「人(霊止)還りの道」541編


すべて人間は暗冥無智なる者なることを悟り至善至美・至仁至愛・至智至正なる大神の力に信従し維れ命・維れ従ふの善徳を積むにあらざれば到底わが心内に高天原を開き大神の光明を認むることは不可能である

わが身内に高天原を啓き得ざる者はたうてい現界・霊界ともに安楽なる生涯を送ることはできないのは当然である
ゆゑに現界にて同じ殿堂に集まり大神を賛美し大神を拝礼し大神の教を聴聞するその状態を見れば行儀よく整列してゐるやうに見えてゐる
また物質界より見れば確実に整列してゐるのは事実である

しかしその想念界に入つてよく観察する時はその霊身は霊国にあるもありまた天国の団体にあつて聴聞せるもあり拝礼せるもありあるひは中有界(精霊界)に座を占めて聞きをるもありまた全く大神を背にし根底の国(地獄界)に向かつてゐるのもある

ゆゑにこの「人(霊止)還りの道」を拝読する人々によつてあるひは天来の福音とも聞こえ大神の救ひとも聞こえあるひは寄席の落語とも聞こえあるひは拙劣な浪花節とも感じまた中有界(精霊界)にさまよひたる偽善者の耳には不謹慎なる内容にして決して大神の言葉にあらず滑稽洒脱の思想が映写してもののごとく感じ冷笑侮蔑の念を起しこれに対する者もありあるひは筆録者の放逸不羈の守護人に感じて編纂せしもののごとく感ずる者もありあるひはその言を怪乱狂妄・悉皆汚穢に充ちたる醜言暴語となして耳を塞ぎいち早く逃げ去るものもある
これらは霊界に身をおいて各人が有する団体の地位より大神を拝しかつ教えを聴くの状態でもある

ゆゑにこの「人(霊止)還りの道」は上魂の人(霊止)には実に救世の福音なれども途中の鼻高や下劣なる人間(ジンカン)の耳には最も入り難きものである
また無垢なる小児と社会の物質慾に超越したる老人の耳にはよく沁み渡りかつ理解され易きものである
こは小児と老人はその心無垢の境涯にあつて最奥(最高/第一)の霊国および天国と和合し相応しをるがゆゑである

・・・「人(霊止)還りの道」542編へつづく


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