「人(霊止)還りの道」1編


現実界(現世)とは
人(霊止)と人間(ジンカン)やその他の生命体(モノ)が存在する現界です

人間(ジンカン)とは
そしてニーズやサービスに応える世界に人間(ジンカン)として存在します
ニーズやサービスとは人間欲を満たす世界であり技術や技法などの枝葉末節を重宝する世界です
現代の政治・経済・教育・医療など国家・法律などはすべてこの世界が基準となってます
人間(ジンカン)である者は現実界を離れた(死)後は中界で彷徨するか幽界へ墜ちます

人(霊止)とは
深い因縁のある父母からの肉体(肉宮)に神界天人の霊子を授かり神霊の子・神霊の生宮として現実界に存在します
この現実界に生まれたる者は始めはすべて人(霊止)です
人(霊止)である者は神人合一して現実界を離れた(死)後は神界へ向かいます
現実界において人間(ジンカン)の影響や中界に彷徨する霊魂の影響から人(霊止)から人間(ジンカン)へとなり下がる者が非常に多いです

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すべての宇宙の一切

現霊一致
善悪一如

現実界と霊界は常に相通じ一致してます
絶対の善もなければ絶対の悪もありません
絶対の極楽もなければ絶対の苦艱もありません

歓楽の内に艱苦あり
艱苦の内に歓楽あり

現実界の霊魂は常に霊界に通じていて霊界は常に現実界と交通を保ち幾百千万年と云えども易わることはありません

幽界に墜ちて無限の苦悩を受けるのは自己の身魂より産出したる報いであります

天国も地獄も皆自己の身魂より顕出します
現実界に於いて悲観を離れた楽観はなく罪悪と別立したる真善美もありません

そして苦痛を除いては真の快楽を求められません
凡夫無くして神は存在しません
善悪不二にして正邪一如です

<仏典>
煩悩即菩提
生死即涅槃
娑婆即浄土
仏凡本来不二

<神道>
神俗本来不二

仏の大慈悲・神の道の恵み幸わい・凡夫の欲望
これらすべての本質に於いて大した変りはありません
凡俗の持てる性質そのままが神だからです
これは神の持っている性質の全体が皆悉く凡俗に備わっているからです
天国浄土と社会娑婆とはその本質に於いて毫末の差異も一切ありません

この本質に於いて全然同一なものでありながら何故に神俗・浄穢・正邪・善悪として分れるのは本然の性質を十分に発揮して適当なる活動をするとしないの程度に対して附したる仮定的の符号に過ぎないからです

例えば
善悪と云うものは決して一定不変なものでなく時と処と位置とに依って善も悪となり悪も善となることがあります

善は天下公共の為に処し
悪は一人の私有に所す

何ほど善と云える事でも自己一人の私有に所する為の善は決して真の善ではなくたとえ少しぐらいの悪が有っても天下公共の為になる事であればこれは善です

文王一たび怒って天下治まる
怒るもまた可なり

小さな悲観は取るに足らざるでありそして勝論外道的の暫有的小楽観もダメです
凡俗とは小なる悲観者であり小なる楽観者です

大楽観と大悲観とは結局同一に帰するものです
神とは大楽観者であると同時に大悲観者です

社会・娑婆などこの地上の現実界とは小苦小楽の境界です
そして霊界とは大楽大苦の位置です

<理趣経>
大貪大痴是れ三摩地
是れ浄菩提
淫欲是道

当相即道の真諦です

禁欲主義はダメです
しかし恋愛を自然主義・本能的で自己と同大程度に決行して満足するのが凡夫です
恋愛を神聖なものとしてこれを拡充して宇宙大に実行するのが神です

神とは
三千世界の蒼生に於いて皆わが愛子となして一切の万有を済度する大欲望があります

凡俗とは
わが妻子眷属のみを愛し少しも他を顧みないのみならず自己のみが満足し他が知らない小貪欲を恣にします

人(霊止)の身魂そのものは神霊の子であり神霊の宮である神人です
そして人(霊止)は宇宙大に活動し得るべき天賦的本能であるその本質を具備しています

天賦の本質とは
智・愛・勇・親でありこれらを開発し実現して行くことが人生の本分です
この天賦の本質を善悪の標準論よりみれば自我実現主義と云います

人の善悪両様の動作が社会人類の為や済度の為にそのまま賞罰二面の大活動を呈するようになります
この大活動と大威力とがすなわち神であり自我の宇宙的拡大となります

生死の肉身・有漏雑染の識心を捨てずそしてこの苦穢濁悪不公平なる現実界から離れずして悉く之を人(霊止)として美化楽化しそこから天国浄土を眼前に実現して行くことが人(霊止)の成神観であり一大眼目です

+++

<天地の律法>

「内面的」
(1)省みる
(2)恥る
(3)悔ゆる
(4)畏る
(5)覚る

「外面的」
(1)夫婦の道を厳守し一夫一婦たるべきこと
(2)神を敬ひ長上を尊み博く万物を愛すること
(3)たがひに妬み謗り詐り盗み殺すなどの悪事を為すべからざること

天地の律法はもっとも厳重にして毫末も犯すべからず
発根より改心と認められたる時は直ちにこれを許さるるものなり
実に改心にまさる結構はなかるべし

天地の律法は神霊の無限の御仁慈の発露なり

醜の魔神の現われて
誠の道を汚しゆく
うつかり乗るな信徒よ
神の真似する悪魔の世界
善の仮面を被りつつ
言葉たくみな口車
外面如菩薩
内心如夜叉
うまい話にのせられるな

・・・「人(霊止)還りの道」2編へつづく


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