「人(霊止)還りの道」485編


主神の国土は「目的の国土」である
目的とは「用」そのものである
ゆゑに主神の国土を称して「用の国土」といふても可なるわけである

用これ目的である
ゆゑに主神は御神格の始めに宇宙を創造し形成し給ふや初めは天界において為し給ひ次は世界において到るところ動作の上すなはち結果の上に用を発揮せむとし給ふた

種々の度を経て次第を逐うて自然界の終局点にまでも至らなければ已まない
ゆゑに自然界事物と霊界事物すなはち世間と天界の相応は用に由つて成就することを知り得るのである
この両者を和合せしむるものは即ち用である

そしてこの用を中に収むるところのものは形体である
この形体を相応となす
すなはち和合の媒介である
されどその形態にして没交渉なる時はかくのごときことなきを知るべしである

自然界にありてその三重の国土中には順序にしたがつて存在するものはすべて用を収めたる形態である
すなはち用のため用に由つて作られたる結果である
ゆゑにかくのごとき自然界中の諸物はみな相応者である

されど人間にあつては大神の法則に従つて生活する限りすなはち主神に対して愛そして隣人に対して仁ある限りかれの行動は用の形態に現はれたものである
これ天界と和合するところの相応である

主神と隣人を愛するといふのは要するに用をとぐることである
人間なるものは自然界をして霊界に和合せしむる方便すなはち和合の媒介者なることである

けだし人間には自然界と霊界と二つのものは具はつてゐるものである
人間はその霊的なることにおいて和合の媒介者となるけれどももし然らずして自然的となればこの事あるを得ないのである
さはいへ神格の内流は人間の媒介を経ずとも絶えず世間に流れ入りまた人間内の世間的事物にも流れ入るものである
ただしその理性的には入らぬものである

霊界はもろもろの相応によつて自然界と和合するがゆゑに人は諸々の相応によつて天界と交通することを得るものである

在天の天人は人間のごとく自然的事物によつて思索せない
人間にしてももし諸相応の知識に住する時はその心の上にある思想より見て天人と相伍するものとなすべくかくしてその霊的・内的人格において天人と和合せるものである

・・・「人(霊止)還りの道」486編へつづく


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