「人(霊止)還りの道」212編


高天原に復活したる人(霊止)の霊身は地上現実界に生存せし時のごとく思想・感情・意識等を有して楽しく真神の懐に抱かれ種々の積極的神業を営むことを得られます

人(霊止)はどうして現界に肉躰を保ちて生まれ来るかと云ふ問題に至つてはいかなる賢哲も的確に解決を与へゐません
しかしこれは実にやむを得ないところです

物質的要素をもつて捏ね固められたる人間として無限絶対なる霊界の消息を解釈せむとするのはあたかも木に倚りて魚を求め海底に潜みて焚火の暖を得むとするやうなものです
現界人は死後の生涯や霊界の真相を探らむとして何ほど奮勉努力したところで到底不可能不成功に終はるのは寧ろ当然です
これは一度神界の特別の許可を得たるものが無数の霊界を探り来たりこれを現界へその一部を伝へたものでなくては到底今日の学者の所説では憶測に過ぎないからです

高天原の天国に住む天人すなはち人(霊止)の昇天せし霊身人とは地上と同様に夫婦の情交を行ひ霊の子を産んでこれを地上にある肉体人の息に交へて人(霊止)の子を産ましめます
それゆゑに人は神の子であり神の宮と云ひます

地上とは凡て霊界の移写であり天国において天人夫婦が情交を行ひ霊子を地上に蒔き落とす時はその因縁の深き地上の男女はたちまち霊に感じ情交を為して胎児を宿すことになります
その胎児とはすなはち天人の蒔いた霊の子の宿つたものです

そしてその児の善に発達したり悪に落つるのもその時蒔かれた田畑の良否によつて幾分かの影響をその児は受けることはやむを得ません
それゆゑに智愚正邪の区別のつくのもやむを得ません
しかし石の上に蒔かれた種子は決して生えません
また瘠土に蒔かれた種子は肥沃の地に蒔かれた種子に比すれば大変な相違があるのもやむを得ません

これを思へば人(霊止)は造次にも顛沛にも正しき清き温かき優しき美しき心を持ち最善の行ひを励まねばならぬものです
そして折角の天よりの種子を発育不良に陥らしめ或は不発生に終はらしむるやうなことに成つては人生の神業を完全に遂行することは出来なくなり宇宙の大損害を招くに至ります

人(霊止)が現界へ生まれて来る目的とは天国を無限に開くべく天よりその霊体の養成所として降ろされ肉体と共に霊子が発達して天国の神業を奉仕するためです
決して数十年の短き肉的生活を営むためではありません
天国に住む天人は現界の肉体内に入りてその霊子を完全に発育せしめそして霊体を造り上げて地上の世界において善徳を積ませて完全なる霊体として天国に還らしめむがためです
ゆゑに現界人の肉体とは霊子の天人養成所の苗代であり学校であることを悟るべきです

・・・「人(霊止)還りの道」213編へつづく


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