「人(霊止)還りの道」317編


現代の学者は「宗教は芸術の母なり」「宗教が芸術を生む」といつてゐます
しかしそれとは反対に「芸術は宗教の母なり」「芸術は宗教を生む」とが誠の神髄です

洪大無辺の大宇宙を創造したる真神とは大芸術者であり天地創造の原動力とは大芸術の萌芽です

宗教なるものは真神の創造力やその無限の意志のわづかに一端を具体的に人の手を通し口を徹して現はされたものに過ぎません
さうでなくては宗教が神や仏を仮想の下に描いたことになつてしまうからです
ましてや根拠の薄弱なる神や仏なりとすれば吾々は朝夕これに礼拝し奉仕する心がどうしても湧いてこないのが道理です

天地の間には何物か絶対力の存在する如く心中深く思惟さるるのはこの宇宙に人(霊止)以上の霊力者の儼存するものたることをおぼろげながらも感知し得らるるからです
そしていかなる無神論者でも地震・雷鳴・大洪水等の厄災に遭遇した時は不知不識の間に合掌し何ものかの救ひを求むるのは自然の人情です

雷鳴の
烈しき時
地震の強く
揺る時
神を祈らぬ
ものはなし
その時の
心を以て
平常に神を
求めよ
祈れよ

宇宙には大芸術者たる真神が儼存し玉ひて万有一切を保護し給ふことは争はれぬ事実です
現代の人々は神と言ふのを愧じて自然とか天然力とかの雅号にかくれて神を唱ふることを避けようとしてゐるものが多いのは実に残念なことです

この人(霊止)還りの道を一見して低級な神だとか拙劣な文章だとか神の言として見るに忍びないとか怪乱狂暴一読の価値なきものだとかいつてゐる者もソロソロ現はれてきたやうです

艮の金神国常立尊は大海の潮水のごときものでありこの人(霊止)還りの道は手桶のやうなものです
その手桶に汲み上げられた一杯の潮水こそ艮の金神のいはゆる神示そのものです
しかしながら大海の潮水も手桶に汲み上げられた潮水もその色において鹹味において少しも変化は無きはずです
さすれば如何なる卑近な言を以て表はされた神示といへども真神の意思表示については毫末も差支へないものです

落ちぶれものに
書かした
神示であるから
人民が疑ふて
誠に致さぬは
無理なきことで
あるぞよ

この「落ちぶれた」といふ言葉は物質的のみを指しているのではなく教育の程度にも神魂にも応用すべきものです

水は方円の器に従つてその形を変ずるごとく真神すなはち大海の潮水も同様にその器に由つて変化しその容器の大小と形状に従つて力と形に変化を来たすは自然の道理です
この人(霊止)還りの道の神示が如何に拙劣なものでも艮の金神国常立尊の権威を傷つくべき道理は決してありません

変性男子たる厳の御魂
変性女子たる瑞の御魂

身魂そのものをそのままの真神の顕現と信じてゐた人々の小言に過ぎずいづれも大海の潮水を手桶に汲み上げたその一部です
そしてこの人(霊止)還りの道の神示そのものとは神劇に合はせて神の台詞なるやを明らかにせむための真神の芸術の腹から産れたところの宗教(演劇)の脚本を作るべき台詞書です
霊界の幾分なりとも消息が通じない者の眼をもつてこの人(霊止)還りの道の神示を批評するのは実に愚のいたりです

・・・「人(霊止)還りの道」318編へつづく


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