「人(霊止)還りの道」511編


現界すなはち自然界の万物と霊界の万物との間には惟神の順序によりて相応なるものがある
また人間の万事と天界の万物との間に動かすべからず理法がありその連結によつて相応なるものがある
そして人(霊止)は高天原の天人の有するところを総て有するとともにその有せざるところをもまた有するものである

人間とはその内分より見て霊界にをるものであるがそれと同時に外分より見て自然界にをるものである
人間の自然的すなはち外的記憶に属するものを外分と称し想念とこれよりする想像とに関する一切の事物をいふのである
約言すれば人間の知識や学問等より来たる悦楽および快感の総て世間的趣味を帯ぶるものまた肉体の感官に属する諸々の快感および感覚・言語・動作を合せてこれを人間の外分となすのである

これらの人間の外分はいづれも大神より来たる神的すなはち霊的内流が止まるところの終極点における事物である
何故ならば神的内流なるものは決して中途に止まるものでなく必ずやその窮極のところの終極点まで進行するからである
この神的進行の順序の窮極するところの終局点はいはゆる万物の霊長・神の生宮・天地経綸の主宰者・天人の養成所たるべきが人(霊止)である所以である
ゆゑに人(霊止)はすべて大神の根底となり基礎となるべきことを知るべきである

・・・「人(霊止)還りの道」512編へつづく


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