「人(霊止)還りの道」624編


神代における神々の神示によりて著はされた「人(霊止)還りの道」は現代のいはゆる学者の歴史でもなくまた歴史家の歴史でもない
世の腐儒者や興国的氣魄なき歴史家やデモ宗教家の所説は徹頭徹尾憶測と受売りのみして一として歴史の真相を伝へかつこれを真解し得たものは絶無と謂つていいくらゐである
いはんや宇宙開闢の真相においてをやである

試みに今日の発刊せる記事を見るも同日の出来事を記者みづから実地に臨みこれを目撃してただちに記事に掲載するに当り各記者の眼識の程度如何によつてその観察点を異にし同一の出来事を報道するに甲乙丙各その見解を異にして筆を採るをもつてその矛盾と誤謬の多きことは一般識者の感知するところである

今日世界に流布せる国々の歴史は空々漠々としてほとんど雲を掴むがごとくいかなる史家もこれを史上においてその真相を捕捉することは出来得ないのである
頼りなき口碑や伝説やその他の先入思想を全然放擲して柔順に大神の御声に耳を傾け眼を注ぐときは遠き神代の世界の史実はいふも更なり中古近古における歴史の真相をも幾分か捕捉し得らるるであろうと信ずる

我国の歴史といへどもその大部分は神武聖帝以後の歴史であつて太古神代の事蹟は束ねてこれを筑紫の不知火の海に投ぜられたのである
これ史家が神ならざる以上は史眼暗くして盲目のごとく書契以前の史実を映写し得ざるがために歴史の真相が伝はらないのである

天は蒼々として永久に高くして広く
地は漠々として際限なきに似たり

虚空の外に心身をおいて神代の史実と大神の意思とを顕彰し一瞬に転廻して宇宙の真相を示さむと神示のまにまに著はしたるこの苦心これを酌むものは世上はたして幾人あるであらうか

しかしながら天下一人の具眼者が現はれて一度心を潜め真面目に臨まむか必ずや一編ごとに深遠微妙の真理を蔵し五味の調度よろしき弥勒胎蔵の神意と神智や苦集滅道の本義を発見し肯定し帰依するに至るであらう
そして一編ごとに霊界現界の消息を明らかにし緒人が死後の覚悟を定め永久に天国浄土の悦楽に入るべく仁慈の大神の御賜として人間一般に与へられたものであり現界に用ゐては大は治国平天下の道より小は吾人が修身斉家の基本となるべき神書である

人間の盲目と無鉄砲には呆然たり

人間は自我心を出さず何事も聖慮に素直に柔順に仕ふるより外に途はないと思ふ

かむながら幸はひまして世の人に
さとらせ玉へこれの神書を

・・・「人(霊止)還りの道」625編へつづく


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