「光の救済」


古事記
「八十禍津日の神 次に大禍津日の神 この二神は かの穢繁き国に到りたまひし時の 汚垢によりて成りませる神なり 次にその禍を直さむとして成りませる神の名は 神直毘の神 次に大直毘の神 次に伊豆能売」

古事記が説く禊祓(みそぎはらひ)とは人類文明創造が黄泉国の罪穢の救済を言霊の光の中に引き上げてその光の文明の内容として同化させたことです
その方法を示すのが「神直毘」「大直毘」「伊豆能売」の神名です

「光の救済」
従来の宗教が行なって来た個人の魂の救済だけではなく人類全体を救済することが出来る存在です
個人の魂の宗教的救済には罪に悩む人へ言霊「ア」の愛と慈悲の光の存在を知らすことによって果たすことが出来ますが地球上の全人類を救済することは不可能です
それを可能にする唯一の方法とは言霊「ア」の自覚を超えた言霊「エ」と「イ」の光の自覚が必要となります
人類の第二物質科学文明時代に突入して三千年が経ちこの間の人類は誰一人として言霊「ア」の光より更に上の次元の言霊「イ・エ」の次元の光の中に住むことが出来ていません
この時代を生きた聖人と謂われた方も「もっと光を」と云い亡くなられていて聖人なるが故に「生の本来が光だ」と云うことに氣付き「もっと光を」と云われと伝えられてます
古事記にある三神とは宗教上の神である言霊「ア」の更に上なる次元である言霊「イ・エ」の光の自覚であり人間の一切の行為を所得しめる光そのもののことを云います
言霊「イ・エ」の次元とは生命そのものとその活動の次元です
人類は第一精神文明・第二の物質科学文明に続いて第三の新文明創造の出発点にあり皇祖皇宗の御経綸の下においてその発進の号砲を鳴らすのはこの世に生を受けた人間の自覚された創造行為です
言霊「ア」と云う現象が顕れる元の宇宙(空)を信仰の例えからでは自我を構成する経験知を一つ一つ確認してその経験知識は本来の自分ではなく単なる現象に過ぎないと否定する時に心の本体は広い広い宇宙そのものであることが分かります
宇宙は透明広大で塵一つとどめない永遠・無限であることが分かり人間の思惟は此処までであり此処より先へは行くことは出来ないのだと知りここから先に何があるのかないのか考えても無駄だと知りこの認識の上に立って初めて人類は自らの心の内外の一切の現象を正しく知る立場に立つことが出来るようになります
人の心は「ウ・オ・ア・エ・イ」の順で自覚の進化が進みます
「ウオア」の三次元を考えて言霊「ア」の自覚を目指すことによって「ウ(欲望)」と「オ(経験知)」の現象は自分自体ではなく現象・出来事であり自分の本体が宇宙そのもの言霊「ア」だと知ることが出来ます
言霊「イ・エ」の自覚が言霊「ア」の向こうにあるのではなく言霊「イ・エ」が言霊「ア」の自覚の更に先にあり古事記には「次にその禍を直さむとして」とだけ記されてます

さらに古事記には
「天地の初発の時 高天原に成りませる神の名は 天の御中主の神」

古事記百神が教える言霊五十音(母音・半母音・父韻・親音・子音)の五十音図構造と八咫鏡を示す立体構造がイメージ化できます

甕速日(みかはやひ)神
樋速日(ひやはやひ)神
建御雷之男(たけみかづちのを)神

そして古事記には
「天地の初発の時から八十禍津日 大禍津日」とは子音から主体的な母音の方向であり最終部の「神直毘・大直毘・伊豆能売」では全く反対の方向である客体的な半母音の方向へと向かってます

人は宇宙から宇宙の中に生まれ宇宙で育ち働き死んで宇宙に帰る
常に空なる宇宙から離れることはない
その空を殊更知ろうと思うことは無意味です

ではどうするか
常にそこに住んでいるのだからそれを知ろうとするなら常にあるものを知らないと思わし知ることを邪魔しているものそれを心の中に一つ一つ確かめて行く以外に方法はないでしょう
自らの生命の本体でありその住家である「空」を見ることを妨げているものとは即ち自分の自我意識を構成している経験知とその自我との関わりを知ってその経験知の自我が本来の自分ではないことを確かめて行く行為の中でがんじがらめになっている自分一つ一つの縄が解かれ本来の自分を取り戻して行くことを体験することが出来るようになります
それは本来の自分が住む大地が回復しそこに無限の自由と安堵の世界が拡がります

言霊「ア」の存在を知り人間の行為の一切の現象が現出して来る根元の宇宙(母音宇宙)が自覚されそして言霊「ア」の宇宙から人間の感情現象が言霊「オ」の宇宙から経験知現象が言霊「ウ」の宇宙から欲望現象が発生して来ることを理解します

言霊「ウ・オ」の次元の反省から言霊「ア」の次元の存在を確認することができその結果において言霊「ウ・オ・ア」の自覚が心の中心に立ち更なる反省によって下から「ウ・オ・ア・エ・イ」の順で自覚の言霊宇宙が並び天の御柱が立ちます

仏教では言霊「ア」の宇宙を自覚した人を「阿羅漢(あらかん)」と呼び初地の仏であり自我を構成する経験知にのみ頼る煩悩の身の上から脱却して宇宙の目で物事を見て住むことが出来る人の意であります

言霊「イ・エ」の自覚には言霊「ア」の自覚と異なる二つの点があります
第一は
自覚として主体の方向に帰る所が大自然の母音宇宙ですがその心の宇宙の内容を形成する古事記の母音・半母音・父韻・親音・子音の各言霊の構造と活動の仕組のすべてです
第二は
客体的に見られる事物が人間個人の過去・現在であることに加えて世界人類の全歴史とその現在の状況も要求されます
この二点のことが唯一の人間である古事記の伊耶那岐の大神として行なわれる時に禊祓は完成されいかなる悪も闇も一瞬に消し去る霊駆りの言葉が自覚されそれは人間の生命そのままの言葉です

伊耶那岐の大神(イ・ヰ)の生命創造意志が動きその瞬が八父韻を動かし四母音宇宙を剖判させてその一つ一つを刺激することによって森羅万象を創造し現出させ人間の先天構造は斯くの如く活動します
禊祓の行法を自らの心の中の動きとして知り自覚する事ができ天の御柱の自立となります
黄泉国を高天原の禊祓によって光の中に取り入れて行く方法ではなく高天原の純粋な自覚である神直毘・大直毘・伊豆能売による光の手法がまさしく「光の救済」となります


関連記事一覧


無料メルマガ

お名前

メールアドレス


(ドメイン satose.jp 受信設定)

スポンサーリンク

Amazon

楽天市場

Y!ショッピング

Y!トラベル

ブログポリシー

鈴木慧星の名称およびブログの全部または一部をリンク・複製・引用・転用・転載・改変・アップロード・掲示・送信・頒布・販売・出版等を一切禁止します

ソーシャル・ネットワーキング・サービスの利用規約ならびにソーシャルメディアに関するポリシーおよびルールとマナーに違反する行為等を一切禁止します