「人(霊止)還りの道」551編


現代おいても心の直なる人(霊止)の胸中に見るところの神は太古の人の形なれども自得提の智慧および罪悪の生涯にあつて高天原よりの内流を裁断したる人間(ジンカン)は本然の所証を滅却し了せるものである

かかる盲目の人間(ジンカン)は見るべからず神を見むとしまた罪悪の生涯にて所証を滅却せし人間(ジンカン)は神を決して求めないものである
ゆゑに現代の人間(ジンカン)は神にすがる者といへどもすべて高天原よりの内流を裁断したる者多きゆゑに見るべからざる神を見むとしまた物質慾のみに齷齪して本然の所証を滅却した地獄的の人間(ジンカン)は神の存在を認めずまた神を大いに嫌ふものである

すべて高天原(天界)よりしてまづ人(霊止)に流入するところの神格そのものは実にこの本来の所証である
何となれば人の生れたる現界のためにあらずその目的は高天原の団体を円満ならしむるためである
ゆゑに何人も神格の概念なくしては高天原に入ることは出来ないのである

高天原の霊国および天国の団体を成すところの神格の何者たるを知らざる人間(ジンカン)は高天原の第一関門にさへも上ることを得ない
かくのごとき外分のみ開けたる人間(ジンカン)がもし誤つて高天原の関門に近づかむとすれば一種の反抗力と強き嫌悪の情を感ずるものである
そは高天原を摂受すべき内分が未だ高天原の形式中に入らざるをもつて高天原の団体へのすべての関門が閉鎖さるるによるからである
もし強ひて高天原の団体の関門を突破し高天原に進み入らむとすればその内分はますます固く閉ざされ如何ともすべからざるにいたるものである

現界の多くの人間(ジンカン)の中には無理に地の高天原に近付き来たり大神に近く仕へ親しく教を聞いてからますますその人間(ジンカン)の内分が固く閉ざされて心身混惑し信仰心以前に劣りし精神状態となりかつまたその行ひの上に非常な地獄的活動の現はるるものがあるのはこの理に基くのである

大神を否み大神の神格に充たされる神人を信ぜざる者はすべてかくのごとき運命に陥るものである
人(霊止)の中にある高天原の生涯とはすなはち大神の真(マコト)に従ひて棲息せるものなることを知悉せる精神状態をいふのである

・・・「人(霊止)還りの道」552編へつづく


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