「人(霊止)還りの道」460編


霊的現的一切の
あらゆるものに相対し
自然的なる事物より
推考するに非ざれば
思索することは能はざる

現代人の通弊は
神的すなはち霊的の
人格さへも肉的や
自然的なるものなりと
思惟するゆゑに彼の輩の
結論するところ見る時は
はたして神は一個なす
人格ならば大いさは
全大宇宙と同等に
あるべきものと唱導し
果たして神が天地を
統御按配するとせば
世上における君王の
ごとくに多数の官人を
用ゐるならむと憶測す
げにも愚かのいたりなり

かかる愚昧の人間に
対して高天原の霊界は
現実世界におけるごと
空間的の延長なしと
告げ諭すともすぐさまに
容易に会得せざるべし
何ゆゑなれば自然界
および自然の光明を
唯一の標準と相定め
思惟する者は目の前に
認むるごとき延長を
除いて外はどうしても
考察し得ざる故ぞかし

高天原の延長は
世界における延長と
事情まつたく相反す
自然界なる延長には
一種の限定あるゆゑに
容易に測知し得べけれど
高天原の延長には
元より限定なきゆゑに
人心小智のやすやすと
測知し得べき事ならず

そも人間の眼界は
いかに遠きに達すとも
極めて遠き距離のある
太陽・太陰・星辰も
容易に認め得べしとは
何人もよく知れるなり
またいま少し心をば
深くひそめて思考せば
わが内分の視覚力
すなはち想念界の視覚力は
なほも遠方に相達し
なほも進んで内辺の
視力のいたる極みには
その眼界はなほさらに
遠大なるべきことを知る
果たしてしからば何者か
神的視力の現界外に
出づるを得るとなさざらむ

神的視力は現実に
一切視力のいと深き
内的にしてかつ高上なるものぞ
想念中にかくのごとき
延長の力あるゆゑに
高天原の一切の
事物は此処に住む者の
すべてに伝はらざるはなし
高天原を成就し
遍満したる主の神の
その神格より来たるもの
凡てはまたかくのごと
ならずといふこと更になし

・・・「人(霊止)還りの道」461編へつづく

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