「おとぎ話|花咲爺」


ある所に正直なおじいさんと欲張りのおじいさんがいました
正直なおじいさんの飼っている犬が裏の畑で「ワンワン」と鳴いて此処をれといいます
そこで掘ってみますと宝物がたくさん出てきました
それを見ていた欲張りじいさんは犬を無理に借りていき犬の鳴く処を掘ると汚い臭いものがたくさん出てきました
欲張りおじいさんは怒って借りてきた犬を殺してしまいました
悲しんだ正直じいさんは犬を丁重に弔って地の中に埋めそのあとに松の木を植えました
その松はずんずん大きく育ちました
正直じいさんはその松の木で臼を作り餅をつきました
すると臼の中からまた宝物がたくさん出てきました
それを見ていた欲張りじいさんは臼を借りていき餠をつきました
すると臼の中から汚いものがたくさん出てきました
欲張りじいさんは怒って臼を割って焼いてしまいました
正直じいさんはその灰を集め撒きますと枯木に花が咲き大層美しくなりそれを見たお殿様から褒められました
欲張りじいさんがまた真似をしてその灰を撒きますと咲いていた美しい花も枯れ人々の眼や鼻や口に入って苦しめましたのでお殿様からきつく叱られてしまいました
・・・とさ

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この花咲爺のおとぎ話は日本伝統の精神原理である「アイウエオ」五十音言霊の学問とここ三千年来発達した物質科学的原理の研究とを対比させた物語です

人間は精神字宙の五つの界層次元に住んでいて五つの次元を五つの母昔で顕わしています
「ウ」は欲望の次元でこの次元から産業・経済活勤が起こります
「オ」の次元は経験知でこれより学問・科学が出てきます
「ア」は感情の次元で宗教・芸術が興ります
「エ」は実践智の次元で道徳的政治が顕れます
「イ」の次元は人間の言葉の原理である五十音の言霊が存在するところです
以上の五つの次元から花咲爺のおとぎ話を読み解くととても示唆に富んだ物語であることがわかります

正直じいさんとは
言霊「イ(言霊原理)」と「エ(その原理に基づく道徳)」を操作活用する人

欲張りじいさんとは
言霊「ウ(産業・経済)」と「オ(経験科学)」を運営する人

正直じいさんの飼っていた犬とは「イ」の奴と云うことで「イ」は五十音言霊の原理のことであり「イ」の奴とはその原理を操作・運用する人の意味となります
犬が鳴いた所を掘るとは言霊原理に則って道徳の政治を行うと云う意味です
すると宝物が沢山出てきましたとは精神文化の花が咲き平和で心豊かな社会が生れてきたと云うことです
日本にも世界にも三・四千年以前まではこのような精神文明の時代が実際に続いていました

魂が言霊「ウ」と「オ」と云う境涯に限定されて生きている欲張りじいさんがその次元段階の法則に従って物事を運営すると結局はその意に反して汚いものがたくさん顕れてきました
言霊「ウ」と云うのは欲望の世界てあり言霊「オ」は経験知の世界で物質面や自分の経験したことの知識だけでしか物事を判断し行動することができません
社会全体とか世界人類全体の福祉とかいう立場には余り重きが置かれません
個人の経験に基づく見解が集まるところには必ず意見の衝突が起こり度を超えた競争が始まり果てには大きな戦争さえ起こり精神的に物質的にいろいろな禍が顕れます
今日の政治や経済や環境の状況がよい例であり物質主義の偏重される時代がくると精神的な原理である言霊布斗麻邇(ふとまに)の学問は国家社会からは忘れられました
言霊を操作する人「イの奴(ぬ)」すなわち犬は欲張りじいさんに殺されてしまいました
それは今日より約二千年以前第十代崇神天皇の時代のことです
正直じいさんと欲張りじいさんの対立はずうっと続きます

正直じいさんは殺された犬を丁重に葬って埋めその上に松の木を植えました
松が育って大きくなるつとその木で臼を作って餅を搗きました
すると宝物がたくさん出てきました
松の葉はその元のところから二本に分かれています
一つの生命を調べるには陰陽二様に分けることから始まります
物事の真相はまず考える主体と考えられる客体に分かれて分析されます
それは松の葉の根元から葉が二本に分かれる形であると同時に分析して内容が個々に確かめられたら再びそれらを結合して元の姿に組立てることが大切です
分析と総合ができた時に初めて人はその物事の真相を全部は把握したことになります
松の棄の陰陽の分かれから元の一つの根元に帰ることでこれを言霊の原理では「まつり(祭・政・真釣)」と呼びます

正直じいさんは右の分析と総合という方法を表わす松の木で臼を作りました
その臼で餅を搗きました
餅で上下二段の鏡餅ができます
人間の心を分析して五十個の言霊を手にしました
人間の心は五十個の言霊から構成されていることがわかります
この五十個の言霊が鏡餅の上段に当たります
その分析されてわかった要素の言霊を整理活用してその総合の結果において政(まつりごと)の基準となる精神理想の体系が出来上がります
この整理・活用の方法がちょうど五十ありこの五十の整理法が鏡餠の下段に当たります
五十個の言霊とその整理の手順が五十で合計で百の原理を百の道で餅と呼びます
正月に床の間にお供えする鏡餠のことです
人間社会を運営して行く基準(鏡)となる百の道とい云う意味です
臼とはその鏡餠を搗く道具であり即ち方法のことを指します
鏡餠の上段である五十個の言霊を神としてお祭りした宮を伊勢の五十鈴の宮(伊勢神宮)と云い下段の整理法をお祭りした宮を奈良の石上神宮(五十神〉と申します

正直じいさんが臼で餅を搗きます
云い換えると言霊の原理によって政治を行うことは人類全体の調和がとれた精神的な施策が次々に打ち出されそれはまるで宝物がざくざくと湧くように顕れます
反対に欲張りじいさんが真似て餅を搗きますと物質的な利益を主眼にして社会全体を無視した悪政と公害が地球上に顕れ臭い汚いものが湧き上がってきます

欲張りじいさんは怒って臼を焼いてしまいました
正直じいさんは臼の灰を集めて枯れ木に撒いてやりました
そうしましたら枯木の枝に美しい花が咲き出しました
「枯木に花を咲かせよう」と正直じいさんは村や町に美しい花を咲かせて歩きました
この灰は葉霊(はい)であり言葉と心則ち言霊のことです

新聖書ヨハネ伝
「太初に言あり 言は神とともにあり 言は神なりき この言はよろず太初に神とともにあり 萬のものこれによりて成り 成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし 之に生命あり この生命は人の光なりき」
と記されていることです
これは生命即言葉の法則のことです

正直じいさんがその灰を撒くと云うことは言霊の法則に基づいた種々の政策と施すことです
この原理に基づいて物事を運ぶと三千年の暗黒の歴史の闇を破って再び蘇ってきた精神の原理と今や完成に近づいている物質科学の原理の双方を給合した人類の第三文明の時代が実現してこの地球上に今までになかった豊かな生活と恒久の平和がもたらされることになります
欲張りじいさんが灰を撒く云い換えると言霊「ウ(欲望)」と「オ(経験知)」だけを操作して物質優先に偏った施策を行い続けて行くと社会の生存競争はますます厳しくなり人心は荒廃し公害は増大し地球上は生物の住む所ではなくなりとどのつまり世界の核戦争と云う決定的破滅の事態を招くことになります
花を枯らすばかりだけでなく人間やすべての生物が絶減してしまいます
欲張りじいさんの撒く灰とは放射能の「死の灰」を意味してます

先人たちからの予言です


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