「人(霊止)還りの道」663編


自分の主張する教を無条件に聴従する者の多からむことを願ひ
自分を尊敬する人間のみを集め
少しにても反抗的態度を執る者に対し
目をつり上げ
顔色を変じて憤怒の情を現はすごときは
自愛のもつとも甚だしいものでございませう

かくのごき態度を執る者は
何れも生きながら地獄に籍を置いてゐる妖怪的人物です

愛我心の強い人間はその所主の愛より起来する歓喜悦楽は
即ちその人間の生涯をなす所以のものだから
かくのごき者の生涯はいはゆる自愛の生涯です

自愛の生涯とは即ちその人間の我執の念から発生てくる生涯である
故にその自体から見る時は
我執・愛我の念慮は決して善と言ふことは出来ぬものです
自分に盲従し隷属する者のみを愛する者を
又特に自分の子孫や朋友知己に限り愛せむとする者は結局自愛の心です

自分と行動を共にせざる者
および自分の意志に合はざる者を愛せないのも自愛であつて
真の神愛ではありますまい

自分の党派を愛し
自分の部下のみを愛すること
ほとんど自己の如くなし歓喜するのは
自分をその中に包有してゐるが故である

自愛心の人間が所有と称する物の中には
すべて彼等を賞揚し尊敬し阿諛する者をも含んでゐるのです

これがいはゆる地獄愛である
高天原における真の愛に比ぶれば
実に天地霄壤の差異がある

自愛と世間愛とはいはゆる地獄の愛であつて
高天原の愛は天国の愛である

高天原においては用のために用を愛し
善のために善を愛して
聖団のため
国家のため
同胞のためにその身を空しうして
実践躬行するものです
これを称して神を愛し
隣人を愛するといふのである

世の中に沢山現はれてゐる神柱とか
生宮とか
予言者とか称へらるる人間の中には
ずゐぶん自愛心の強い偽善家が多いものです

五六七の太柱たるプロパガンデストならば
一切の御用も一切の善も皆神より来たり
そしてその中に自分が所愛の対象たるべき隣人あるが故である

されども自分が為のゆゑに
これらの事を愛するは
これをして己に服従せしむがため
即ち之を僕婢とし
あるひは部下として愛するものである

ゆゑに世間に沢山ある贋神柱は何れも愛我のみに住するがゆゑに
自分のエビスコーバルしてゐるチヤーチのためとか
国家同胞のために服事せむとこを願ひ
そして自分は傲然として尊貴を誇り
これに服事することを願はないものです
神の生宮・太柱などを真向に降りかざし
教会・国家・同胞などの上に卓立し
これをして己が脚下にをらしめむと焦慮するものです

それゆゑ人間は愛我心の除れない限りは
自ら高天原の天国に遠離するものです
何ゆゑならば
高天原の愛から遠ざかるからである

・・・「人(霊止)還りの道」664編へつづく


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