「人(霊止)還りの道」446編


人(霊止)の意思的生涯は愛の生涯であつて善と相関し智性的生涯は信仰の生涯にして真と相関するものである
一切の愛の善と信の真とはみな高天原より来たるものであり生命一切の事また高天原より来たることを悟り得るのが天人である
霊界の天人も地上の天人も上の道理を堅く信ずるがゆゑにその善行に対して他人の感謝を受けることを悦ばないものである

もし人あつてこれらの諸善行を彼の天人らの所有に帰せむとする時は天人は大いに怒つて引退するものである
人の知識や人の善行はみなその人自らしてしかると信ずるごときは悪霊の考へにしてたうてい天人どもの解し得ざるところである
故に自己のためになすところの善は決して善ではない
それは自己の所為なるが故である

自己のためにせず善のためになせる善はいはゆる神格の内流より来たるところの善である
高天原はかくのごとき善すなはち神格によつて成立してゐるものである

・・・「人(霊止)還りの道」447編へつづく


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