「狗邪韓国と倭国の関係」


古代より日本の糸魚川周辺のヒスイ工房がありました
百済・任那・新羅で出土されたヒスイ製勾玉は化学組成検査により糸魚川周辺のものと同じと判明され倭国(日本)から朝鮮半島へ文化が流れていたことを意味してます
朝鮮半島で見つかった日本固有の前方後円墳は5~6世紀のもので日本本土には3世紀から前方後円墳があり日本から朝鮮半島へ高度な文化が流入していたことを意味してます

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「狗邪韓国(くやかんこく)」
3世紀中ごろ朝鮮半島南部に存在した倭国の領土で「倭人」がいた地域です
中国の正史「三国志」「後漢書」に登場し日本府「任那」の前身でもあります

狗邪韓国は倭国の北岸であり韓(馬韓・辰韓・弁韓)の三地域と「倭」は接していた(陸続き)と記述されてます
狗邪韓国のみならず古代朝鮮半島の三韓地域(馬韓・辰韓・弁韓)には多数の倭人と倭人との風習を持つ民族が各所に存在していました
百済は朝鮮半島の倭系豪族が強大化して王族になったものであり本土倭国の属国だったと云われてます
高句麗を撃退した「武寧王」は九州で生まれ(日本書紀)で百済人は日系です

新羅の地は南下した高句麗に早くから従属しました
ソウル一のホテル「シーラホテル」に代表されるように新羅(シーラ)は朝鮮人のシンボル的存在でもあります
韓国には新羅(シーラ)を冠したものが多数あります
しかし百済を冠したものは殆どありません

新羅は402年に倭国に奈忽王の子「未斯欣」を人質として送り倭国の属国となり(三国史記)一時は百済・新羅とも日本の属国でした
百済と新羅は友好関係にあったこともありますが後に激しく対立もしました
新羅と高句麗は敵対したり手を結んだり倭国や百済についたりシナ側についたりと当時から動きが激しかったと伝えられてます
百済も一時は高句麗の進撃に押されて高句麗についたことありますが日本から送った武寧王の出現で高句麗を撃退しました
倭国は古代においても当時から朝鮮半島諸国を服属して支配権を得るほどの強国だったと云われてます
そして高句麗・新羅は共に朝鮮系で百済は日系に近いと云われてます
新羅の朝鮮半島統一で日系百済のみならず高句麗も滅ぼしました
その後の新羅を滅ぼした「高麗」は高句麗系の末裔で高句麗復興を図りました

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狗邪韓国があった3世紀頃の三韓(馬韓・辰韓・弁韓)の三地域の時代についての記録は「魏志韓伝」に記されてます
三韓諸国(全部合わせると80カ国ほど)と倭国と共通・関係する点について

「辰韓」
弁韓とともに鉄の産出が多く韓は倭もワイ(高句麗人)も採取していた
男女とも倭(人)に近く文身をしている
戦いは歩戦で行う
城柵がある

「弁韓」
馬韓や辰韓には無い城郭がある
衣(食)住は辰韓と同じで言葉も法俗(しきたり慣習)もよく似ている

「馬韓」
各国には長帥がいて大国の君主は「臣智」小国 の君主は「邑借」と云う
国中の邑々には「天君」という司祭がいる
天君=あめぎみ

「辰韓」後の新羅
「馬韓」後の百済
「弁韓」後の任那

狗邪韓国は朝鮮半島の最も対馬に近い位置にあったと云われてます
シナが邪馬台国と呼んだのもは倭国(ヤマトコク)と云うことになります
邪馬台国の「卑弥呼」と云うのは「日の御子」であり天照大御神をお祀りする現存の天皇であると云うことです
日本古代人が歴史と伝承を混ぜ合わせながら今の福岡県の入口まで来た中国からの使者に語りそれが魏の国の使者には歴史のように聴こえそれをもとにして「魏志倭人伝」が記されたと云われてます


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