「古代日本と古代イスラエル」


清めに水や塩を用いること

日本神道では清め(禊ぎ)のために水や塩を用いる風習があります
古来より日本の神社は清流やきれいな水の池・湖・海などの近くに建てられていてこれはそれらの川や池などで禊ぎ(身の清め)を行なうためでもあり水は神道において人を清めるためのものでもあります

古代イスラエルには水で体を清める風習があります
「祭司はその衣服を洗いその体に水を浴びよ そののち宿営に入ることができる」
古代イスラエルにおいて礼拝所の近くに清らかな水があることが理想とされていて日本神道の神官も神社で仕える前には必ず衣服を洗い水浴して禊ぎをします
仏教(とくに顕教)の僧侶にはこのような風習はありません

日本神道では塩は清めのために用いられます
日本の国技の相撲では力士は対戦を前に土俵に塩をまき清めます
日本では神社など聖地の清め御神輿の清めなどにも塩が用いられます
日本の料亭などには入り口に一握りの盛り塩が置かれてます

ユダヤ人には新しい隣人や大切なお客様を塩をもって迎える風習があります
イスラエルの主席ラビはエルサレムの入り口でハラー(パン)と塩をもって迎えます
ユダヤ人の食事はパンに塩をふりかけることから始められこれは食卓を一種の聖なる祭壇とする行為なのであり肉も食べる前に必ず塩づけにされ肉からすべての血を抜き肉を清めるためです

日本では神前の供え物には必ず塩が添えられます
祭の時の供え物もそうであり仏前には塩は捧げません

神前に塩を捧げるのは古代イスラエルの風習です
「あなたの捧げ物にはいつでも塩を添えて捧げなければならない」
タルムード(ユダヤ教教典)にはすべての供え物や犠牲の供え物に塩を欠かしてはならないと記されています
ユダヤ教では蜜やパン種(イースト菌)などは供え物には禁じられていてこれらは発酵をもたらし分解や腐敗を促進するもので塩とは反対のものだからと云われてます

聖書には「永遠の塩の契約」と云う言葉があります
塩は反腐敗・保存性・永遠性の象徴であり神による不壊にして聖なるきずなを象徴してます
古代ユダヤの神殿には塩を保存するための特別な部屋があり375のかご一杯の塩をこの神殿に奉納したギリシャの王について書かれた書物が残ってます
日本には明治維新以前には新たに誕生した赤児の産湯に少量の塩を入れる習慣があり古代イスラエルにも新たに生まれた赤児を塩でやわらかくこすり水で洗い清める風習があります
聖書の中には塩には洗い清める作用があり衛生上の理由からも新生児は塩でやわらかくこすられたと記されてます

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「死者の汚れの観念」
日本ではお葬式に参加すると参列者に「お清め塩」が配られます
参列者は自分の家に帰ったときに玄関前でそのお清め塩(塩祓い)を頭に振りかけます
古代イスラエルでは葬式に参加した人や死体に触れた人は決められた方法で禊ぎがおこなわれました
「身の清い人がヒソプを取ってこの水に浸しそれを死人や墓に触れた者の上に振りかける」
ユダヤ人墓地の入り口には必ず水の備えがありユダヤ人の家の玄関の近くにもありそれは墓やお葬式に行ってから帰ってきたときにそこで禊ぎをするためです
日本神道の神話においてイザナギは妻のイザナミを「黄泉の国(死者の世界)」から連れ返そうと行き帰ってきたときに死者の汚れを祓うために川で水浴して禊ぎをしたと云われてます
この「黄泉」と云う神道の死者の世界は旧約聖書で云う「シェオル」によく似てます
日本神道は死者の汚れ(穢れ・忌み)の観念を持っていて死人を出した家や葬式に参加した人などは「汚れに触れた」と云いこの「汚れ」は物質的な汚れではなく宗教的・儀式的な汚れを云います
死者の汚れとは古代イスラエルにあったものと同じです
「どのような人の死体にでも触れる者は七日間汚れる」

日本神道では家族に死人が出たときや親族に死人が出たときに一定期間「汚れている」とみなされます
この期間に人は神社に参拝することもできません
古代イスラエルでは汚れの期間にある人は神殿に来ることを許されません
仏教の葬儀は寺の中で行なわれますが神道式の葬儀は必ず神社以外の場所で行なわれそれは汚れを神社内に持ち込まないためでまた葬儀に参加した神主は葬儀に用いたものを境内に持ち込まずたとえ持ち込む場合でも必ず禊ぎをして清めてから持ち込みまた神主自身をも清めます
古代イスラエルにおいては神殿では決して葬儀は行なわれませんでした
聖書には古代イスラエル人はモーセとアロンの死の際に「30日間」泣き悲しみ喪に服したと記されてます
「延喜式」では汚れにふれて神事にたずさわってはいけない忌みの日数を人の死ならば「30日」と定められていて3ヶ月以内の胎児の流産や手足の一部を欠いた者の死体の汚れは「7日」の忌みとされてます

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「女性の月経や出産に関する観念」
日本には女性の月経や妊娠中また産後に関する汚れ(忌み)の観念が古代からあります
古来日本では月経(生理)中の女性は神事に参加してはならず夫との性交渉もさけられ女性は部落内に設けられた共同の別小屋(月経小屋)に月経中およびその後の数日あるいは7日程度にわたってこもらなければならずこの風習は明治頃まで広く日本中に見られました
その忌みの期間が終わると女性は川や泉・海などの自然の水で身を清めることが求められ自然の水がないときは浴槽でもよいとされてました
イスラエルにおいては月経中の女性は神事に参加できず夫から離れて別小屋にこもることが行なわれました
こもる期間は月経中およびその後の7日間でこの「こもる」ことを「血のきよめのためにこもる」と云います
その風習は今もユダヤ人の間にあり女性は生理中およびその後の7日間夫との性交渉を禁じられてます
そののちに女性はミクベ(沐浴)をして水で身を清めます
汚れと云う観念は現代の人々からすれば不合理と思われますが月経・妊娠中また産後の女性は肉体的にも精神的にも不安定であり静養が必要なのであり女性自身もこの期間は自分の血が汚れていると感じると云われます
「血のきよめのためにこもる」とはその静養の必要も述べています
延喜式には汚れにふれて神事にたずさわってはいけない忌みの日数を出産の場合は「7日」と定めてます

古代イスラエルでは
「女が身重になり男の子を産んだときはその女は七日の間汚れる その女は月のさわりの不浄の期間のように汚れる その女はさらに三三日間血のきよめのためにこもらなければならない もし女の子を産めば二週間汚れる その女はさらに六十六日間血のきよめのためにこもらなければならない」
日本では妊娠中および産後の女性は一定期間「産屋」と呼ばれる特別に設置された小屋に「こもる」習慣が広く明治頃まで見られ古事記にも「産屋」が出てきます
そのこもる期間は一般的に出産後30日前後までとされるところが多く長い所では100日近くに及びます
古代イスラエルではこの静養期間のあとに母親は子どもと共に初めて宮詣でをすることができます
日本神道の風習では産の忌みの期間があけたのちその子どもを連れて「初宮詣」をすることができます
現在の日本では初宮詣は男子の場合は生後32日目(または31日目)女子の場合は生後33日目に行なわれます
ただし神社に初宮詣をするとき子どもを抱くのは母親ではなく母親以外の者(夫の母)が行ないます

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「お七夜」
古来日本には「お七夜」と云う生まれてきた子どもを親戚や知人に披露し子どもの名前を紹介する時を生後7日目の夜に行なう風習がありました
生後7日目の夜とはユダヤ式の数え方では生後8日目にあたりユダヤでは日没から日没までが一日で日没が来ると次の日になるから7日目の夜は8日目となります
イスラエル人は生後8日目に親戚や知人の前で男子の誕生を披露して割礼を施し名前を述べて共に子の誕生を喜び合います
女子の場合は最初の安息日です
それまでの7日間は子どもに名前はなく日本の風習と同じです

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「仮庵の祭と中秋の名月」
日本には旧暦の8月15日に「十五夜」と云う風習があります
これは新暦では9月中旬~10月上旬頃で日本で「十五夜」の日はユダヤ暦ではちょうど第七月(ティシュレイ)の15日であり仮庵の祭の日にあたります
「十五夜」のとき日本人は伝統的に仮庵を建てそこに家族や親戚が集まりススキを花瓶にさして団子や里芋や梨などその時期の成り物を供えて「中秋の名月」をながめてお月見をします
古代イスラエルでは北王国イスラエルでは8月15日に南王国ユダでは7月15日に仮庵を建てそこに家族や親戚が集まりその時期の成り物を供え中秋の名月を鑑賞しながらその年の収穫を喜びました

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「収穫を供えることと仮庵の祭」
古来日本には収穫の初穂を神に捧げる優美な風習があり「おはつほ」と云い穀物や果物そのほか製作した作品の初めて取得した一部を初穂として神に捧げます
毎年10月(旧暦時代は9月)に伊勢神宮を中心に行なわれる「神嘗祭」とは収穫の初穂を神に捧げる祭です

古代イスラエルには
「あなたの土地から取れる初穂の最上のものをあなたの神・主の家に持って来なければならない」

伊勢神宮では神嘗祭の時に神宮が使われている衣や机・道具などがすべて新調されます
ユダヤ教では収穫の祭である「仮庵の祭」が行なわれる月(ティシュレイの月 太陽暦では9~10月)で新年でもあります
伊勢神宮の10月の神嘗祭の約1ヶ月後に皇室を中心に「新嘗祭」と云うものが行なわれこれも神嘗祭と同様に収穫を捧げる収穫祭です
新嘗祭とは午後6時に始まり終了するのは午前1時頃で夜に行なわれます
天皇は収穫の一部を神に捧げそののちそれを神の前で食し天皇はこれによって民を導く指導者としての役割を神から授けられます
古代イスラエルではイスラエルの指導者たちモーセ・アロン・長老70人その他は神の前で食することを行ないました
天皇が即位後初めて行なう新嘗祭を「大嘗祭」と呼び大嘗祭のときには収穫を捧げるための特別な仮庵が建てられます
現在の天皇の大嘗祭のときにも大きな仮庵が建てられそして一連の儀式が終了したのちに取り壊され燃やされました
大嘗祭も夜に行なわれ午後6時半から翌朝未明まで行なわれます
そのとき天皇は神の前に収穫を捧げ神の前でそれを食します
古代イスラエルや今日のイスラエルにおいては仮庵の祭は日没と共に始まり人々は仮庵の中に入りそれを収穫で飾り神の御前で共に食べて喜びます

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「琉球の看過とユダヤの過越」
ユダヤ人には古くから「過越の祭」と呼ばれる風習がありこれは聖書の「出エジプト記」に起源を持つもので今から3千年以上前にエジプトで奴隷だったイスラエル民族がモーセの指揮のもとエジプトから大脱出した出来事を覚えるものです
イスラエル民族がエジプトを脱出する前夜に「過越」と呼ばれる出来事がありこれはすべての家庭の長男が死ぬと云う災禍がエジプトの国に下ったときイスラエル人の家庭だけはその災いが「過ぎ越した」と云うものです
イスラエル人はその災いが来る前に神の命令によって小羊をほふり(殺し)その血を家の門口に塗りその血をヒソプと云う植物の束に浸して家の門口に塗りました
その血の塗ってある家庭ではさばきの天使がそこを過ぎ越しイスラエル人はほふったその小羊をその夜に焼いて食しました
日本の琉球地方(南西諸島)に今も伝わっている「看過」と呼ばれる牛をほふってその血を家の門口に塗る厄祓いの風習があります
このとき羊ではなく牛が用いられたのは日本には羊がいなかったと云われてます
この「看過」の風習は古くから「看過」あるいは「シマクサラシ(厄祓いの意)」と呼ばれる風習がありこれは災厄を家や村に入れないために牛をほふりその血をススキの穂や桑の葉等の植物に浸して家の門口や四隅・村の入り口等に塗ると云うものです
その牛はその日の内に焼いて皆で食されます

「看過」と云う日本語は「見過ごす・見のがす」の意味で「過越」と同じ意味です
「看過」の風習は今日も行なわれていて牛ではなく豚を使用している場合が多くその昔に牛を殺すことを禁じる禁止令が出たので豚に変えたと云われてます
「看過」の風習はおもに旧暦の2月初旬および8月初旬などに行なわれています(年2~3回)
旧暦の2月と云うのは春であり新暦では3~4月頃にあたりユダヤの「過越」の祭とほぼ同時期です
聖書によれば過越の小羊はユダヤ暦ニサン(アビブとも云う)の月の14日にほふられこれは太陽暦では3~4月頃に相当します


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