「言霊学の門」


「新約聖書ヨハネ伝」
太初(はじめ)に言(ことば)あり
言は神と偕(とも)にあり
言は神なりき
この言は太初に神とともに在り
萬(よろづ)の物これに由りて成り
成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし
之に生命(いのち)あり
この生命は人の光(ひかり)なりき
光は暗黒(くらき)に照る
而して暗黒は之を悟らざりき

英語の聖書ではこの「太初に言あり」の「言」にthe Wordと大文字を使っていてロゴス(Logos)なるギリシャ語を用いている書もあります
古代「言」をマナ(manna)と呼び旧約聖書には「マナとは神の口より出ずる言葉なり」と書かれてます
マナの事を仏教では「摩尼」と呼びヒンズー教で「マヌ」と云い「マヌの法典」なる古文書が遺されてます
日本語では「麻邇(まに)」と云いその法則を「布斗麻邇(ふとまに)」と呼んでいます
マナは古代世界語です

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「生命」とは
心と体が一つになったものが生命ではなく生命が先ずあってそこに人間の思惟が加わる時に生命が心と体に分かれます
分けるから分り分けなければ永遠に分かりません
これが人間の思惟の持つ業(ごう)であり主体である心と客体である体を両方向に調べ共に究極の構造に到達した時に初めてその構造が掌の表と裏として相似形を成す事が分かります
この時に主と客双方の真理を踏まえて心の原理である言霊「イ(親音)」の次元の自覚に立つ時に心と体を両輪とした生命それ自体を観想によって知る事が出来ます
生命が生命を知る
古事記では伊耶那岐の大神と呼びます

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「信仰を卒業する」

自力信仰では
仏教禅宗の「空」を自覚する事であり「色即是空 空即是色」と知って自らの心の本体が宇宙そのものであると知る事で自我意識が実在ではなく現象であると知る事です

他力信仰では
キリスト教や浄土真宗の謂う「信心の決定」のことであり「善人なを往生す いかにいわんや悪人をや」と悪人正機を知り弥陀の御手に深く抱かれている自分を知ることでありパウロの「今よりは我生くるに非ず イエス・キリスト我が内にありて生くるなり」の如く身の内にイエス・キリストの復活を知る事です

信仰の卒業とは信仰の対象である神仏と自我が一体となることであり仏教で言えば初地の仏となりキリスト教ではアノインテットの境涯を云います

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信仰を持たずに一生を過ごすのも一つの人生であり信仰に身を捧げるのも一つの生の営みです
言霊学を志す人々には「信仰を卒業する」主な二つの理由があります

<第一の理由>
この世に生をうけて自我の五官感覚に基づく欲望の追求に一生を費やす人や或いはその欲望追求の経験の間の法則を求めて学問探求を仕事とする人である言霊「ウ・オ」の境涯とまたそれ等の欲望と経験知識探究の生活の中の矛盾に氣付き信仰によって自らの心の種々の束縛から脱却して平安を望む人である言霊「ア」の境涯とはいずれも言霊「ウ・オ・ア」の境に在って努力する人々はその日その時の雰囲氣によって一喜一憂して心は揺れ動いているものです
揺れ動く自らの心で動いている社会を見ても社会の真実の姿である物事の実相を見極める事は困難でありこの人達が物事の矛盾に遭遇する時に必ず喧々囂々の論争が捲き起りそれは物事の実相を見極める眼を持ち得ないが為です

物事の実相を見るためには自らの自我意識を形成する言霊「ウ・オ」の経験知識と自らの「救われたい」心の束縛を脱して完全な心の安心である「我即宇宙」を実現することであり言霊「ア」の修業の卒業が必要です
言霊「ア」の修業からの卒業は言霊学の門に通じています
人それぞれの持つ経験知識によって形成された視点から人が生れた時から授かっている宇宙の視点に移行することが出来ます

<第二の理由>
言霊学の門をくぐるとそれまでの信仰で神仏と呼んでいた信仰の対象が言霊「ア」の純粋の愛・慈悲の世界とその世界の内容である言霊の五十音とその法則である布斗麻邇の原理である言霊「イ」とその原理に基づいた人類文明創造の手段である言霊「エ」と云う呼名に変ります
神と云い仏と云う言葉が実はここ人類歴史三千年間の方便の世の假りの名であった事を知りえます
信仰に於て神仏として自己を超越した外に仰ぎ見たものが実は自らが生来与えられていた五つの性能言霊「イ・エ・ア・オ・ウ」五母音の宇宙であると知りそれは自らの心の住家である心の宇宙の構造を知ることになります

人間生来の性能の根元である言霊「イ・エ・ア・オ・ウ」五母音が自らの心の住家であることを知る事によって神仏を自らの外に信仰の対象として仰ぎ見ている時には自覚が不可能であった以下の事項の認識が明らかに開ける可能性が生れて来ます

(1)キリスト教によって「父の名を崇めさせ給え」と祈りの究極の願望であった創造主の名が実は人間の心の最奥に働く生命創造意志である言霊「イ」の実際の智性のリズムである言霊「チ・イ・キ・ミ・シ・リ・ヒ・ニ」であると知りその働きの内容を人間自身の心の中に内観することが出来ます

(2)言霊父韻と母音との交流によって生れ来る現象の実相単位三十二の子音の確認が可能となります

(3)人間の全精神構造を父韻・母音・子音の五十音図として自覚してその原理の最高の活用法である人類歴史創造の手段である禊祓の大業を自覚して皇祖皇宗の経綸に参画することが出来ます

(4)人間の歴史創造の営みの一切は架空なる神仏の為す業ではなく平々凡々たる我等人間に課せられた崇高な使命であることを知ります

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夜更けて心静かに自らの言霊「オ・ウ」の心を見つめます
そこは欲望と経験知識が交錯し合い煩悩交々(こもごも)起り地獄相の中に心がのたうち廻っているのが見えます
自らの力でこの地獄から抜け出る事など到底出来るものではないと知ります

歎異鈔より
「煩悩具足の凡夫 地獄は一定住家ぞかし」
地獄から抜け出し得ないと思い知って抜け出そうとする努力の精も根も燃え尽きてしまいこの時に小さい惨めな自分を粛然と照らしている光を仰ぐ事が出来る人は幸福です

マタイ伝より
「幸福なるかな心貧しき者 天国はその人のものなり」
光は言霊学によって地獄の底まで照らす言霊「ア」の愛といつくしみの光であると教えられます

更に言霊学は言霊「ア」の心の内容として言霊「イ」の生命(イの道)の原理とその法則をまたその法則に基づく言霊「エ」のこの世の全存在を何一つ損う事なく摂取して人類文明創造に役立たせる実践の力をも教えてくれます
人の心の中に言霊「ア・イ・エ・オ・ウ」の天之御柱が厳かに立っている事を知る事が出来ます

維摩経より
「煩悩の大海に入るに非ざれば一切智の宝を得ることなし」
この天之御柱から見る時に自らが長い間もがき苦しんで来た言霊「ウ・オ」の矛盾相が姿そのままに生命の調和に包まれて合理的な営みなのであったと知ります
この柱は皇祖皇宗の世界人類文明創造の原器であり第三生命文明の世はこの原理に基づいて創造されてます
それは平凡なる人間が平凡なるが故に許され委属された人類救済の大業です

黙示録より
「日月の照らすを要せず羔羊(こひつじ)灯火なればなり」
羔羊の灯火とは五十音の言霊の布斗麻邇です

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真言宗に「阿字本不生(あじほんふしょう)」があります
言霊「ア」と云う音は生まれ出て来るものではなく元々宇宙の初めより実在する音であると云う意で人は言霊「ア」の宇宙から生まれこの中で育ちこの中で仕事をし死んでこの中に帰って行きます
だから人は言霊「ア」と云う宇宙の子・神の子と云われます
言霊「ア」と云う宇宙こそ人の心の本体だと云うことです
人は言霊「ア」より生れ言霊「ア」の中に育ちますがその自覚がありません
神や仏の教えに従って学び初めて自覚する事が出来ます
空(くう)とは人を包んでいる大空の如きものでありなのにそれが見えないのは見ようとする人の心に雲がかかっているからであり空は一生追い求めても分るものではなく空を知りたいなら自分の心の曇り即ち自分の自我意識それを構成している自分の持つ経験知識を心の中で「ノー」と否定してしまえばよく雲がはれれば青い空は自ずと顕れます
「空」を求めることを禅では「屋上屋を架す」と警めてます
「屋根の上にもう一つ屋根を造るな」と云う意味です
般若心経は国常立命の祓いであり「色即是空 空即是色」の経文で「空」を知る修行は言霊「エ」である国常立命が人間に課した祓いです
人の心の本体が「空」なる宇宙そのものと知ることによって言霊「ア」と云う次元宇宙から言霊「エ」の実践智が泉の如く湧き出て来ることを自覚することが出来ます
言霊「ア」では今まで生きる為の宝物と思って来た経験知識を心の中に「本来の自分ではない」と否定します
自分が身につけた知識が無くなったら一体自分はどうなるのだろうと云う不安におそわれます
自分自身の内面の問題であるから他人に愚痴るわけにも行かず一生の中で最も強い孤独感を味わうのはこの時です

マタイ伝より
われ地に平和を投ぜんがために
来れりと思うな
平和にあらず
反って剣を投ぜんがために来れり
それ我が来れるは
人をその父より
娘をその母より
嫁をその姑嫜より
分たん為なり

言霊「ア」によって如何に孤独を感じて心細かろうとも心配は要りません
自分の心から次々に経験知識が否定されて行って無一物になったらその時は母親に抱かれていた赤ん坊の心に帰るだけの事であり大いなる宇宙そのものの中の言霊母音に帰れます
宗教で云う神に抱かれている事を更めて知ることになります
泣き叫びたい程の孤独感は実は自分を抱いて下さっている神である宇宙自体が孤独であったからだと知ります
宇宙も神もこの世にただ一つであり無くなってしまったらと不安におののいた経験知識も決して無くなる事なく本来の我である「空」なる主体宇宙のコントロールの下に生活創造の道具として立派に役立つものである事を知ることとなります
言霊「ア」によって人は何を得ることもなく何も変わることもなく御利益はありません
自我意識と云う仮面が消えて真実の自分(実相)を見るだけです
当り前のことを知り初めから平凡であった自分に帰るだけです
言霊「ア」によって言霊学の門がそこに開かれこの門を入る人は世界歴史の創造に責任を持つ人となります
それが言霊学の始まりとなります


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