「人(霊止)還りの道」695編


体慾に富める者は神の御国に入ること難し
富貴の人の神の国に入るよりは蛤を以て大海を替へ干す方却つて易かるべし
人は二人の主人に仕ふること能はず
故に人も神と体慾とに兼ね仕ふることを得ず

オイ兄貴
吾々もせめて人並みの生活が為たいものだなア
朝から晩まで山深く分け入つて
杣ばかりやつてをつても汗を搾るばかりで
何時も金槌の川流れ同様
天窓の上りやうがないぢやないか
今日の人間は文化生活をもつて最上の処世法としてゐるが
吾々も自然とやらを征服する文化生活に入つて
安楽な生涯を送りたいものだなア

吾々は文化生活というものを転用して人格問題に当てたいと思ふのだ
〇〇〇〇教徒は煩悩即菩提だなどと氣楽さうな事をいつてゐるが
それは悟道の境地に立ち至つた上根の人間のいふことで
普通の人間はソンナ軽々しいわけにはゆかぬ
とても人格を磨いて向上する事は不可能だよ
絶えず内観自省して
肉的本能を征服しておかねばならない
霊体共に自然であることは無論だが
この両者を並行さす事は困難だ

神さまもチト判らぬぢやないかエーン
よく考へて見よ
吾々のやうな貧乏人は
聖典を研究いな研究と言つては勿体ないかも知らぬ
拝誦して心魂を磨く余裕がないが
富者となれば日々遊んで暮す暇があるのだから
自由自在に聖典を拝誦したり
又その密意を極め得るの便宜があるから
神の国に入るものは
富者であることは当然の帰結ではないか

ソウ言へばさうだが
人間といふものは吾々の考へ通りにゆくものでない
得意時代の人間は到底そんな殊勝な考への浮ぶものではないよ
家貧しうして親を思ふとか謂つて
吾々のやうなものこそ
精神上の慰安を求め
向上もし
神に縋らむとするものだが
容易に得意時代には貧乏人の吾々だとて
そんな好い考へは起るものではないよ
勿論瑞の御魂様だとて
絶対的に富そのものを無視された訳ではなからうが
こんな教訓を与へなくてはならない所以は
人間の弱点といふものは凡て物質の奴隷となり易いからだ
同じ富を求むるにしても
我慾心を満足さすために求むるものと
神の大道を行はむがために行ふものとは
その内容においても
その精神においても
天地霄壤の相違があるだらう
苟くも人間としての生活に
物質が不必要なる道理は絶対ない
どこまでも経済観念を放擲することは所詮不可能だ
然るに凡ての神教の神司が
口を揃へて禁慾主義や寡慾主義を高潮してをるところをみると
そこに何等かの深意を発見せなくてはなるまいと思ふのだ

君の説にも一理あるやうだ
しかし吾々は何とか努力して人並みの生活だけはせなくてはならないが
倉廩充ちて礼節を知り衣食足りて道を歩むとかいふから
肉的生活のみでは
肉体を具へた人間としては実に腑甲斐ない話だ
吾に先づパンを与へよ然して後に大道を歩まむだからなア

人はパンのみにて生くるものではないと共に
霊のみにて生くるものにあらずと吾々も言ひたくなつて来るのだ
しかしそこは人間としての自覚が必要だ

自覚も必要だが
現代の人間の自覚なるものは
果して人並み以上に立脚してゐるだらうか
霊的自覚に立つてゐるだらうか
それが僕には杞憂されてならないのだ
今日の人間の唱ふる自覚という奴は
月並式の自覚様だからなア

君のいふ通り有名無実の自覚
月並みの自覚だとすれば
忽ち自覚と自覚とが互いに相衝突を来たして
平和を攪乱することになるだらう
現代のやうに各方面に終始闘争の絶え間ないのは
自覚の不徹底といふことに帰因してゐるのだらう
しかし凡てのものには順序があり
階段があるからして
自覚の当初は何れにしても
幾何かの動揺と闘争とは免れないといふ点もあるだらう

さうだから僕は現代の自覚様には物足らなくて拝跪渇仰することが出来ないのだ
人格の平等だとか個性の尊重だとか
やかましく騒ぎまはる割合に
事実としての態度が実際に醜うて鼻持ちがならないのだ
しかし中には一人や二人ぐらゐは
立派な態度の人間もあるだらうが
概括して見ると
賛成の出来ない人間ばかりだなア

ウンそれもソウだねー
現代人の唱ふる人格の平等といふものは
実に怪しいものだ
僕もその事は克く認めてゐる一人だ
人格の平等といへば
高位の人間を低い所へ引き下ろして
お前と俺とが同格だ
同じ分霊だ分身だ
といつたり
甚だしいのは
上流者や官吏の前に尻を捲つて
威張ることだと考へたりする奴が多いのだ
そのくせ自分より下位の人間からそれと同じやうな事をしられると
人を馬鹿にするな
侮辱を加へた
と言つて立腹する奴ばかりだ
自由といへば厭な夫を振り捨てて好きな男と出奔したり
法律も道徳も義理も人情も踏み蹂ることだと思つてゐる奴ばかりだ
しかもそれほど自由を要求したりまた主張したりするのなら
他人に対した場合でも自由を与へるかといふと
事実は全然その反対のことを行るものばかりだ
アナーキズムを叫ぶくらゐなら
自分の家に泥坊が這入つても歓待してやりさうなものだのに
真先に警察署へ訴へに行く奴ばかりだ
経済組織はコンミユニズムに為なくてはいけない
とかいつて
やかましく主張してゐるから
それなら先づ君の財産から放り出せ
と言ふと
それは真平御免
といふやうな面付きで素知らぬ顔をして
他人に出させて共産にしようと言ふ奴ばかりだ
ある二人の青年ソシアリズム崇拝者が
鶏肉のすき焼を食ひにいつてその割前を支払ふ時に
相手の一人が
金が足りないから君の金を出して支払つて済ませてくれ
と言つたら
ソンナ事は出来ない
と断つたので相手の一人が
それは君の平素の主張に悖るでhないか
と突込むと
いやそれと是とは別問題だ
と言つて逃げてしまつたといふ話だ
とかく人間といふ奴は
人に対しては種々の要求を起すが
その要素を自分にされたら何うだらう
果して応ずるだけの覚悟を持つてゐるだらうか
自分の立場が無産階級にあるからと言つて共産主義を叫ぶのでは本当のものでない
筆や舌の尖ではどんな事でも立派に言はれるが
事実その事件が自分の身に降りかかつた時に実行することが出来るだらうか
十中の十まで有言不実行で
日頃の主張を撤廃せなくてはならぬやうになるのは
可なり沢山な事実だからなア

本当に虚偽虚飾の人獣ばかりの世の中だ
真の人(霊止)らしいものは
かう考へて見ると一人も世界に無いと言つても好いくらゐだ
文壇の名士カツトデルは
世間に知れた自由思想家だつたが
自分がアーメニアとかへ旅行したその不在中に
女房のコール夫人にウユルスといふ若い美しい愛人が出来て
しきりに手紙を往復してゐたのをカツトデルが見附けて
その真相を尋たところ
コール夫人は平氣な顔で
あなたに対する愛が無くなつたから日頃の自由思想を実践躬行して愛人の下へ行く心算です
とハツキリと答へて済ましこんでゐたので
カツトデル氏も色々と話合つた上
二人の恋愛を許してやつたが
さていよいよコール夫人が家内にをらなくなると
子供のためやその他の事が思はれて
到頭日頃主義とする自由思想を棄て
人道的立場から愛妻コール夫人に反省を求めて
再び戻つてもらふ事を頼んだといふぢやないか
人間ぐらゐ
勝手な奴はあつたものぢやない
アハゝゝゝ

マアしばらく今日の境遇に安んじ時節を待つたらどうだ
なにほど珍宝が手に入つても生命が無くつちや仕方がなからうよ

・・・「人(霊止)還りの道」696編へつづく


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