「人(霊止)還りの道」496編


大神の御神格に充たされる精霊はその精霊自身が大神なることを信じまたその所言の御神格より出づることを知るのみにしてその他は一切知らないものである

しかしてその精霊は言ふべきところを言ひつくすまでは自分は大神であり自分の言ふことは大神の言であると固く信じ切つてゐるけれども一旦その使命を果すに至れば大神は天に復りたまふがゆゑにそこに至つて自分はヤツパリ精霊であつたことまた自分の所言は大神より言はしめたまうたことを知覚し承認するにいたるものである

高天原の天人は現界人の数百言を費やさねばその意味を通ずることの出来ない言葉もわづか一二言にてその意味を通達し得るものである

ゆゑに予言者によつて示されたる聖言は高天原の天人には直ちにその意味が通ずるものなれど中有界(精霊界)に迷へる人間(ジンカン)の暗き知識やうとき眼や半ば塞がれる耳には容易に通じ得ないものである

それゆゑにその聖言を細かく説いて世人に諭す伝達者として瑞の御霊の大神の御神格に充たされる精霊が相応の理によつて変性女子の肉体に来たりその手を通じその口を通じて一二言の言葉を数千言に砕き一頁の文章を数百頁に微細に分割して世人の耳目を通じてその内分に流入せしめむために地上の天人として神業に参加せしめられたのである

ゆゑに聖言をそのまま真解し得らるる人(霊止)はすでに高天原の天人の団体に籍をおける精霊であるが聖言を真解し得らるることが未だ出来ない人間(ジンカン)なる中有界(精霊界)に迷へる精霊は瑞の御霊の詳細なる説明によつて間接諒解を得なくてはならぬのである

しかしてこの詳細なる説明さへも首肯し得ず疑念を差しはさみ研究的態度に出でむとする者はいはゆる暗愚無智の徒にして学で智慧のできた途中の鼻高なる似而非学者の徒である
かくのごとき人間(ジンカン)は已にすでに根底の国(地獄界)に籍をおいてゐる者なることは相応の理によつて明らかである

そしてかくのごとき人間(ジンカン)は容易に済度し難きものである
何故ならばその人間(ジンカン)の内分は全く閉塞して上方に向かつて閉じ外分のみ開けその想念は大神を背にし脚低の根底の国(地獄界)にのみ向かつてゐるからである
しかしてその知識はくらみ霊的聴覚は鈍り霊的視覚は眩みいかなる光明もいかなる音響も容易にその内分に到達せないからである

されど大神は至仁至愛にましませばかくのごとき人間(ジンカン)をもいろいろに身を変じたまひてその地獄的精霊を救はむと昼夜御心を悩ませたまひつつあるのである

・・・「人(霊止)還りの道」497編へつづく


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