「人(霊止)還りの道」542編


高天原の霊国や天国の諸団体に籍をおいたる地上の天人すなはち大神をよく理解せし人(霊止)の精霊は物質的肉体の行為に留意することなくその肉体を動作せしむるところの意思いかんを観察するものである

高天原の地上の天人なる真人はわが長上たるとわが下僕たるとを問はずその行為について善悪の批判を試むるがごとき愚かなことは決してせない
それは高天原の地上の天人の地位に進んだ人(霊止)はその人格をもつて意思に存し決して行為そのものにあらざることを洞察するがゆゑである
その智性もまた人格の一部分なれども意思と一致して活動する時にかぎつて人格とみなすのである

意思は愛の情動より起り智性は信の真より発生するものである
ゆゑに愛のなき信仰は決して人格とみなすことはできない
愛はすなはち第一に大神を愛し次に隣人を愛する正しき意思である
ただ神を信ずるのみにてはたうてい大神の愛に触れ霊魂の幸福を得ることは不可能である

愛は愛と和合し智は智と和合す
大神に心かぎりの浄き宝を奉りあるひは物品を奉納するはいはゆる愛の発露である
大神はその愛によつて人(霊止)に必要なるものを常に与へたまふ
人(霊止)はその与へられたるものによつて生命を保ちかつ人格を向上しつつあるのである

神は無形だ
神は氣体だ
神は無形または氣体にましますはゆゑに決して現界人のごとき物質を要求したまはず
金銭物品を神に献つて神の歓心を得むとするは迷妄の極なり
ただ神は信仰さへすればそれでいい
神への信仰は科学的知識によつて認め得ないかぎりは泡沫に等しきものだ
神を信ずるに先だち科学的原則の上に立脚してしかして後に信ずべきものだ
などと唱ふる者はすべて中有界(精霊界)の八衢人間にしてその大部分は大神を背にし光明を恐れ根底の国(地獄界)に向かつて内底の開けゐる妖怪である

・・・「人(霊止)還りの道」543編へつづく


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