「人(霊止)還りの道」462編


久方の高天原の神国には
時間時空・春夏秋冬の区別なし
ただ天人各自が
情態の変化あるのみ
現し世におけるがごとく天界の
万事に継続あり進行もあり
されど天人は
時間と空間との
概念なし

久方の高天原には
年もなく
月日もあらず時もなし
ただ情態の変移あるのみ
情態の変移の
ありしところには
ただ情態ばかりあるなり

現界の
凡ての人は
時間てふ
その概念を離るるあたはず

天人は
みな情態の
上よりこれを思惟すれば
人の想念の中において
時間より
来たれるものは
天人の間に入りては
皆ことごとく
情態の想念となるものぞ

春と朝は
第一情態における
天人がをる所の
愛の善および
証覚の境涯に対する
想念となるものぞ

夏と午時は
第二情態にある天人が
をるところの愛善および
証覚の境涯に対する
想念となるものぞ

秋と夕べとは
第三情態における
天人がをるところの愛善および
証覚の境涯に対する
想念となるものぞ

冬と夜とは
地獄におちし精霊が
それらの境涯に対する
想念となるものぞ

・・・「人(霊止)還りの道」463編へつづく


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