「人(霊止)還りの道」466編


高天原(天国/天界)の形式をその細目にわたつて了解することやまたこの形式がいかなる情態に活動しいかに流通するかを会得するのは天国にある天人といへども能くし得ざるところである
これを譬ふるならば最も聡明にして神の智慧に富んだ人(霊止)が人体における種々の事物の形態を検査しこれより推して考へる時は高天原のその形式に関してあるひはその大要を悟り得ることが出来るであらう

高天原の全体の形式は一個の人身に似てゐるやうである
また人身中における万の事物はすべて高天原の事物に相応するものである
ゆゑに高天原の形式がいかに人間として解し難くまた説明し難きは人間各部を連結するところの神経や繊維を見たならばほぼ察知することが出来るであらう

これらの神経繊維はそもそも何物なるか
また如何にして脳髄中に活動し流行しゐるかはいかなる医学博士といへども肉眼をもつてあるひは顕微鏡をもつて見得るものではない

人間の頭脳中には無数の繊維があつて交叉する様やその集まれるところより見れば実に柔らかき連結した一つの固まりに似てゐるなれど意性および智性よりするところの個々別々の活動はみなこの繊維によつて行はれてゐることは無論である
すべてこれらの繊維が肉体中にあつていかにして相結束し活躍するかは種々さまざまの中枢機関たとへば心臓・肺臓・胃腸その他のものを見れば明らかである

また医学上において神経節と呼ばれてゐる神経の束を見れば数多の繊維が各その局部より来たつてここに集まりここに交雑しまた種々に連結したる後ふたたびここを出てゆき外にあつて各その官能を全うするものである
しかしてかくのごときもの一再にして止まない
また各臓腑た各肢体・各筋肉にあつてもこの通りである

証覚者の目をもつてこれらの事物とその数多の不可思議とを考査する時はただただその幽玄微妙なる活動に驚嘆するの外はないのである
しかしながら以上は肉眼にて見得るところのほんの僅少の部分的観察に過ぎないのである
その自然界の内面にかくれて人の視覚の及ばないところにある物にいたつてはさらに一層の不可思議を包んでゐるのである

以上の身体上の形式の高天原の形式と相応するといふ事はその形式の中にありこれによつて働くところの意性と智性とが万般に対し発作するを見ても明らかである

人がその意に決するところがあればみな自らにしてこの形式の上に発作するからである
また人いやしくも何事か思惟するところがあればその想念は最初の発作点より末端に至つて神経繊維の上に還流せざるはなくこれよりしてここに感覚なるものがある
さうしてこの形式はやがて想念と意思の形式であるゆゑにまた智慧と証覚との形式なりといつてもよいのである
ゆゑに高天原の形式は人体における総ての諸官能の活動に相応するものなることを知り得らるるのである
また天人の情動と想念とはことごとくこの形式に従つて自ら延長するものなることを知り彼ら天人はこの形式の内にあるかぎり智慧と証覚とにをるものなることを知り得らるるのである

しかしながら高天原の形式はその大体の原則すら充分に探究すべからざることを自然界の科学万能主義者に知らさむために人間の身体を例に引いてみたのである

・・・「人(霊止)還りの道」467編へつづく


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