那岐の大神自身の心の状況の確認が奥疎の神です
禊祓開始の時のわが身の状況の確認がその後の作業を正確に滞りなく進める必要欠く可からざる条件です

「奥津那芸佐毘古の神」
「辺奥津那芸佐毘古の神」
出発点の実相から結論に向う(奥津)すべての(那)芸(わざ)を助ける(佐)力(毘古)の働き(神)となります
また結果(辺)へ渡す(津)すべての(那)芸(芸)を助ける(佐)力(毘古)の働き(神)となります
伊耶那岐の大神は黄泉国の文化を世界文明創造の糧として取り込みその実相を見極めそうした自分を変貌させて文明創造にまで行き着くために出発点として他文化を抱え込んだ自分を変貌させて行くすべての方法(芸)を助(佐)ける力が必要です
自分を変革して行く原動力となるものが必要となり出発点の自分を動かす原動力となる力が奥津那芸佐毘古の神です
自己変貌は結果として文明創造のイメージを実現させるものであるべきでこれを辺津那芸佐毘古の神と云います

「奥津甲斐弁羅の神」
「辺津甲斐弁羅の神」
奥津は始めの状態から出発して結果に向って渡して行くの意で辺津は結果として完成するよう渡して行くとなります
甲斐は山と山との間を指す峡の意であり減らすの意であり禊祓の出発点となった異文化を体験した伊耶那岐の大神の禊祓を始める出発点の状態(奥疎)から禊祓の完成する結果に向って動き出すすべての芸を助けて行く力となる言葉(奥津那芸佐毘古)と結果として完成させる芸のすべてを助ける力の言葉(辺津那芸佐毘古)との間を減らして双方を一つの言葉としてまとめる働きのことです
始まりの状態を変革して行く働き(奥津那芸佐毘古)と結果として完成させる働きの両者の相違する間が減らされて取り除かれて一つの言葉にまとまる事が出来るならば禊祓の行は成功することなります
目指すは人類文明創造であり始まりは伊耶那岐の大神の黄泉国に関する記憶で過去の記憶として言霊「オ」に属します
伊耶那岐の大神はその黄泉国の文化を摂取して人類文明創造の糧として新しい役割を与えようとする作業に入ります
これは将来の文明創造であり将来のものとして言霊「エ」に属します
過去のすべてを自らの内に受け留めこれを土台として将来を創造する原動力の生命意志即ち言霊原理に基づいた言葉(光の言葉/霊葉ひば)です

六神が伊耶那岐の大神の御身(おほみま)の祓(はらへ)による人類文明創造である禊祓と云う作業を人間精神内の心理の経緯です

+++

<その3>
ここに詔りたまはく
上つ瀬は瀬速(はや)し
下つ瀬は弱し
と詔りたまひて
初めて中つ瀬に
堕(い)り潜(かづ)きて
滌ぎたまふ時に
成りませる神の名は
八十禍津日(やそまがつひ)の神
次に大禍津日(おほまがつひ)の神
この二神(ふたはしら)は
かの穢(きたな)き繁(し)き国に
到りたまひし時の
汚垢(けがれ)によりて
成りませる神なり

「上つ瀬は瀬速し下つ瀬は弱し」
伊耶那岐の大神は自らの心の変転を自らの音図(菅麻)のどの次元で検証したらよいかを先ず考えました
菅麻音図の母音は上より「アオウエイ」と並びます
人間の心の動きは「ア→ワ」「オ→ヲ」と母音より半母音に変化します

上つ瀬とは「ア→ワ」に流れる感情次元の動きのことでこの感情次元の心の流れの上で自らの変身を考えることは変化がありすぎて適当ではなく人類文明創造は高度の政治活動でありこれを感情次元で取扱ってはいけないと云うことです

下つ瀬とは「イ→ヰ」に流れる意志の次元で言霊が存在する次元「下つ瀬は弱し」であり言霊原理そのものを論議していては何時まで経っても事態は変わって行かず言霊「イ」次元も文明創造を考えるのに実際的でなく不適当であると云うことです

「初めて中つ瀬に堕り潜きて滌ぎたまふ時に」
菅麻音図の母音の並び「アオウエイ」でありその上つ瀬「ア→ワ」下つ瀬「イ→ヰ」を除く「オウエ」である「オ→ヲ」「ウ→ウ」「エ→ヱ」の瀬が中つ瀬と云うことです

「八十禍津日の神」
「次に大禍津日の神」
禊祓に於て「上つ瀬は瀬速し下つ瀬は弱し」と不適当と否定された母音「ア・イ」の禊祓に於ける功と罪です
母音「ア」の瀬の功罪の判明を八十禍津日の神と云い母音「イ」の瀬の功罪の判明を大禍津日の神と云います
八十禍津日の神の八十(やそ)とは八十と云うことであり菅麻音図を上下にとった百音図から図の如く向って右側の母音十個と左側の半母音十個を除いた八十個の言霊は現象に関する音です
この八十個の言霊の中で上の五段に対応して下の五段にも同じ言霊が並び二つずつ同じ言霊があり同じ現象内容を示しますが上と下とではその現象の意味が違って来ると云うことになります
上段は言霊の自覚者で下段は無自覚者と区別すると一見同じに見える行為・現象がその内容や効果や影響等に大きな相違が出ます
言霊「ア」の次元の自覚に立つといろいろな現象の実相がよく見えます
言霊「ア」次元の観察の功であり実相を見分けただけではすべてのものを摂取してそれを材料として生かし文明創造に資する事にはならずこの功罪を見分ける事が出来たことを八十禍津日の神と云います
大禍津日の神とは言霊「イ」の次元である言霊原理そのもので禊祓をしようとする時の功罪が分かり言霊原理の存在がなければ禊祓そのものが成立せず言霊原理を説いても禊祓は進展せず言霊「イ」次元の禊祓に於ける功罪の認識を大禍津日の神云います

「この二神はかの穢き繁き国に到りたまひし時の汚垢によりて成りませる神なり」
伊耶那岐の命が黄泉国に出掛ける以前には高天原に於て何事が起ってもその物事の実相を言霊「ア」次元に於て見てそれをどう処理すべきかを言霊「イ」次元の言霊原理に照らして見るならば自づと定まりました
黄泉国の汚垢(氣枯れ)た文化ではそうは行かず五十音図を上下にとった下段の五十音図から上段の五十音図に引上げなければなりません
そのためには母音「イ」段の言霊原理は禊祓の根本原理としながらもそれを表面には出さず(大禍津日)また摂取すべき黄泉国の文化の実相を見ながらもこれをまた表面に出す事は差し控え(八十禍津日)文明創造の根幹である中つ瀬の言霊「オウエ」の瀬に於て言霊原理に基づいた光の言葉(霊葉ひば)黄泉国の文化をその実相を損なうことなく闇の世界から高天原の光明世界に引上げることが出来る新しい息吹の言葉を創造の原動力としなければなりません

「次にその禍を直さむとして成りませる神の名は神直毘の神」
「次に大直毘の神」
「次に伊豆能売」
八十禍津日に見られるように黄泉国の文化の実相を見極めこれを前面に公表すればその客観的な実相を対象として捉えその改革によって人類文明に取り入れようとすることになります
これでは黄泉国の文化をその有りの侭に摂取することにはならず黄泉国の文化に言霊「イ」次元の言霊原理を当てはめて改革しようとしても一方は主体文化で他方は客体文化と云う異質の文化でありそれが通るものではありません
大禍津日に見られるようにその方法で禊祓するのは到底無理であり禊祓の本来の方法である伊耶那岐の大神が先に主体内に確立した建御雷の男の神の原理を指針として黄泉国の文化を体験してしまった伊耶那岐の大神自身が奥疎から辺疎に変身することによって新人類文明創造を行う立場に帰らねばなりません
それを可能にするには奥(辺)津那芸佐毘古の神と奥(辺)津甲斐弁羅の神の働きを満足させる原動力となる言葉が必要となります
その言葉は百音図の下の五段にある実相音を無条件で上の五段の高天原の世界に引上げる働きが備わっている言葉です
更にその言葉は黄泉国の文化を体験して知ってしまったと云う過去の事実に於てしっかりと受け止めそれにただ流されることなく新しい生命の息吹を与えて将来の創造行為に展開して行くことを可能とする言葉でなくてもならないのです
この条件を満たす言葉とは今ここに展開して将来を創造する言霊とその原理に根差した光の言葉です
伊耶那岐の大神はその様な言葉を発見するべく自らの心の瀬の言霊「オウエ」の三つの瀬である中つ瀬に堕り潜いて行くこととなります

言霊「オ→ヲ」の流れに求めて発見する光の言葉を神直毘の神と云います
言霊「ウ→ウ」の流れに入って求めた光の言葉を大直毘の神と云います
言霊「エ→ヱ」の流れの中で発見した光の言葉を伊豆能売と云います

神直毘とは言霊「オ」次元に属する黄泉国の学問のすべてを人類全体の学問として引上げることが出来る光の言葉の働きといった意です

大直毘とは言霊「ウ」の次元に属する黄泉国の産業・経済の産物を人類全体の産業・経済ルートに乗せ得る霊葉(ひば)の働きの意です

伊豆能売(いづのめ)とは御稜威(みいず)の眼(め)の意であり言霊「エ」の次元にあって発揮される言霊原理の最高の光の言葉であり人類が永遠に生きて理想の文明を築くための眼目となる働きの意です

+++

<その4>
次に水底に滌(すす)ぎたまふ時に成りませる神の名は
底津綿津見の神
次に底筒の男の命
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は
中津綿津見の神
次に中筒の男の命
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は
上津綿津見の神
次に上筒の男の命

八十禍津日大禍津日に於て黄泉国の文化を世界人類全体の文明に摂取するには黄泉国の文化を対象として光の言葉によってその文化を闇から光の世界へ引上げるのが適当だと分りその実際の方法を求めて中つ瀬に入っていきました
中つ瀬「オウエ」のそれぞれの心の流れの中で光の言葉と言霊原理に根差した霊葉の働きを検討して「神直毘(オ)」「大神直毘(ウ)」「伊豆能売(エ)」が効果があります
伊耶那岐の大神が禊祓の舞台としている天津菅麻音図は母音が上から「アオウエイ」と並びます
上つ瀬「ア」と下つ瀬「イ」は禊祓の舞台としては適当でないことを知り中間の中つ瀬に入り中つ瀬は言霊母音「オウエ」の三本の流れです
その三本を区別するために中つ瀬の水底・中・水の上の言葉を使い水底「エ」中「ウ」水の上「オ」の心の流れです

「次に水底に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は底津綿津見の神」
「次に底筒の男の命」
中つ瀬の水底である言霊母音「エ」の流れに於て伊豆能売と云う光の言葉の原動力を発現しますと黄泉国の文化並びに社会全体が見事に高天原の光の社会に引上げられ摂取・融合されて行くことが確認されました
この確認・証明を底津綿津見の神と云います
摂取・融合の過程が明らかに現象子音によって確認され言霊「エ・テケメヘレネエセ・ヱ」の「エ」より「ヱ」に渡す八子音です
高天原文明への引上げの過程の八子音の連続の並びは一本の筒(チャンネル)の形をしていますので底筒の男の命と名付けられ名の終りに「男」の一字が附せられたのはこの子音の列の確認が禊祓を実行する人の生きた心の中今に於て行われることを示すためです

「中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は中津綿津見の神」
「次に中筒の男の命」
中つ瀬の水の中は言霊「ウ」段でこの次元に於て大直毘の神と云う光の言葉の原動力が働くと黄泉国の産業・経済の領域のすべてが高天原の人類文明にそのままの姿で引上げられることが可能であるの確認を得たのでした
この確認を中津綿津見の神と云います
光の世界へ引上げられる過程の現象が言霊子音「ウ・ツクムフルヌユス・ウ」となることが分かり言霊八子音による確認を中筒の男の命と云います

「水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は上津綿津見の神」
「次に上筒の男の命」
中つ瀬の水の上は言霊「オ」段でこの次元に於て神直毘の神と云う光の言葉が働きますと黄泉国の客観的学問とその文化のすべては世界人類の光明の文明の中に摂取されることが確認されました
この確認を上津綿津見の神と云います
摂取されて世界文明の一翼を担うようになるまでの経過が言霊子音「オ・トコモホロノヨソ・ヲ」の八音で示されることが確認でき黄泉国の文化を高天原の人類文明に引上げる経過の八子音による確認を上筒の男の命と云います

禊祓の法が三柱の綿津見の神によって黄泉国の文化が高天原の人類文明に摂取されて行くことの可能性が検証されその摂取の経過が現象八子音のチャンネルであります

「三連の八子音」
母音「エ段」テケメヘレネエセ
母音「ウ段」ツクムフルヌユス
母音「オ段」トコモホロノヨソ

+++

<その5>
この三柱の綿津見の神は
阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が
祖神(おやがみ)と斎(いつ)く神なり
かれ阿曇の連等は
その綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり
その底筒の男の命
中筒の男の命
上筒の男の命三柱の神は
墨の江の三前(すみのえのみまへ)の大神なり

「この三柱の綿津見の神は阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と斎(いつ)神なり」
底津・中津・上津の三柱の綿津見の神は後の世の阿曇の連等が自分達の先祖の神だとしてお祭りしている神と云うことです
神話の総結論である三貴子の神々が誕生する前に阿曇の連と云う後世の一族のことなどを挿入したのは「後世 言霊の原理が人類の意識に蘇(よみがえ)り 言霊の原理に基づく文明創造の時が来る時 その創造を司(つかさど)る政治の庁の基本的なやり方を示唆するため」です
綿津見の神とは底津・中津・上津共に禊祓の出発点より終結点まで渡して(綿津)新文明の創造の中に取り込んで行く働きのことでその働きの経緯は底津(エ段)・中津(ウ段)・上津(オ段)共に「テケメヘレネエセ」「ツクムフルヌユス」「トコモホロノヨソ」と底・中・上の筒の男の命が示す八個の現象子音によって明らかに示されます
阿曇の連は昔の身分・官職を顕わす名で阿曇とは明らかに続いて顕れるの意です
綿津見と阿曇は禊祓と云う文明創造の行法(政治)に於ては同意味の事柄と云うことです
三柱の綿津見の神が阿曇の連が祖神と斎く神とは神話に於ける子とか子孫とか云う場合は神が原理を顕わす時にその子または子孫とはその原理や力の運用・実行者であることを示しています

「かれ阿曇の連等はその綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり」
宇都志日金拆の(うつしかなさく)命とは、宇は家(いえ)で五重で人の心の住家の意であり宇都志の都は宮子(みやこ)で言葉のことであり志はその意志またはその意志による生産物を示していて宇都志で現実をも示します
宇都志で人間が住む世界全体の生産する文化と云うことでありその世界全体の生産する文化を日(言霊)の原理に基づいて金拆(かなさ)く神名である大和言葉に変換して咲かせるの意です

禊祓の出発点から終着点に導くためにはそれを可能にする原動力となる言葉の力が必要です

大禍津日・八十禍津日の五十音図を上下にとった百音図の下の五十音が示す外国(黄泉国)の文化を上の五十音図(高天原が統治する言霊原理に基づいて創造させる人類文明)へ引上げるためには神直毘・大直毘・伊都能売の光の言葉が必要です

禊祓を完成させる光の言葉(霊葉ひば)の御稜威によって禊祓は完全に可能であると云う証明が綿津見の神として成立したと云うことです
その言霊原理の絶対の真理の確証が成立する事を示す三柱の綿津見の神の子である宇都志日金拆の命とは現実の人類世界を統治する天津日嗣「スメラミコト」の世界文明創造の政庁の中の外国の文化を人類文明に組み込んで行く役職のことでありその実際の方法がその役職名が示す如く外国の文化を言霊原理に則り大和言葉に宣り換えて行くことと云うことを明らかに示しています

阿曇の連とはそれより更に後世に於ける朝廷内の同様の役職名であり竹内古文書にはこの宇都志日金拆の命のことを萬言文造主(よろづことぶみつくりぬし)の命と記されています
スメラミコトの世界文明創造とは外国の文化を言霊原理に基づいて日本語に宣り直して行くことだと云うことです

「その底筒の男の命」
「中筒の男の命」
「上筒の男の命三柱の神は墨の江の三前(すみのえのみまへ)の大神なり」
底・中・上筒の男の命の三神は墨(統見・総見・澄見/すみ)である言霊原理の総結論である三貴子(みはしらのうずみこ)である「天照大神・月読命・須佐男命」三神(三)と云う精神の最高規範(慧・江/え)が生まれてくる大神でありとの意です
禊祓の神業によって外国の文化の一切を光明の高天原の人類文明の中に摂取して行く創造行為の最高の規範の確認には底・中・上の筒の男の命で示される言霊子音による検証と云う前提を経て初めて承認されると云うことです
高天原と黄泉国と云う両精神界の境に置かれた千引き石(道引の石)とは底筒の男(エ段)・中筒の男(ウ段)・上筒の男(オ段)に「ア」段を加えた子音三十二個の言霊のことです

+++

<その6>
ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名(みな)は
天照(あまて)らす大御神(おおみかみ)
次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は
月読(つくよみ)の命
次に御鼻(みはな)を洗ひたまふ時に成りませる神の名は
建速須佐(たけはやすさ)の男(を)の命

人間天与の五つの性能である言霊「ウ:産業・経済」と言霊「オ:学問」と言霊「ア:芸術・宗教」と言霊「エ:政治」と言霊「イ:言葉」の中で人類文明に最も直接に関係するものは言霊「ウ」の産業・経済と言霊「オ」の学問に言霊「エ」の政治活動の三現象です
禊祓の行によってこれら三性能の活動の最高理想の行動原理となる規範(鏡)が結論として完成しまし典型的な規範に対して名付けられた神名が天照らす大御神(エ)・月読の命(オ)・建速須佐の男の命(ウ)の三柱の貴子(うずみこ)でそれ等三神の親は伊耶那岐の大神です

伊耶那岐・美二神によって言霊の五十音図が出揃った後に伊耶那岐の命のみで五十音言霊を整理・点検し主観内に於て完成した理想の音図の建御雷の男の神と呼ばれた音図とその主観内自覚の音図を禊祓実行の指針として掲げた衝立つ船戸の神と名付けられた音図とそして禊祓の実行・検証の結果・主観的であると同時に客観的で絶対的な真理と確認された音図が完成されました
この音図を「天津太祝詞(音図)」と云います

音図の言霊母音「エ」段の配列
「エ・テケメヘレネエセ・ヱ」の十音を「天照大御神」と云います
音図の言霊母音「オ」段の配列
「オ・トコモホロノヨソ・ヲ」の十音を「月読の命」と云います
音図の言霊母音「ウ」段の配列
「ウ・ツクムフルヌユス・ウ」の十音を「建速須佐の男の命」と云います


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