「おとぎ話|舌切り雀」


むかしむかしある処におじいさんとおばあさんがいました
その家の竹薮では雀が大勢集まって楽しく暮していました
ある日おじいさんが家を留守にしました
その留守に雀がおばあさんの作った糊を食べたのでした
おこったおばあさんは雀の舌を切ってしまいました
舌を切られた雀は泣きながら唐の竹薮に遂げて行きそこでガヤガヤとしがない暮しを続けて行ったのです
時が過ぎました
やがておじいさんが雀のいる竹薮に久しぶりに訪ねて来ました
雀達は大喜びでおじいさんを歓迎しご馳走を出してもてなし帰りにお土産にと軽い葛籠つづらと重い葛籠を出し「お好きな方をお持ち下さい」と申しました
おじいさんは軽い葛籠をもらって帰りました
開けて見ますと宝物が沢山出てきました
それを見たおばあさんは「私も・・・」と出掛けて行き欲ばって重い葛籠をもらって帰りました
開けて見ると汚いものや妖怪が沢山飛び出して来ました
・・・とさ

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雀という烏は人の住む所を住家としています
お役人の政治に対する批判を「町の雀のさえずり」などということがありますが国と民・民衆の意味に譬えられます
「舌切雀」の雀の語源は鈴埋(すずうめ)です
伊勢神宮のことを五十鈴の宮と云いますが鈴の形は人間の口の形をしており鈴とは言葉を表徴します
五十鈴(いすずと)とは五十音の言霊の意味を顕わしてます
五十音の言霊とは人間の心を構成している五十個の最小要素それぞれに五十音の清音を一つずつ当てはめたもので心の最小単位であると同時に言葉の最小単位でもある五十個と云うことです
五十音言霊をそれぞれの魂の中に埋め五十音言霊をその実相に合わせて組合せた神の国の言葉である古代大和言葉を使って生活していたのが日本国民でした
このおとぎ話の中のおじいさんとは昔の古代精神文明が華やかであった時代の五十音言霊の原理に基づいて政治を行っていた日本の天皇(スメラミコト)のことでありおばあさんとは日本の政治家・学者・宗教家を顕わしています

「おじいさんが留守をした時に雀がおばあさんの作った糊を食べてしまいました」
おじいさんが留守をしたと云うこととは言霊がそのまま物事の真実を示す五十音言霊の原理に基づいて政治を行う責任者であった天皇(スメラミコト)がいなくなったことを謂っています
神倭朝第十代の崇神天皇によって三種の神器の同床共殿の制度が廃止されたことでその時まで天皇の政治の規範であった五十音言霊の原理(その原理を器物として表徴したものが三種の神器の中の八咫やたの鏡です)を信仰の対象として伊勢神宮に神として祀ってしまいその心理の実体を日本人の意識の表面から隠してしまったと云うことです
その時以来日本人は次第に言霊の原理と云うものがこの日本を表徴する精神伝統であると云うことを忘れてしまい日本は弱肉強食の社会権力を持った者が栄え力を持たない者が苦しむ精神的暗黒の時代が続くようになりました

「おばあさんは糊を作りました」
中国の老子に「大道廃れて仁義あり」と云う言葉があります
人間が人間の心とはその構造が示す行為の手順をしっかりと把握し理解しているならば人として国民として「こうしなさい こうしてはいけない」と云う行為の基準を事細かに国家が規制する(仁義)必要はないはずですと云うことです
大道である言霊の原理が世の中から隠されてしまった結果として第二次的な手段が必要となりおばあさんである歴代の政治家や学者・宗教家が国民の守るべき教えとして則(法律)や教(教科書)・典(宗教経典)などをつくったと云うことです
人間の生命の深奥の心理を把握し理解した人(聖=霊知り)が存在すれば社会には難解な法律など必要なく法律条文とは筒単なほど生きた働きをするものです
人間の魂が曇ってくればくるほど悪の行為を規制するために事細かに法律を作る必要が起ってくることになります
実際にはおばあさんがそれらの則・教・典を作ったのではなく印度・中国・朝鮮などから輸入されました
儒教・仏教・それに時代が下ってはキリスト教などがそれに当たることを日本の歴史が教えてくれています

「雀はおばあさんの糊(教)を食べました」
人々は生命の真理からみて二次・三次的な教えに基づいた社会の中に生活しなければならなくなりその結果において上古の大和言葉の原理であった神の言葉が次第に話せなくなってしまいました
日本国民は舌を切られ外国からの借り物の考え方によって生きるより他に道はなくなり泣く泣く唐(外国)の竹薮に逃げて行って生存競争・弱肉強食の世の中でしがない生活を送ることとなりました

「雀が楽しく竹薮で遊ぶことができた時のおじいさんが久しぶりに雀を訪ねてきました」
言霊の原理が社会の底流からまた人々の潜在意識の底から表面意識にまで復活しその原理を自覚し保持して政治を行う人が国民の前に姿を顕わしました

「おじいさんを迎え雀達は大喜びをしてご馳走し雀踊りを踊って歓迎しました」
この雀踊りのことを古事記は天の岩戸の前での「天宇受売(あめのうずめ)命」の神楽舞(かぐらまい)として伝えています

「おじいさんは雀からお土産に軽い葛籠と重い葛籠のうち軽い葛籠の方をもらって帰りました」
「開けてみると宝物が沢山入っていました」
「それを見ていたおばあさんは私もと出掛けて行っておじいさんとは反対に重い葛籠の方をもらって帰ってきました」
「そして開けて見ますと汚いものや恐ろしい妖怪が飛び出してきたのでした」
葛籠とは綴ると云うことであり言葉を綴り合わせて社会的に世界的に文明を創造・運営して行くことを意味しています
軽い「つづら」とは言葉の一音一音が物事の実相を表わす最小単位である五十音の言霊であり一音が即真実であり回りくどい解釈や概念説明を必要としないことです
そのため意見の衝突も起らず人間の魂が歪むこともなく自由自在に表現される軽やかな綴り(創造)であります
その葛籠を開けると(その創造力に則ってみると)人間生命の原理に基づいて物質文明を自由にコントロールして人類に繁栄と平和と福祉をもたらす色々な方策(宝物)が顕れると云うことです
重い「つづら」とは重苦しい学問知識の概念や希望的観測に基づく社会運営であり考えれば考えるほど真実から遠ざかって行く学説や理論体系のことでそれを開けると解釈の相違によって起こる紛争や戦争という厄介な汚物と化け物が飛び出してきます
この葛籠のことをギリシャ神話では「パンドラの箱」と呼んでいます
ゼウス(又はヘルメス)がプロメテウスに贈った禍いの箱でその中には宗教的・哲学的・道徳的な概念理論がいっぱい詰まっていて一見それらは立派そうに見えるのでその内容に興味を持ってしまいその理論に基づく社会創造を行うと苦悩・混乱が果てしもなく続きます
おとぎ話「舌切り雀」とは古事記の神話に示された天照大神の岩戸隠れと岩戸開きの内容について説明した物語であり言霊の原理はいよいよ新世界創造の原器としてその姿を人類の前に顕わす時が近づいていると云うことです

めでたし・めでたし


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