「人(霊止)還りの道」71編


是に伊邪那岐命
見畏みて逃還ります時に
其妹伊邪那美命
吾に辱見せたまひつ
と言したまひて
即ち予母都志許売を遣はしめて追はしめき

是に伊邪那岐命
見畏みて逃還ります時に

見畏みてとは大神は世界の人民を助けて松の世・神の世と立替へて立派な水晶の世界に致してやり度いと思ふて三千年も世に隠れてをりたがモウ斯うして置いては世が立たぬやうに成りたから神が表に現はれて三千世界を善一筋の五六七の神政に致して神も仏事も人民も勇んで暮す結構な神国の世に致して喜ばしたいと思ふて苦労を致してをるが神が思ふたよりも非道い余りの曇りやうでそこら辺りが汚うて片足踏み込む処も指一本突く場所も無いとこまで腐りてをるから神も手の付けやうが無いなれど神は世界を助けたいのが一心の願ひであるから泥にまみれて人民を助けたさに世に落ちて苦労艱難を致してゐるぞよと云う意です

逃還ります時にとはあまりの矛盾撞着に呆れたと云う意です
至誠至忠思国の為に日夜辛酸を嘗めてる人(霊止)々を危険人物扱いや監視を附せるような社会の矛盾に神界も跣足で御逃げになると云う意です

吾に辱見せたまひつ
と言したまひて
即ち予母都志許売を遣はしめて追はしめき

乱れ果てたる醜状を神の光なる一つ火に照らされて面の皮を引剥られて侮辱されたと云ってその心に当る醜悪なる教信徒が一生懸命に教主に反抗すると云う意であり立腹し窮地に陥れようとする人物が出現すると云う意です
今日のような無明暗黒の社会に容れられような教では苦労艱難は要らず四方八方から持て囃されます
しかし現代を覚醒し人心を改造することは出来ません

誠の教を開くことは
国家を泰山の安きに置き奉らむとする志士仁人から凡ての迫害と戦い総ての悪魔に打ち克ち身をもって天下に当る為の勇猛心を要すると云う意です

黄泉醜女(ヨモツシコメ)とは
決して悪い魔女のことでなく今日の人間は上下共に男も女も八九分通りまでが醜女です
何処にも一点の男子らしき勇壮なる果断なる意氣を認めることは出来ません
今日の醜女たちは神の光なる誠の教の一つ火の明光に照らされて夏の虫のごとくに消しに来ては大怪我してます
時に人民を保護すべき職にある人々までが逆様に攻撃妨害を加えむとしてます
これが四方突醜目(ヨモツシコメ)で見ると云う意です

・・・「人(霊止)還りの道」72編へつづく


関連記事一覧


無料メルマガ

お名前

メールアドレス


(ドメイン satose.jp 受信設定)

スポンサーリンク

Amazon

楽天市場

Y!ショッピング

7net

ブログポリシー

鈴木慧星の名称およびブログの全部または一部をリンク・複製・引用・転用・転載・改変・アップロード・掲示・送信・頒布・販売・出版等を一切禁止します

ソーシャル・ネットワーキング・サービスの利用規約ならびにソーシャルメディアに関するポリシーおよびルールとマナーに違反する行為等を一切禁止します